シリアでは2011年の戦争勃発以来、多くの人々が難民として不安定な生活を続けており、依然として拡大傾向にあります。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2021年1月時点で、557万人のシリア難民が存在します。
※出典:UNHCR https://data2.unhcr.org/en/situations/syria
イラク、ヨルダン、トルコなど避難した国によって、受けられる支援や就労の権利、教育などは異なります。難民というと、難民キャンプのイメージが強いですが実際はキャンプはほとんどなく、家賃を払って生活しています。
またシリアには国境を超えて避難した「難民」だけでなく、シリア国内で避難生活を送っている「国内避難民」も存在します。国内避難民は政治的な複雑さもあり、難民よりも支援が届きにくいと言われています。
なぜ彼らは難民になったのか。僕、Piece of Syria代表の中野は、中東・欧州10カ国で、難民となったシリアの人や支援団体の人たち100人以上と話をしてきました。その結果、難民になった理由は一人ひとりまったく異なるのだと気づきました。
episode 1
隣国ヨルダンに、
週末旅行に行っただけで
数時間で行ける隣国ヨルダンに、バック1つで週末旅行に行ったところ「帰ってきたら危ない」と言われ、そのまま2年ヨルダンで過ごしたんだ。シリアでは難民支援の仕事をしていた(シリアは元々難民を受け入れている国)が、ヨルダンで難民が働くことができなくなった。それでエジプトに行ったけど、エジプトでも働けないとなったので、借金をして地中海を抜けてイタリアへ。10日の航海のうち最初の3日で食料が、7日目に水も無くなった。イタリアの海岸近くでボートが転覆したがイタリアの警察に助けられた。陸路でスウェーデンまで行き、難民申請をしたんだ。「夢なんじゃないか」と思いながら毎朝目が覚める。でも、これが現実。スウェーデンには感謝しているが、シリアの方が豊かで全てがあった。帰りたいよ。
episode 2
徴兵から逃れたくて
「シリアには元々宗派・宗教の争いなんてなかったんだ。ニュースを見て、この戦争は宗派の争いだと知ったよ。」
「兵士になると友人や親戚を殺すことになるかもしれないし、自分も殺されるかもしれない。徴兵から逃れたくて僕は難民になったんだ。」
episode 3
子どもの達の
教育のために
(シリア国内で戦闘が激しかった頃)危険だったのでトルコに逃れました。だけど、トルコでは仕事がないと生きていけません。ゆっくりと見知らぬ土地で死ぬくらいなら、故郷で死ぬか、死んでも良いからヨーロッパを目指そうか、と思っていました。ヨーロッパでは難民として認められたら永住権も得られます。子ども達の教育のためにも永住権の取れない国で不安定な生活はできないです。
「難民」という人はいません。難民とはアイデンティティではなく、風邪のような状態だと考思います。例えば10年前は彼らは「難民」ではないし、ひょっとしたら明日にでも「難民」ではなくなるかもしれない。「難民」という言葉の中には「支援すべき対象」という意味が含有されおり、外部から見た時に分かりやすく認識できるようになっています。
でも僕らがやりたいのは「難民」の支援ではなく、僕たちが好きになった「シリアの人たち」のお手伝いです。シリアの人たちは現状を変える力があります。だけど、それができない障壁や環境があり、その力を発揮できていないとするなら、発揮できるお手伝いを私たちはしていきます。