Posted at 23:02h
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へむり。,
クラウドファンディング,
経験談
by PiS
こんにちは!Piece of Syriaの中野貴行です。
昨日は、東京の外出自粛要請の発表がありました。
欧米・アフリカに住む友人から聞いていた状況の「始まり」が、
日本にやってきたような印象です。
世界各地で飛行機の便が減って、空港が閉鎖される中で、
海外にいた友人達も、多くが日本に帰国してきています。
僕も、できるだけ外出を控えたいと思いますが、
昨日のお昼、外出自粛の要請が出る前に、ある若者と会っていました。
トルコの西海岸イズミルにある、シリア難民支援団体「ReVi」で活動する菊地泰基くんです。
彼は今、トルコ人のビジネスパートナーと、
トルコに住むシリアの人たちの仕事を生み出す
クラウドファンディングを実施しています。
https://readyfor.jp/projects/ReVi
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@kikuchi_taiki(@kikuchi__taiki_)がシェアした投稿 - 2020年 3月月18日午前2時33分PDT
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イズミール〜レスボス島、訪問記
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僕がシリア難民の人たちを訪ねる旅の中で、ReViも訪れたことがあります。
家庭訪問にも同行させてもらいました。
またイズミールは港町です。
トルコからヨーロッパに向かう「難民希望者」が経由地として有名になりました。
2016年に訪れた際には、アラビア語の表記や、
密航のための救命道具などが売られていました。
僕はその後、レスボス島というトルコのすぐ近くにあるギリシャの島を訪れました。
MITILINIと書いてあるのが、レスボス島。ここからギリシャ本土、マケドニアを経由してドイツに向かう
ヨーロッパがまだ受け入れをしていた時期だったのでアラビア語の看板がありました。
ギリシャのレスボス島。その半年後にまた訪れた際には、難民の受け入れを禁じ、こうした看板は消えていた
トルコのイズミールにいると、ヨーロッパに向かおうとする人たちもいますが、
そこに住み続けようとしている人たちもいました。
農業経験のあるシリアの人たちを季節労働者として雇っている人たちもいて、
トルコ人NGOが、消費期限が迫った商品を企業から寄付してもらって配布する活動にも参加させてもらいながら、
シリアの人たちに話を聞いたりもしました。
「バルカンルート」と呼ばれる、トルコ・ギリシャからのヨーロッパに向かうルートは、
しばらく落ち着いていたのですが、
今年2020年2月にトルコが欧州越境を容認したことから、再びギリシャに殺到してる状況だそうです。
トルコ ギリシャの国境に11万人超の難民 シリア男児が死亡 #nhk_news https://t.co/Qjjn734Xqd
— NHKニュース (@nhk_news) March 3, 2020
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無理せず、今できることを
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日本国内が大変な中で、世界で起きていることに目を向けることはとても難しいと思います。
寄付は施しとかじゃなくて、未来をつくる資本、共感や応援の資本として発揮されるといいな。世代によって考えは違うとは思うが、そうした方がそのお金の使い道に意味が生まれると思う。
— 今井紀明 寄付で経営するNPO代表 (@NoriakiImai) March 14, 2020
#経済を止めるな は消費行動だけじゃない。寄付も同じ。税金を支払うのもそうだと思う。自分で仕事を稼いで、意義を感じるところに選択して寄付をする。納税するのでもいい。選択肢は多様だ。選んで、自分の意志で #経済を回そう
— 今井紀明 寄付で経営するNPO代表 (@NoriakiImai) March 14, 2020
10年ほど前まで僕たちと同じような生活をしていたシリアの人たちも、支え合い乗り越えていっています。
紛争と制裁に苦しむシリアの若者だからこそできる新型コロナ感染予防のためのボランティア活動(青山弘之) - Yahoo!ニュース
新型コロナウィルスの感染拡大を防止するため、外出・移動制限を強化されるシリアで、住民、とりわけ高齢者に生活必需品を配送する試みが、若者のイニシアチブのもとで行われている。
彼のページを読んだり、共感してもらったら、シェアやご支援にご協力頂けたら嬉しいな、と思います!
