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Piece of Syria(ピースオブシリア) | へむり。
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へむり。

前回の続きを掲載させて頂きます。     http://piece-of-syria.org/2017/09/08/oldsyriavillage/     今回は、シリアの歴史と識字教室についてです。 ——————————————————————————— 「学校が増えたのは、フランスに占領されてからだよ」と、 赤と白のガラビーエと呼ばれる布を被った男が教えてくれた。   [caption id="attachment_16249" align="alignnone" width="300"] 頭にガラビーエをまとう村人[/caption]     シリアは第1次世界大戦後、仏の委任統治領になった。 それ以前はオスマントルコ帝国の支配下だ。     「トルコ時代は学校なんてほとんど無かったんじゃぞ。 あっても教えられるのはトルコ語じゃ。アラビア語じゃあのうてな。」     子ども達を数人集めて文字やコーランを教えているのを耳にすると、 トルコ当局は関係者を派遣して殴りつけることもしていたほどであったと言う。       「今はええ。道も整備され、どの村にも学校があって、教育が受けられるんじゃ。 イスラム教でもな、教育ってのは大切って教えとる。 預言者ムハンマドが最初に聞いた神の言葉は『読め!』じゃった。 彼は文盲だったんじゃがの。 読み書きができるってことは、知識が持てるということじゃ。 知識があれば健康 にもなれるし、良い仕事に就くこともできるじゃろ。」       そして今、少女時代に教育を受けられなかった大人の女性達のために、 政府主導で識字教室が開かれている。   どの村にもある学校を利用し、村人の講師(先生や高卒以上の人)には シリア政府から月500~1000SPの給料が渡される仕組みだ。     [caption id="attachment_16254" align="alignnone" width="300"] 識字教室の授業の様子。夜に授業が始まる[/caption]       生徒に、テキストが与えられて、無料で授業が受けられる。A村にも今年できた。 そこで教鞭を取る教師モハメド・アリーは言う。     「識字教室を始めようとしたとき、 俺たちは識字教室を開くために必要な14人の女性たちをどうやって確保したものかと考えたものだったよ。 でも、驚いたことに登録された名前は70 にも上ったんだ。 この数は村で農業に従事する人数と同じだ。現在の生徒数は40人。 年をとっている大人も勉強にはとっても熱心で、その証拠に50歳になるおばさんもいる。 ただ、彼女は年齢を理由に、(卒業証書がもらえる正式な生徒ではなく)聴講生扱いなんだが。 この識字教室は1963~1993年生まれの人にしか参加できないからな。」       専門家団の調査によると、マンベジ郡内には、成人女性の非識字率75%の地区もある。 しかし、子ども達の識字率は総じて高い。       旅行者時代、英語が出来ない大人に代わって、10歳の子ども達が通訳をかって出てくれたこともある。 ノート、テキスト、制服、筆記具、通学鞄などの費用はかかるが、払えないほどではない。 大学までの授業料は無料だ。 大人向けに識字教室もある。         [caption id="attachment_16251" align="alignnone" width="300"] ラタキアの大学。大学院に通いながら学校の先生をする人もいた[/caption]       A村に行ったとき、僕が何度も泊めて貰っている家族がある。 その家族の家長は村の保健センターで受付・記帳・掃除などを仕事にしている。   熱心なイスラム教徒でもある。昼の12 時~2 時頃には仕事を切り上げ、家に戻る。 昼ご飯を食べたら、横になってテレビを見たり、紅茶を片手に来客の接待をする。   この家の居心地の良さは、彼の家族の優しさも勿論なのだが、 彼がシリア人には珍しく煙草を吸わないのもそうだろう。   現在、奥さんは妊娠中だ。 一番の話し相手が、三女のブトゥーレ。 冒頭の夢を語ってくれた少女だ。   (続く) --------------------------------------------------------- 次回は、「学校で何を学んでいるか」についてをお届けします!    ...

2009年9月に僕が書いた文章です。 当時のシリアの状況が伝わってくるように思ったので、掲載させていただきます。 (文章が長いので分けて発信していきますね)     ------------------------------------------------------- 子ども達に夢を聞く。   驚くほどすぐに答えが返ってくる。 先生、お医者さん、エンジニア、パイロット・・・。嬉しそうに、我先に、手を上げて教えてくれる。   キラキラした目で将来の職業を語る子どもたち。それを見ていると、僕は幸せな気持ちになる。夢を持てるのって、素敵なことだと思う。             自分の家からセルビス(ワゴン車を使ったバス)に乗って 20 分ほどの場所にあるA村。     [caption id="attachment_16237" align="alignnone" width="225"] ワゴン車を使った市民の足セルビス[/caption]       目立った産業はない。   住民の多くは、夫が首都や海外へ出稼ぎし、建設関係の仕事をして稼いだお金で生活している。   出稼ぎ先はレバノン、ヨルダン、サウジアラビア、湾岸諸国、ギリシャなどだ。   男達が数ヶ月働いて、家族の居る村に帰ってくる、そんな生活を繰り返している。   オリーブや野菜・果樹などが育てられているが、オリーブを除けば、商売にするほどの規模はない。             以前は川が流れていて米もとれたが、10年ほど前に川は干上がっており、 農業をするためには地下水を汲み上げるエンジンを買う必要がある。     飲料水も同様で、以前は桶を下ろして水を汲んでいた井戸にはフタがしてあり、 エンジンを動かして地下100m から引っ張り上げた水をドラム缶やバケツ、貯水槽に貯めておく。   エンジンが買えない家は、近所の親戚の家に行って、白いバケツに水をもらう。 その重いバケツを頭の上にのせて女性達が家まで運ぶ。   綿花やオリーブの収穫シーズンになると、 トラックが村の女性達を乗せて東へと向かう。     日が昇る前にトラックに乗り込み、昼の2 時頃に帰ってくる。 暑い中、手首を傷めるような労働をした収入は、1 日に200 円ほどだ。     村には、小中高を掛け持ちしている学校がある。   午前の部と午後に分かれ、生徒数の多い小学校と中高の授業が交代で行われる。 午前か午後かは、毎週入れ替わる (今週が午前の授業なら、来週は午後から始まる)。     僕の住居があるマンベジ市(人口20 万人ほど)であれば、 小中高は建物そのものが分かれているのだが、午前・午後の2部制は変わらない。   昼の12 時ごろになると、校舎から子ども達が吐き出されていく。 給食はない。   休み時間や帰り道にお腹を空かせた子どもが チョコやポテト、アイスを買い食いしたりするのを見かける。   そのために子ども達は、学校に行く前に「僕の5SP ちょうだい!」と母親に小遣いをせがむのだ。   授業時間は、午前の部は7 時半から12 時半、 午後は12 時半から5 時20 分までで、45 分授業×6 コマ。 日が暮れるのが早い冬は、40 分授業で早く終わる。     シリアのほとんどの村には小学校がある。   中高は小学校ほどの数がないので、他の村から通ったりする。 アルファラット村の校庭には、近くの村から通学する少年達のバイクが十数台停まっていた。   「学校が増えたのはフランスに占領されてからだよ」と、 赤と白のガラビーエと呼ばれる布を被った男が教えてくれた。       (続く) http://piece-of-syria.org/2017/09/13/oldsyriavillage-2/  ...

アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   縁のある大学生の団体から「是非、お話を聞きたい」との連絡があったので、8月の帰国のタイミングで、お話をさせていただきました。   妻がJICAで働いているので、一緒に通勤して、一緒に帰れるように、とJICAのカフェテリアでお話をさせていただくことにしました。   そこで、隣のテーブルで打ち合わせをしている男性に見覚えが…。   シリア時代に、お世話になった専門家Nさん! シリア時代、JICAスタッフでさえ、足を運んでくれなかった、最も首都から遠い僕のところまでわざわざ遊びに来てくださった方で、本当に隊員とも現地の人とも身近に接して下さっていた方。   去年、大阪で講演した時に仲良くなった団体が、Nさんの奥様と、活動先のラオスでつながっていたり、と何かと縁が深いんです。       こうした縁も「動いていたから」ではなく、 「動き続けていたから」なんじゃないかな、とふと思いました。       活動も、しっかりと続けていきますので、 応援、どうぞ宜しくお願い致します!       【告知】「Piece of Syria」写真展 JICAボランティア体験談&募集説明会 内 日時:2017年10月7日(土曜日)    13時から17時(開場12時30分) 会場:高新文化ホール(高知県) 主催:JICA四国 ...

イードムバーラック! Piece of Syriaのへむりです。   今、イスラム暦の犠牲祭(イード・アル・アドハー。大イードとも)です。 犠牲祭の由来となったのは、旧約聖書のイブラヒムのエピソードからです。   なかなか子宝に恵まれなかったイブラヒム夫婦に、やっと授かった息子。   信仰心の深いイブラヒムに、神から試練が与えられます。 愛する息子を生贄として捧げなさい、と。   悩み苦しみながらも、生贄として捧げようとしたその瞬間、神から 「お前の信仰心はよくわかった」と告げられ、息子の代わりにヤギを神に捧げました。   そして、犠牲祭には羊、ヤギ、牛、ラクダを屠り、 その肉を周りに分けて配るようになりました。 特に貧しい人々に分け与えることを良しとします。   僕がシリアにいるとき、2年連続で、僕の故郷とも言える村でその日を迎えました。     朝早くに、モスクに行き、村の皆と一緒にお祈り。     そのあと、大人たちが家でお菓子を準備し、子どもたちは新調した服を着て家々を周り、お菓子をもらいます。             羊を連れてきて、「アッラーフアクバル(神は偉大なり)」と唱えながら、頸動脈を一気にかき切り、血抜きをし、解体していきます。           家族・親戚で配り、晩ご飯の美味しい材料となります。       今回、ブログにあげる写真を探すために、当時の写真を見返すと、 懐かしい家族たち、友人たちの笑顔がたくさんありました。     何度か書いていますが、僕の住んでいた村は去年までダーイッシュが占拠していました。   幸い、去年の夏に解放されましたので、僕の家族・友人たちは村で生活しており、 WhatsAppでもつながっていますので、連絡を取り合っています。     [caption id="attachment_16198" align="alignnone" width="300"] 町でイード限定の小さな遊園地。[/caption]   また彼らに会いにシリアに行けるよう、 シリアが平和になることを待ち望みながら、僕のできることをし続けたいと思います。     [caption id="attachment_16219" align="alignnone" width="225"] 今回のブログ用の写真を探していた時に出て着た、2009年11月の自分。やっぱり、若い。[/caption]     そんな村の羊の写真のポストカードです。   ...

  アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   夏休みは皆さま、どのようにお過ごしになられましたでしょうか? 僕は、日本に一時帰国しまして、大切な家族や友人との時間を過ごすことができました。     妻とは、去年結婚したばかりなのですが、同居することなく別居生活という状態でして、 (妻も、青年海外協力隊を経て、国際協力業界で働いております) 今の会えない状況がすごく寂しく、一緒にいるときは、もうべったりと一緒の時間を過ごしています。     ちょうど僕の誕生日だったこともあり、 妻の馴染みのお店で一緒に晩御飯を食べたり、サプライズでプレゼントをもらったり、 にんまりする時間をたっぷりと凄くことができました。   また、急遽、実家が引っ越すことになって(2ヶ月前に決定して、来月には引っ越し)、 今回の帰国中に大慌てで、僕の部屋の荷造りをしました。   とは言っても、歩いても行ける距離です(おばあちゃんや親戚の家のすぐそばへ)。   昔描いた絵とか文章とか・・・。懐かしいですね。     講演で、小学校の卒業文集に描いた僕の文章を紹介したりするのですが、 まぁ、大人びたというか、子どもらしくない文章を書いています。     一行目、「風のように時がたっていった」ですからね。 12歳で書く言葉には思えない・・・。   そして、将来の夢として書いていること。   「僕の将来は宇宙飛行士やまん画家等、色々あるけど、 一番は平和で戦争をなくし、世界の差別をなくしたりする人になりたい。   ・・・・   平和な世界をつくるために努力したい。 二度と、戦争による死者をつくらず、 そのためのお金を孤児や寝たきりの老人、 ジャングルの動物達やアフリカ等の難民達のために使うようにしたい。   世界中の人々が幸せになるために・・・」   この夢を描いた小学校から、年を経て、徐々に夢を描かなくなりました。 いえ、描けなくなりました。   中学校、高校と進むにつれて、 「僕にはきっと無理だ」って、考え始めたのです。   大学受験の時に「やりたいことがない!」って思っていたときに、 卒業文集で描いた夢をまた思い出して、学部を決めたものの、在学中にまた挫折。   就職してから、また挫折。 ほんとに、挫折ばっかりしてきました。   会社を辞めて、青年海外協力隊として活動して、少し夢に近づいたと感じました。 また、帰国後、色んなやりたいことを形にして、人生としては申し分ないほど、充実していました。   (2010年に作った、自己紹介動画です)     しかし、シリアの紛争が長期化していったことで、 目に見える形でシリアのために動けていない自分に対し、 どこかモヤモヤした気持ちが生まれました。   そして、2015年、ガーナとの遠距離恋愛中だった彼女(今の妻)と会いに行くことを機に、 間接的ではなく、直接的に、シリアに本格的に関わることを決めて、 難民となってしまったシリアの人たちや支援団体を訪ねて周りました。   そして、今のPiece of Syriaを作り、活動を始めました。     最初は一人から。 妻や友人達に相談しながら、暗中模索しながら、少しずつ、形にしていきました。     6月には、スタッフをしている郁乃ちゃんと一緒にトルコで、現地協力者のウサマさんをはじめ、 トルコに住む、シリアの人たちと出会い、話す経験ができ、 今夏8月には、郁乃ちゃんの初の講演まで行なうことができました。   初の講演とは思えない堂々とした、笑いを取りつつ、聞く人を巻き込む講演で、 僕自身もすごく楽しませてもらいました。     「世界を変えるのは、いつもたった一人の想いから」 彼女の想いが、また世界を変えていく、そんな風に感じました。   サポートをしてくれた皆様、ご来場くださった皆様、本当にありがとうございました。     年齢を経るにつれて、挫折を味わうにつれて、忘れてしまう夢。諦めてしまう夢。 夢をあきらめる平均年齢は24歳だそうです。   (僕自身、今は「夢」という言葉にはちょっと違和感があるのですが) なりたい自分になること、やりたいことができること、大切なことを大切にすることなど、 そういったことを諦めず、目指し続けていきたいと思います。     そして、子どもの頃の自分が描いた夢に、少しでも近づけられるよう、 シリアの人たちに寄り添いながら、大切な友人達である彼らを応援し続けたいと思います。        ...

アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   いよいよ明日、報告会イベントになります。 ありがたいことに、満員御礼!   …で   す   が   !!   増席を致しました! なので、当日ギリギリのご参加も承ります。   シリアにご関心のあるあなたに、 新しい一歩を踏み出したいあなたに、 夏休みの、どこかにお出かけの前に!     【日時】2017年8月11日(金)  10:00〜11:50 (9:45〜開場)   【場所】梅田 Blue+ ブルータス(各線梅田・大阪駅から徒歩 7〜15分)   【参加費】1000円   【詳細、申し込みはこちら】 https://www.facebook.com/events/1796624217316090/ http://www.kokuchpro.com/event/pos_2017_8_11/    そのメインで話す郁乃ちゃんが、「難民ナウ!」に出演しました!!! 「難民ナウ!」は、「難民問題を天気予報のように」をコンセプトに、2004年から京都三条ラジオカフェ(FM79.7MHz)で放送されている日本初の難民問題専門情報番組です。   運営されている、宗田さんとはヨルダンで初めてお会いして、 そのあと、京都で講演を聞かせて頂きました。   非常に情熱的に活動をされている方で、 こうしてご縁があったことを嬉しく感じています。   ちなみに、宗田さんは TEDにもご出演されています。 是非、こちらも御覧くださいませ!       ...

