殺人発生率
2.17%(2011年)[1]
初等教育就学率
99.6%(2011年)
食糧自給率
100%
医療費
無料
※[1]出典:UNODC。日本の2002年時点の犯罪率は2.3%、犯罪件数は1.10件/10万件。
戦前のシリアは、今のイメージとは真逆の安全で豊かな国でした。2011年の初等教育の就学率は99.6%で、ほとんどの子ども達が小学校に行くことができましたし、教育水準も高く、大学まで授業料は全て無料でした。また、食料自給率が100%超える農業大国で、美味しく安い野菜や果物が手に入り、シリア料理も美味しいと評判でした。
平均して昼の2時まで働けば家族10人が暮らせるほど収入は高く、2時には仕事を終え、家族皆でご飯を食べ、昼寝をするのが一般的です。晩ご飯の後には「サマル」という『日が暮れたあと夜遅くまで友達や大切な人と楽しく過ごす時間』を楽しみます。時間と人のつながりを感じる豊かな生活を送ることができました。
「日本は落とし物が返ってくるから治安は良い」と考える方も多いと思いますが、僕が青年海外協力隊としてシリア北部で生活していた2年間、腕時計・携帯電話・カメラ・現金の入った手帳などを落としましたが、全て返ってきました。
首都でさえ真夜中に歩いても身の危険を全く感じませんでしたし、体感的には「日本より安全」と感じました。
「当たり前」だったことが、
「叶わない夢」に
2011年3月、東日本大震災と同じ頃、シリアで戦争が始まりました。
「すぐに終わる」
私だけでなく、シリアの人たちもそう思っていました。
しかし終わるどころか、大国が大きく関与し、テロリストも続々と活動を活発化させ、泥沼化していきました。ニュースでは分からない彼らの現実に不安を覚え、私はシリア周辺国やヨーロッパを訪れ、シリアの人たちや支援団体から話を聞くことを始めました。
ヨルダンで仲良くなった、当時19才のシリア人の少年に夢を尋ねました。「僕の夢は家族でご飯を食べることなんだ。でも、その夢はきっと生きている間には叶わないと思う」と話しました。両親はシリア、兄弟は欧州や他のアラブ諸国に避難しているからです。しかし、「家族でご飯を食べる」というのはシリアでは「当たり前」のことでした。しかし、数年前まで「当たり前」だったことが「叶わない夢」になったのです。
episode
おもてなしの文化
ヨルダンの難民キャンプ内の通りを歩いていると、「どこに行くんだい?」と声をかけられ、自分のために入れていたであろうコーヒーを「私の部屋に入って飲んでいきな」と誘ってくれたり、「今から昼ご飯なんだ、食べていきなよ」と別の家に招待されて、遠慮しながら少しだけ食べていた僕の皿に大きな鶏肉をのせて「しっかり食べるんだよ」と笑顔で歓迎してくれました。
トルコでは、シリア難民でありながら難民支援の仕事をしているスタッフとご飯を食べに行った時に、こっそりと会計を済ませたら,大慌てで会計のところで値段を聞いて支払った分を返して「君たちはゲストなんだ!」と私たちにお金を払わせてくれませんでした。私が彼らのように自分が大変な状態になったら、こんな風に目の前の人をもてなすことができるだろうか?
シリアに住んでいた時も、そして難民となった彼らを訪れた時も、やっぱり彼らにはお世話になってしまう自分がいました。
シリアの戦争の現状は刻々と変化しています。シリア情勢については、東京外国語大学教授・青山先生の解説がオススメです。
また青山先生は私たちのYoutubeにもご出演いただき、シリア情勢について解説していただいています。