https://readyfor.jp/projects/ReVi
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Posted at 20:54h
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へむり。,
経験談
by PiS
アッサラームアライクム!Piece of Syriaの中野貴行です。
今日は2009年3月に、僕が書いた文章をお届けします。
戦争前のシリアの教育事情や先生達の心情を知っていただけるかと思います。
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村の学校のシステム
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思い出話、というのは美化されるものなのかもしれない。
「あの頃はよかった」「俺の若い頃は」と。
しかし、男は巻きタバコの煙を燻らせながら、目じりに皺を寄せて言う。
「昔は子どもがたくさん死んでいた。学校に行けなかった。
だが、 今は違う。子どもは滅多に死ななくなったし、
ほとんどの子どもが読み書きを出来るんだ」
彼の名前はハルフ。A村の学校で教鞭をとる50歳だ。
A村は人口3千人程度の小さな村だが、周辺の村々から子ども達が集まる場所でもある。
それは、予防接種を受けるための保健センターがあることに加え、中学・高校があるからだ。
小さな村でも小学校があるのが今のシリアでよく見られることだが、中学・高校はやや大きな村に限られる。
そのため、A村には周辺の村々から子ども達が集まる。
とはいっても、小中高の学校の建物が分かれているわけではなく、
午前中に小学校の授業、午後に中高の授業がある、といった二部制である
(ただし、週交代で午前と午後は入れ替わる。つまり、午前に授業があった翌週は午後に授業があるのだ)。
朝は 7時半から始まり、午前の部も午後の部も 6 コマだ。
夏の間は 45 分授業で、 冬は 40 分授業に短縮される。
お昼ご飯に給食が出ることはなく、それぞれ家に帰るのだが、
学校の近くに雑貨屋さんがあり、そこでチップスやビスケット、ビズル(ヒマワリやかぼちゃの種)などの
お菓子を買って小腹を満たす子ども達も多い。
15 分の休憩時間になると、親から貰った 5SP(約 10 円)を持って雑貨屋になだれ込む。
学校の正面にある文房具屋さん。スナック菓子をフェンス越しに売るときも。
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兵士から先生へ
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ハルフ先生は、小学校で教えている。
しかし、15 歳の時の彼は高校に進まなかった。
貧しさのあまり働くしかなかったからだ。
隣国レバノンの首都ベイルートに行き、肉体労働をした。
その頃に結婚。そして 1971 年、最初の兵役へ(シリアでは徴兵制があり、2009年当時は1年9ヶ月間だった)。
彼は今まで4回の兵役、計5年間を兵士として過ごしており、
その間にイスラエルの飛行機を大砲で撃ち落としたこともある、と誇らしげに語る。
兵士時代の写真を見せてもらった
教師の資格を取ったのは25歳だった。
どこかの学校に通うことなく、仕事のすき間時間を使って、3年間かけて高卒の資格を得た。
「村で初めての高卒資格だったんだぞ」と黒く焼けた男は微笑む。
シリアでは高卒資格があれば小学校で教壇に立つことができるようで、
彼も先生として、村の学校で働くようになった。
また、彼は女性の識字教室の講師として働いていたこともある。
女性に読み書きを教える夜間学校で、2年間通えば、小学校卒業の資格も得られる。
村人から選ばれる講師にはシリア政府から月1000SPの給料が渡される仕組みだ。
識字教室を開く条件は15人の女性の応募者が集まること。建物は村の学校の教室を使う。
シリアは1970年の独立以降、学校・道・電気・文化センターなど生活インフラを整えて生活を改善させてきたが、
そうした姿勢はこのようなシステムにも見られる。
識字教室の様子。積極的に学ぶ村の女性達
どうして先生になろうと思ったのか。
尋ねると、子どものころからの夢だったんだ、という答えが返ってきた。
「それに年下の従兄弟のアフマドが先生だしね。悔しいじゃないか」と。
薄い紙に煙草の葉を包み、丸めた紙を唾で湿らせて、巻きタバコを作る。
火をつけ、煙を吸い込む。少し、咳き込む。
僕を見て、つぶやく。
「先生になって良かったって思うのは、
子どもが読み書きできるようになっていく、
その成長を見るのが幸せだからだよ」
授業の無い日は、野菜を育て、ウサギや鳥を狩り、湖に行って魚を獲る。
趣味と実益を兼ねた充実の毎日。
そして、今日も、未来を創る子ども達を前に、学ぶ喜びを伝えるため、彼は教壇に立つ。
(2009年3月)
今も、彼のような熱意を持った先生達が、「子ども達が未来だから」と、
高騰する物価の中で、給料がないままに働いている地域があります。
子ども一人の教育支援が、一ヶ月1000円で可能です。
是非、ご検討いただければ幸いです。
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Posted at 23:29h