   夢や「やりたいこと」ってありますか?   ちなみに、僕は夢がずっと持てませんでした。 正確に言うなら、諦めていました。     大学受験や就職活動をしているときに、 「行けそうなところで、やりたいことは何だろう?」って考えていると、 あまりワクワクできませんでした。   就職してから、将来のことを考えていても、 なりたかった自分に向かっているとはどうしても思えず、 「やりたいことを見つける方法」の類の本をいっぱい読んだりしながら、 暗中模索の日々を送っていました。   ですが、 小学校の時の卒業文集には、こう書いていました。 「世界を幸せにするために働きたい。 戦争に使われるお金を、ジャングルの動物達や難民達のために使いたい」 決して、夢がなかったわけではありません。   ですが、「僕には無理」「どうせできない」って思い込んでいました。         ● 何もできない自分と向かい合った25歳   最初に就職した会社のやり方に、どうしても共感ができず、 これ以上いると精神的に耐えられない!と思って、会社を辞めて、 その3日後にはフィリピンのNGOでボランティアを始めました。   大学生の時に、一度、スタディツアーで行ったことがあり、 かつ会社員時代もずっと、週末ボランティアをしていた団体です。   その時は、日本に帰ったらどうしようか、全く白紙だったのですが、 幸い、出発前に受けていた青年街協力隊の試験に受かり、シリアに行くことが決まりました。   そして、2年間、みっちりとシリアにいて、僕の中に変化がありました。 それは、「自分がどこに所属しているとか、何ができるか、ではなく、僕と言う人間を見てくれている」 という環境のなかで、「僕が僕でいいんだ」ってことを知れたことです。   もう一つは、そんな彼らとコミュニケーションをしたい一心で取り組んだ語学です。 五教科で一番ダメだったのが英語の僕ですから、語学が苦手。 ましてやアラビア語なんて、どこをどう読むのやらサッパリでした。 ですが、毎日、町に出て誰かに話しかけ、村に行って泊めてもらって、会話に体を染み込ませ、 家でも移動中でも、ノートで反復しながら、単語をひたすら勉強する毎日を送っているうちに、 アラビア語が話せるようになりました。 それは一つの自信です。 能力がなくたって、素質がなくたって、続けてさえいれば、僕でも身につけられる、変われるって体験を通して知ることができました。   仕事も中途半端に辞めてしまって、自分に何かできるかとも思えず、何もできないと思いこんでいた自分に、 夢も将来も描けなくなっていた僕に、変化を、希望をくれたのが、シリアでの日々だったのです。 そして、シリアから帰国。 学校や旅イベントで講演活動をしたり、仲間達とイベントを企画したり、本当に毎日が充実していました。   26歳から28歳。シリアが僕を変えてくれました。 今、僕のやりたいことは明確です。   シリアが平和になって、子ども達が夢を追いかけられるようになること、 そして、世界で一番大好きな妻と一緒に時間を過ごすこと。 少しずつですが、シリアの人たちへの恩返しをやっていければ、と Piece of Syriaの活動を続けています。         ● 来てみないとわからない。行ってみないとわからない。   Piece of Syriaの活動を続けている最中、出会ったのが郁乃ちゃんです。 正確には4年前に出会っていたのですが、SNSでつながりながら、久々に再会したのが1年ほど前でした。   「手伝えませんか?」と声をかけてくれました彼女は、 僕と同じように「何ができるんだろう?」と感じていたようでした。   彼女が留学したりしていたのも知っていますし、数年前からの人柄も知ってますので、 「もったいない!」って思いました。 「めっちゃできるのに!」って。   案の定といいますか、郁乃ちゃんがPiece of Syriaの活動を本格的に手伝ってくれてから、助けられたことは数知れません。   ワクワクするとやりたくなる性分の僕が、散らかしてしまう思いつきのアイデアを拾ってくれたり、 写真展の準備のバタバタの期間も、本番の長丁場の間も、協力してくれるスタッフ達を取りまとめてくれて、掃除や整頓、接客まで幅広く対応してくれて、 郁乃ちゃんが居なかったら、どうなっていたんだろう?って考えるだけで、ヒヤッとします。   そんな郁乃ちゃんですが、シリアも、中東へも行ったことがありませんでした。 「僕を手伝う」という動機の先にあるシリアへの支援活動をしてくれていたのです。   シリアの中へ、今、行くのはあまりにリスキーですが、シリアの人たちと会ってほしい。 特に、Piece of Syriaがサポートする現地協力者のウサマさんに是非、直に会って話して行ってほしい、 って、ずっと思っていました。   その願いが叶い、郁乃ちゃんと、今年6月にトルコにいるウサマさんをはじめ、シリアの人たちに会いに行くことができました。   トルコでの日々の中で感じたものを聞いた時に、 彼女が力強く言った言葉が、 「来てみないと分からないですね。それだけは本当に言えます」でした。   自信に満ち溢れた表情の中に、 自信がなかったように見えた1年前の郁乃ちゃんからの変化を感じました。   来たる8月11日、彼女のその変化を感じてもらうイベントを企画しました。 もちろん、僕たちの活動についてもしっかりとお伝え致します。   皆さんと共に「来てみないと分からない」、そんな体験を共有したいと思います。   また、皆さんにも是非、一緒にトルコに、 そしていつかは、一緒に平和になったシリアに 行くことができれば嬉しいです。   そんなことにも想いを馳せながら、 来てくださったみなさまと色んなことを感じ、考える時間になりますように、 精一杯、準備を進めておりますので、また会場でお会いしましょう!         【日時】2017年8月11日(金)  10:00〜11:50 (9:45〜開場)   【場所】梅田 Blue+ ブルータス (各線梅田・大阪駅から徒歩 7〜15分)   【参加費】1000円   【詳細、申し込みはこちら】 https://www.facebook.com/events/1796624217316090/ http://www.kokuchpro.com/event/pos_2017_8_11/ ...

アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   ①では、シリア国内の「勢力図」の変化について、 ②では、シリア国内における「生活面」の変化について、 ③では、アサド政権に関するシリアの人たちの心についてをお話してきました。   今回は、シリアの人たちの仕事についてお話し致します。   ただ、今までと同様に、これも僕の経験に基づいた「ある時点の、一つの視点」としてのもので、 これが全てではありませんし、時期により変化しますし、統計的なものではないことはご留意ください。   [caption id="attachment_16129" align="alignnone" width="1024"] シリア南部の町の肉市場[/caption]   ● 紛争前の田舎の人たちの働き方   「なんのために、仕事をしていますか?」   と、聞かれたら、あなたはなんと答えますか?   きっと、どんな答えも正解だと僕は思っていますが、シリアで体験した仕事にまつわる話をします。   2008年。「シリアといえば、安全すぎて平和ボケをしてしまう国だ」と僕が常々言っている時期の話です。   住み始めたばかりの家で、シャワーの給湯器が壊れてしまいました。   直してもらおうと、大家さんのところに行きました。 大家さんは、修理する人に電話して、しばらく話したあとに僕に言います。   「今日は行けないんだそうだ。ブクラ(明日)な」と。   そして、翌日、再び大家さんのところに行きますが、またも「ブクラ」という返事。 昼間は暑く、水シャワーでも耐えられなくはないですが、さらに翌日もとなると、ちょっとひどい。   「昨日のブクラは今日だ!」と怒って、「そもそもどうして来れないんだ?」と理由を尋ねました。   すると、修理工の答えが、「今、家族とご飯を食べている」・・・と。   まだ昼過ぎ・・・。彼らにとって、仕事とは、家族のためにすることです。 だけど、仕事と家族との時間を天秤にかけた答えは、いつも家族なのでした。 ゆっくりと、家族とご飯食べてからで良いから、とお願いして、なんとか来てもらいましたが、 仕事よりも家族を優先する姿勢は、シリアに住んでいるとよく感じました。     ● 紛争前の失業率   田舎は仕事が少なかったようです。 僕の通っていたシリアの村では、若い男達は出稼ぎに行って、男性は子どもと老人たちだけで、あとは女性達しかいない家もちょくちょく見ました。   なんせ田舎ですので、女子しかいない家に、親戚でもない他人が入るのはよろしくないのですが、 村に入り浸って、信頼を勝ち取った外国人の僕はどうやら例外のようでした。    ヒジャーブを頭に被った若い女の子たちの女子会に手招きされて、 「誰が一番カワイイ?」なんて聞かれることも・・・。   男たちは、国内の都市や海外へ出稼ぎに行きます。 僕がいた当時、人気だったのはギリシャで、建築に関わる肉体労働で、国内の10倍の給料を得られる、と言っていました。   他にも湾岸諸国やエジプト・レバノンなどもありましたが、トルコは「仕事がない」という理由で出稼ぎに行く人はほぼいなかったです。 そんなトルコが今、最もシリア難民が住む国になっています。   また、公務員である学校の先生たちが副業をしている姿をよく見ました。 塾や文房具屋さんを経営していたり、薬局でアルバイトしていたり。   学校は午前か午後に分かれていて(午前が小学校、午後が中高になっていたりします)、 その空いている時間を利用して、副業をしていました。   なので、決して「失業率が低かった」とは言えません。   ですが、出稼ぎで半年ほど働いて、田舎に大きな家と外車を買って、半年の間は家族とのんびり暮らす、という『デュアルライフ』を送ることは、難しい選択肢ではないようでした。   また以前、お話ししたように、物価自体が安かったこと、教育・医療にお金がかからないこと、原油高騰をしたときも政府から配給や給料アップがあることなどから、彼らから生活苦を感じることは一度もありませんでした。   [caption id="attachment_16130" align="alignnone" width="1024"] 村で開かれていた塾。経営していたのは学校の先生。[/caption]   ● 戦争が奪った日常   「借金があるんだ」と、シリアに住む友人からメッセージがありました。   その額は、戦前のシリアの平均月収の20ヶ月分。 僕にとっても安い金額ではありません。   長引く戦争で、シリア国内の物価が10倍になっています。 その結果、日々生きることにかかるお金が足りていないのです。   家族のいる日本人が、月収3〜4万円で生活することをイメージしてもらえれば、その大変さが身近に感じられるのではないでしょうか?   結果、彼らは国外で働いて、国内へ仕送りをしたり、借金をしながらの生活を余儀なくされています。   ある人からは「家族を養うために、ダーイッシュ(IS)の兵士になる人もいたよ」と聞きました。   物価が高騰し、給料が出ないような、困窮した国内での生活の中で、 海外からお金が援助されているとされる、ダーイッシュなどの武装勢力の兵士になることは、 「生活のため」「家族のため」にお金を稼ぐ、ひとつの手段でもあったのです。   [caption id="attachment_16133" align="alignnone" width="1024"] トルコ南部のあおぞら市場。トルコ語とアラビア語が書かれている。[/caption]   ● 中東の難民キャンプには、難民がいない。   トルコで出会ったシリア人が僕に言いました。   「家族とは数年、会えてない。俺たちがここで稼いで送金しないといけないから帰れもしない。  そして、この国で、俺たちの立場は安定していない。政府次第で、働けなくなるかもしれない」   シリア人が最も多く住むトルコには、シリア難民の支援活動をしている国際協力団体が非常に多くあります。 