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へむり。,
経験談
by PiS
アッサラームアライクム!Piece of Syriaの中野 貴行です。
Piece of Syriaには、きっかけになったシリアの女の子がいます。
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あなたが居たから夢が持てた
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青年海外協力隊として活動していたシリア北部。
活動先の、ある村に住んでいた当時12歳の少女は、いつも僕の活動を手伝ってくれていました。
彼女は僕に「子ども達の夢を叶える学校を作るのが私の夢なの。
だから、今、一生懸命勉強をして、お医者さんを目指しているの」と語ってくれました。
飛び級するほどに勉強をしていた彼女が語る夢に、素直に感動して、
「すごい!いい夢やね!キミならできるよ!」って伝えました。
ですが、その僕に「あなたがいたからよ」と彼女は言うのです。
「大人達は、そんなことできっこないって言う。夢なんて叶わない、って。
でも、あなたは、私ならできるよって言ってくれるでしょ?
だから私は夢を持つことができたの」と言ってくれました。
僕は「夢を叶える大人でありたい。
夢を追いかけていいって、子ども達に伝える大人でありたい」と思いました。
一緒に健康に関するポスターを作りました
Piece of Syriaの活動は、子ども達の夢を叶える学校を作り、夢を応援することです。
その原点にあるのは、いつか大きくなった村の少女に再会し
「今、子ども達の夢を叶える学校を作ってるよ。あなたのおかげで、僕は夢が持てたんだ」と感謝を伝えたい!という想いです。
そして、ご寄付やボランティアで協力してくださっている皆さんと、
「あなたのおかげで夢が持てた」という「あなた」となる経験を共有したいと願い、活動しています。
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言ってはいけない言葉
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その少女に、ある日、僕は怒られたことがあります。
「そんなこと、言っちゃダメ」と。
慣れないアラビア語の生活は大変で、
毎日のように、会話の中で新しい単語と出会います。
覚えた!と思っても、次の日には忘れたりします。
村に行くたびに、その子は僕に合わせたアラビア語の語彙を使ってくれて、
難しい単語を教えてくれたりしました。
日本語も積極的に覚えようとしてくれて、理由を尋ねると
「あなたがこの村に来た時に、リラックスできるようによ!」と
めちゃくちゃ嬉しいことを言ってくれます。
その日々の中、自分の記憶力に嫌気がさして、
「頭が悪いからなぁ。僕は全然ダメだ」って呟いたんです。
するとその子はたしなめるように、僕にこう言いました。
「ダメだよ。そんなことを言っちゃ!
言葉には力があるの。あなたはとてもスゴイ人よ。
でも『ダメな人』なんて言ってたら、本当にダメな人になっちゃうわ。
自分を信じてあげて。そして、私はあなたがすごいって知ってるよ」
かわいそうだから、じゃなく
シリアの人たちが素敵だから。
そんな想いを活動の軸にしているのは、
僕が出逢った、そうしたシリアの人たちがいるからです。
私たちについて
詳しくは投稿をご覧ください。
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Posted at 11:30h
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イベント,
経験談
by PiS
私たち、Piece of Syriaがサポートしているシリア人補習校に友人が訪問してくれました。
訪問記を書いてもらったので、是非、読んでくださいませ!
http://piece-of-syria.org/2018/11/26/schoolinturkey/
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現在、トルコ語の勉強のためトルコの大学に留学しているHです。
私はもともと難民に関心があり、トルコで暮らしているシリア人難民がどのように暮らしているのか実際に見てみたいと思っていました。
そして今回、知人の紹介で以前お会いさせていただいた中野さんにお願いし、ガズィアンテップにある2つのシリア人学校を訪問しました。
新しくできたシリア人学校の後、最初に造られた学校を訪問しました。
● 1校目:H、初めて日本語を教える
3月半ば、雨の降る中、ウサマさんの事務所からタクシーで移動しました。
ついた場所は1つの古いアパートの前。
「学校」と聞いていたのでグラウンド付きの白い建物をイメージしていました。
アパートに入ると、アパート自体が学校として使われていることがわかり驚きました。
以前は他団体が使っていた建物を学校として活用しているそうで、まだ壁が崩れている箇所、修復が必要な部屋などもあり、まだ完成してはないのだと感じました。
さて、子どもたちはというと5つほどの部屋でそれぞれ分かれての授業でした。
どの部屋も子どもたちでいっぱい!
長机に2,3人の子どもたちが座り、それが何列もある、という感じです。
私の会った先生方はアラビア語話者で、アラビア語の授業やイスラーム教の聖典クルアーンを読む授業が開かれていました。
私たちが教室に入ると(「お客さんだー!」という歓声は上がらなかったものの)、興味津々な目で私たちを見てきました。
「トルコ語が分かる人―?」という質問に元気に手をあげる子どもたちもいて、私の“Merhaba(トルコ語でこんにちは)”に一斉に答えてくれました。
一部の子どもたちは上手なトルコ語で私に自己紹介をしてくれました。
また、見学したうちの1つの教室で日本語を教える体験をさせてもらいました。
今まで外国人に日本語を教えたことがなく何をどのように教えればよいのか不安でいっぱいでしたが、あいさつと自己紹介を教えることにしました。
私はホワイトボードに「こんにちは」と日本語とトルコ語の単語を書き、中野さんにアラビア語で翻訳と説明をしてもらいました。それに加え、以前日本語を習っていたウサマさんにも説明に加わってもらいました。
あいさつと自己紹介を教えた後に、2人ペアを作って全員の前で発表してもらいながら練習をしました。
発表を挙手制にしたのですが、驚いたことにみんな一斉に手をあげ元気いっぱい!!
「僕が発表するんだ!」「私をあてて!」という気持ちが伝わってきて、誰を当てようかこちらが困るくらいでした…(笑)
あっと今に30分ほどが経ち、みんなと集合写真をとってお別れしました。
体験前は日本語にどんな反応を示すのか心配でしたが、子どもたちの楽しそうな姿にそんな不安もすぐになくなりました。とても楽しい30分間でした。
●2校目:学習環境の良し悪し
2校目は1校目とは違う構造で、正直に言うと学習環境は良いとは言えない状況でした。
というのも、大きなスペースを仕切りで4つに分けており、教室間の音が漏れている状態だったためです。
先生の声、生徒の声…大声でないと近くにいる人の声も聞こえない状況でした。
ちなみに、最初の学校をつくり、この騒音問題が見つかったため、2校目では1つの部屋を1つの教室にしたとのことでした。
実際に作ることで予期していない問題が見つかり、次の改善点になるのだとわかりました。
また、ここではトルコ語の授業、クルアーンの授業、数学の授業が行われていました。
残念ながら他用があったため2校目の滞在時間は数十分だけで、長く見学できませんでした。
●私が思うこと…
今回見学した2つの学校はともに生徒数が満員にもかかわらず、まだこの学校で学びたい子供たちがいるとのことでした。
だから、私が望むのは新しい学校ができ、他の子どもたちにも学びの機会が与えられることです。
同時に、彼らが平日通うトルコの学校での環境が改善されてほしいとも思います。
1校目を訪問した際、中には障がいを持つ子もいました。その子は、障がいのせいでトルコの学校に受け入れてもらえなかったそうです。
また、子どもたちの中にはトルコ語がうまく話せず学習進度についていけない、友達にいじめられるなどの問題もあるそうです。
このような問題がすぐに、また、完全に解決されることは非常に難しいと思いますが、彼らが毎日楽しく過ごせる日が一日も早く来てほしいです。
そして、私の教えた、たった30分の日本語ですが、子どもの時の楽しい思い出の1つになり、それをきっかけに、日本に興味を持ち、いつか日本に来てくれたら何よりの喜びです…!
最後に、今回学校の見学という貴重な機会を与えてくださった中野さん、ウサマさん、ありがとうございました。
また、ガズィアンテップを訪問して、子どもたちと触れ合いたいと心から思います。
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