その国際協力団体で働くシリア人の給料は、トルコのレストラン等で働く給料の数倍と言われ、 また、その活動自体に意義と魅力を感じる人も多く、 「最も人気な就職先」です。   しかしながら、2017年6月に訪れた際に聞いたのは、 「数ヶ月前から、非常に有名な国際協力団体を含めたシリア支援団体が、トルコで活動できなくなった」という情報でした。   国際協力団体を通じて、テロ組織や武装勢力にお金が流れているのではないか?という疑いがあったためだとされています。 また、教育に関わる支援活動にも制限ができたとも聞きました。   学校も、シリア人によるアラビア語での授業がなくなり、トルコ語での授業だけになっていくそうです。   トルコでは、シリアから逃げてきた人たちのことを「難民」と表現しません。  「ゲスト」と言うそうです。 「難民」と認定すると、保護の義務が生じるからです。   ヨーロッパで「難民」と認定されると、語学の研修や家の補助、社会保障などに加えて、数年住むことで国籍を得られるなどの保護が得られます。 トルコ・レバノン・ヨルダン・イラクなどでは、そうした保護がありません。 (食料やテントなど、人道的な面での保護はしています)   なので、そうした国々にある「難民キャンプ」にいる人たち、「都市難民」と言われる人たちは、 正確には難民ではなく、立場的には「Asylum Seeker」(≒亡命希望者)と言われています。   こうした状況の中で、「自分たちの子どもには、このような不安定な立場でいてほしくない」と、 死を覚悟して海を越え、ヨーロッパに向かう人たちが多くいたのです。   [caption id="attachment_16132" align="alignnone" width="1024"] 難民キャンプ内には八百屋、雑貨屋、仕立て屋、携帯ショップなどもある[/caption]   ● 各国の「難民」の仕事事情   難民でもない彼らは不安定な中で、仕事を探しています。   トルコでは、仕事ができるとは言え、状況が二転三転します。 また、シリア人を雇う場合、その3〜5倍の数にトルコ人を雇う義務が課せられていると聞きました。   ヨルダンでは、シリア難民の労働が認められていません。 隠れて非合法に仕事をしたり、バレにくい子ども達に働いてもらうようせざるを得ませんでした。   この理由の一つに「エジプトからの出稼ぎ労働者に発給する労働ビザ」が国家の収入になっているから、という話を聞きました。   イラク北部の難民キャンプでは、キャンプの入口に車がやってきて、 「工事現場での仕事、5人」などと言って日雇いの仕事をする人を探していました。 僕が泊まったアルビルのホテルにも、シリア人が2人、働いていましたので、仕事はできるようです。   レバノンでは、難民となっている人たちとは会っていませんが、 シリアに住んでいた時の村の友人達が「出稼ぎ」という立場で住んでいまして、 その友人は、レバノンの村役場に行って、仕事を斡旋してもらっていました。   [caption id="attachment_16131" align="alignnone" width="1024"] 不発弾は地雷になってしまう。子ども達が誤って触らないようにする教育が必要[/caption]   ● 戦争が終わる日を望んで   戦争は「当たり前の中にある幸せ」を奪っていきます。   家族と共にいること。 仕事より優先して、毎日のご飯を一緒に食べること。 そんな「毎日の当たり前の中にあった幸せ」を、 「叶わない夢だ」と言わせてしまうものが、シリアで起こっている戦争です。   今もなお、戦闘状態は続いていますし、 この先、どうなっていくかは、本当にわかりません。   「そんなシリアの人たちのために、できることがありますか?」と聞かれた時、 僕が伝えていることのひとつは、「あなたの大切な人を大切にしてほしい」ということです。   そして、余裕があれば、 僕らや、シリアの人たちのために行動している団体のイベントに足を運んでもらったり、 無理のない範囲で、寄付をしてもらって、活動を応援してもらえたら嬉しく思います。   僕が実際に活動を見て来た団体のリンクも貼っておきますので、ご参考にしてもらえればと思います。   サダーカ シリアで活動していた青年海外協力隊を中心に活動。日本のシリア支援団体のまとめ役。 戦争を止めることを目指した啓蒙活動を行なうほか、ヨルダンのシリア人家庭をサポート。 国会議員向けの勉強会や、シリア人の受け入れに伴う、大学同士の連携を作ってらっしゃいます。   パルシック トルコ南部の村々を中心に、現地の人目線での活動を行なっており、規模は小さいけれど、他の団体と連携しながら、今だけでなく未来につながる自立支援を実施しています。新たに、レバノンでも事務所を開いて、活動を開始してらっしゃいます。   JIM-NET 医療系のNGOで、イラクを中心に活動。ヨルダンでも障害者支援や障害者スポーツなどを実施。一人ひとりの命に向き合った活動が印象的。子ども達のアート作品を用いたチョコレート募金など、スポーツ・アートを交えた活動をしてらっしゃいます。   AAR トルコ南部で、コミュニティセンターを作り、学びの場・憩いの場を生み出したり、イスタンブールの都市難民支援やギリシャでも活動されています。僕が訪れた際に、働くシリア人スタッフが「ここで働くことが誇りだ」と言っていたのが印象に残っています。     KnK ヨルダンの教育支援を行なっており、ヨルダン人とシリア人の子ども達同士で交流できる場を作ったり、ザータリ難民キャンプ内でイベントを行なったり、心に寄り添う支援をされていらっしゃいます。   Watan シリア人が作っているトルコ南部にあるNGO。トルコだけでなく、シリア国内の教育支援、食料支援、医療支援など、多岐にわたる支援を提供しておられます。 僕たちも8月11日(金)に大阪でイベントを致します。 募金も受け付けておりますので、是非、宜しくお願い致します。           ...

  アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   先日からお伝えしましていますが、8月11日(金)に、報告会を大阪で実施することになりました。 是非、この動画だけでも見てもらえたら!   気になった!と思ったら、周りの方にシェアをして頂けたら嬉しく思います。 僕もUAEから戻り、このイベントでお話もさせていただきます。   ● アラビア語でのご挨拶   冒頭に使わせていただいております「アッサラーム・アライクム」。   日本人の感覚で喩えるならば、英語で言うところの「Hello」に近く、朝昼晩に関係なく、使われます。   まず、会った時に「アッサラーム・アライクム」から始まり、 「元気か?最近なにかあった?家族は元気しているか?」という所までがご挨拶。   「アッサラーム・アライクム」は直訳すると「あなたの上に、平和がありますように」となり、 なんとも穏やかな挨拶だなぁと、しみじみ感じます。   「サラーム」が「Peace」と言う意味なのですが、 「さようなら」にあたる挨拶に「マァッサラーメ」(With Peace)だったり、 「サラマート」(サラームの複数形)だったりして、 「Peace」はとても身近な言葉です。   イスラム教徒の人たちと話していると、 「今、イスラム教徒に対して、怖いとか、危険だとかを感じさせるニュースが多いけれど、  俺たちは、平和を愛してるんだ」 と悲しそうに言います。   本当にごく一部の人たちによる悪行が、こうしてイメージを変えてしまっているのは悲しく思います。   メディアの情報を鵜呑みにするのではなく、 できる限り、実際に話をして、肌で感じることがすごく大切だなぁと常々思います。   ● 「アッサラームアライクム」とイスラム教   2016年12月、シリアの村の友人達に会いに、レバノンに行った時の話です。   レバノンは宗教が入り乱れている国で、 「各宗派に政治権力配分がなされ、バランスの確保に意が用いられている  (大統領 マロン派、首相 スンニ派、国会議長 シーア派)」(外務省HP) という状況です。   僕が行った場所も、シーア派やキリスト教の人たちが住む場所でしたが、 そこに住む、僕の友人のシリア人はスンニ派です。   彼は「難民」と言う形ではなく、「出稼ぎ」に近い形で、家族とレバノンに住んでいたので、この場所も自分で選んだようでした。 また、彼の親戚が、何世帯か近くにいることも、一つの選んだ理由だと思います。   そんな宗教・宗派が入り乱れる場所でしたが、彼の家にキリスト教徒であるレバノン人の政治家がやってきてお茶を飲んだ後、一緒に近所のシーア派のレバノン人家族の家に行って、これまたお茶をほっこりと飲んだりもしました。   シーア派とスンニ派の違いについて説明するには、僕の知識が乏しいのですが、 そのうちのひとつとして、「シーア派は偶像崇拝を禁止していない」ということが挙げられます。   なので、そのシーア派のレバノン人の家には、イマームの写真や、顔の描かれていない預言者ムハンマドも描かれている絵が飾られていて、不思議な感じがしました。   こうして宗教が入り乱れる場所に来たので、シリア人の友人に 「”アッサラームアライクム”って、イスラム教の挨拶だよね?  パッと見ただけだと、キリスト教徒なのか分からないんだけど、どうやって挨拶したら良いの?」と尋ねました。   世俗国家であるトルコでは、宗教性を感じさせる「アッサラームアライクム」の代わりに「メルハバ」を使う、と昔聞いたことがあるからです。 また、先ほどの話の中でも触れましたが「アッサラームアライクムはイスラム教の挨拶」という話が出てきたことも何度もありました。   しかし、彼は、 「”アッサラームアライクム”はキリスト教徒にも使って大丈夫だよ。  ”アッサラームアライクム・ラハマトゥッラーワバラカート”まで言うと、イスラム教徒だけの方がいいけどね」という返事でした。   言われてみると、人口の20%がイスラム教徒であるシリアでも、「アッサラームアライクム」と言って、他宗教を排斥しているという話になったことはありませんし、イスラム教徒ではない僕がこの挨拶を使ったことで問題が起きたことはありませんでした。   彼の意見と、自分のわずかな経験に依存する形で恐縮ではありますが、 この「アッサラームアライクム」という言葉の持つ意味がすごく好きで、 宗教性を出したいわけではなく、あえて、この挨拶を冒頭に使わせていただいております。   戦争状態になってしまったシリアに「平和が訪れますように」という想いも込めて。   私たちの活動は、小さいものではありますが、 「アッサラームアライクム」という言葉の力を信じて、 平和のために、少しずつ進んで参りたいと思います。   シリア支援団体 【Piece of Syria】の活動報告会@大阪。 シリアを知る、教育支援を知る、難民を知る、そして一歩を踏み出す勇気がもらえるイベント!   【日時】2017年8月11日(金)  10:00〜11:50 (9:45〜開場) 【場所】梅田 Blue+ ブルータス5階(各線梅田・大阪駅から徒歩 7〜15分) 【申込】http://www.kokuchpro.com/event/pos_2017_8_11/ 【主催】シリア支援団体 Piece of Syria ...

アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   前々回は、シリア国内の「勢力図」の変化について、 前回は、シリア国内における「生活面」の変化について話して来ました。   今回は、アサド政権に関するシリアの人たちの心についてをお話しします。   僕は2015-7年の間に、ヨルダン、トルコ、イラク、ギリシャ、フランス、スウェーデン、レバノン、イタリア、ドイツ、イギリスを訪れ、その中で、僕が出会ったシリアの人たちから話を聞かせてもらいました。   [caption id="attachment_16102" align="alignnone" width="300"] シリア人からもらった「わかりやすく書いた勢力図」(2015年時点)[/caption]   ● 複雑なシリアの国内事情   先日、池上彰氏が番組で「シリア国内は今は三つ巴で…」と解説していました。 僕が以前、書かせて頂いたように、3つどころではありません。   あるシリア支援活動をされてきた方は、その話を聞いて「一桁違うね」と仰っていましたが、 それほどに、シリア国内における勢力争いは複雑です。   政府軍、反政府軍、アルカイダ系組織、ダーイッシュ、クルド軍、民兵、数あまたの小さな組織や海外に作られた組織、そして、それらの後ろには様々な海外の政府・組織・企業などがついているとされています。   トルコ政府は国内でクルド人と武力弾圧をしており、 その関係でシリア国内・イラク国内にクルド人の地域を作らせないように動いていたり、 一方でダーイッシュ掃討に非常に大きな成果を上げているクルド人部隊を支援したい国々も多くいます。   トランプ政権になってから中東における覇権をロシアに渡そうとしているような動きが見てとれますし、 そうした大国・周辺国の動きは時期により異なってきています。   もちろん、その動きは「シーア派」「スンナ派」などで分けれるものでは決してありません。   また、シリアの騒乱の原因となったものは、「自由を求める市民による民主化 vs それを弾圧する独裁政権」と言ったような対立構図とは言い難く、と言うのは、シリア国外からの働きかけは多くの文献で指摘されています。   その「働きかけ」の一つが、お金の動きです。 不自然な「お金持ち」のシリア人が現れているという話を耳にします。   そうした人たちにとって、あるいは軍需産業など戦争がビジネスになる企業・政府にとっては、戦争が続くことが望ましいと言えるわけです。   武力紛争という混沌を求める人たちがいるならば、平和への道のりが非常に困難であると言わざるを得ません。   [caption id="attachment_16109" align="alignnone" width="768"] 戦争前のダマスカスの街角[/caption] ● 単純化しないこと   さきほどと同じ番組で、政権側がサリンを使用したという「疑惑」も 「事実」として伝えていました。   数年前も、「化学兵器を使用か?」という本文を読み込めば「まだ分かってないんだ」とわかることも、 センセーショナルな見出しだけを見て、「使用した事実」へと歪曲されていたことがありました。   池上さんの番組は、僕もよく見ますし、現場へ直接赴き、話を聞く方だと耳にしますが、 それでも、シリアに関しては、このようなことが起こっています。 メディアから情報を得る際は、本当に気をつけていただければ嬉しいです。   確かに、そういう「見方」や「意見」が”あること”は事実です。 しかし、その見方が事実とは、まだ断言ができないのです。   そうした「数多あるうちの一つの意見」(しかも誤報であるかもしれないもの)で作られた世論が、平和を遠ざけ、戦争を助長する可能性もありますので、気を付けて情報を見ていかないといけないと思います。 それは、僕自身にも言えることなので気をつけたいと思います。   繰り返しになりますが、シリアで起こってきたこと、起こっていることを、 僕自身が理解しているとは決して思いません。 ですが、平和な頃のシリアに住み、多くのシリアの人たちの話を聞いてきたことで分かる「複雑さ」は理解していると思います。   「単純化しないことに勝る理解がない」というのが、僕の考えです。     [caption id="attachment_16108" align="alignnone" width="1024"] レバノンの幼稚園と小学校。生徒はシリア人とレバノン人が半分ずつだった。[/caption]   ● シリアはアサド政権をどう思っているのか?   「アサド大統領について、政権について、どう思うのか?」   これは、すごく繊細な質問になりますし、誘導尋問になる可能性を危惧して、 僕から率先しては聞かないようにしていました。   逆に、シリア人から聞かれることもありましたが、 僕自身も、明確な答えを避けるようにしていました。   しかし、彼らが想いを吐露してくれることもありましたし、 流れで話題になることもあって、意見を聞くことができました。   メディアでよく出てくる日本人ジャーナリストの方々は、 反政府の意見だけを取り上げていますが、 僕のように多くの国でシリアの人たちから、話を聞けば聞くほど 「いろいろな意見がある」ことが、実は分かります。   僕の数少ない経験ではありますが、 とりわけ、政府支持の話を聞くことが多かったのはレバノンで、彼らは英語を話せませんでした。   一方、ヨルダン・トルコでは、反政府の話を聞くことが多かったです。 偶然かもしれませんが、英語を話す人も多く、レバノンと比べて、支援をしている日本人も多くいる国です。   政権によるプロパガンダを指摘する人も多くいますが、 逆に、反政府軍によるプロパガンダを指摘するシリア人達もいるのです。 (つまり、反政府軍をサポートしている国々のメディアが協力していると推測できます)   また、「革命」を支持しつつも、かつてのアサド政権による政策を高く評価する人もいました。 アサド政権下で、教育・医療・治安などといった面で、豊かな生活があったからです。   「ただ、話す自由だけがなかった。  しかし、今のような状況になると知っていたら、革命を支持なんてしなかっただろう」   と僕に訴えるシリア人は1人や2人ではありませんでした。   何をお伝えしたいかと言うと、これも先ほどと同じで、「単純化しないこと」です。   シリア人の中にも、様々な意見があります。 支持する声も、反対する声も。   アサド政権を手放しで称賛することはできませんが、 同時に「アサド政権による弾圧に、すべてのシリア市民が苦しめられている」という単純な話でもないのです。   [caption id="attachment_16105" align="alignnone" width="1024"] スウェーデンの街中にはアラビア語が。イラクからの難民として来た人たちが作ったお店が並ぶ。[/caption]   ● シリアの人たちが望んでいることは   シリアの人たちを苦しめているものは、この戦争状態に他なりません。   2200万人ほどだった人口のうち、500万人近くが国外へ、国内では630万人ほどが国内避難民となり、 シリア国内では、物価が10倍、治安の悪化、インフラ・教育・医療システムの破壊により生活が困窮しています。   なにより、「家族で一緒に過ごす」というシリアの人たちが最も求めている「当たり前の中にある幸せ」が、「叶わない夢だ」とつぶやきます。   戦争が終わってすぐ、シリアの故郷に戻れるわけではありません。 ですが、彼らの望みは「戦争が終わること」です。平和です。   決して「難民として」良い生活をしたいとは望んでいません。 「かつてのシリアの方が、ヨーロッパよりも豊かだった」と懐古するほどでしたから。   何年か前に「そうだ、難民しよう」という日本人が書いた風刺画が、 世界のメディアで取り上げられて、大悪評を呼びましたが、 「ヨーロッパに難民になる」のは、望みではなくて、 「まだマシ」な選択肢として、仕方なく選んでいるということは、話を聞いていくと見えてきます。   「ヨーロッパで難民になることを望んでいるシリア人」はいるでしょうが、 少なくとも僕が出会った100人超の中には、ただの1人もいなかったのは事実です。   ヨーロッパで住めることになったシリアの人たちは口を揃えて「この国に感謝している」と述べていましたし、ヨーロッパの生活がダメだと言うわけでは決してありません。   ただ、お伝えしたいのは、 多くのシリアの人たちにとっての望みは「ヨーロッパで生活すること」ではなく、 「シリアで家族と平和に暮らすこと」なのだ、ということです。   多様な意見があることを知っていただきながら、 みなさんと一緒に「平和」について考えていければ、行動をしていければと願っています。   2017年(今年)8月11日に、大阪でイベントを企画する予定です。 是非、そこで皆さんとお会いして、お話しができれば嬉しく思います。   ...