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Piece of Syria(ピースオブシリア) | Blog
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アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   いよいよ明日、報告会イベントになります。 ありがたいことに、満員御礼!   …で   す   が   !!   増席を致しました! なので、当日ギリギリのご参加も承ります。   シリアにご関心のあるあなたに、 新しい一歩を踏み出したいあなたに、 夏休みの、どこかにお出かけの前に!     【日時】2017年8月11日(金)  10:00〜11:50 (9:45〜開場)   【場所】梅田 Blue+ ブルータス(各線梅田・大阪駅から徒歩 7〜15分)   【参加費】1000円   【詳細、申し込みはこちら】 https://www.facebook.com/events/1796624217316090/ http://www.kokuchpro.com/event/pos_2017_8_11/    そのメインで話す郁乃ちゃんが、「難民ナウ!」に出演しました!!! 「難民ナウ!」は、「難民問題を天気予報のように」をコンセプトに、2004年から京都三条ラジオカフェ(FM79.7MHz)で放送されている日本初の難民問題専門情報番組です。   運営されている、宗田さんとはヨルダンで初めてお会いして、 そのあと、京都で講演を聞かせて頂きました。   非常に情熱的に活動をされている方で、 こうしてご縁があったことを嬉しく感じています。   ちなみに、宗田さんは TEDにもご出演されています。 是非、こちらも御覧くださいませ!       ...

   夢や「やりたいこと」ってありますか?   ちなみに、僕は夢がずっと持てませんでした。 正確に言うなら、諦めていました。     大学受験や就職活動をしているときに、 「行けそうなところで、やりたいことは何だろう?」って考えていると、 あまりワクワクできませんでした。   就職してから、将来のことを考えていても、 なりたかった自分に向かっているとはどうしても思えず、 「やりたいことを見つける方法」の類の本をいっぱい読んだりしながら、 暗中模索の日々を送っていました。   ですが、 小学校の時の卒業文集には、こう書いていました。 「世界を幸せにするために働きたい。 戦争に使われるお金を、ジャングルの動物達や難民達のために使いたい」 決して、夢がなかったわけではありません。   ですが、「僕には無理」「どうせできない」って思い込んでいました。         ● 何もできない自分と向かい合った25歳   最初に就職した会社のやり方に、どうしても共感ができず、 これ以上いると精神的に耐えられない!と思って、会社を辞めて、 その3日後にはフィリピンのNGOでボランティアを始めました。   大学生の時に、一度、スタディツアーで行ったことがあり、 かつ会社員時代もずっと、週末ボランティアをしていた団体です。   その時は、日本に帰ったらどうしようか、全く白紙だったのですが、 幸い、出発前に受けていた青年街協力隊の試験に受かり、シリアに行くことが決まりました。   そして、2年間、みっちりとシリアにいて、僕の中に変化がありました。 それは、「自分がどこに所属しているとか、何ができるか、ではなく、僕と言う人間を見てくれている」 という環境のなかで、「僕が僕でいいんだ」ってことを知れたことです。   もう一つは、そんな彼らとコミュニケーションをしたい一心で取り組んだ語学です。 五教科で一番ダメだったのが英語の僕ですから、語学が苦手。 ましてやアラビア語なんて、どこをどう読むのやらサッパリでした。 ですが、毎日、町に出て誰かに話しかけ、村に行って泊めてもらって、会話に体を染み込ませ、 家でも移動中でも、ノートで反復しながら、単語をひたすら勉強する毎日を送っているうちに、 アラビア語が話せるようになりました。 それは一つの自信です。 能力がなくたって、素質がなくたって、続けてさえいれば、僕でも身につけられる、変われるって体験を通して知ることができました。   仕事も中途半端に辞めてしまって、自分に何かできるかとも思えず、何もできないと思いこんでいた自分に、 夢も将来も描けなくなっていた僕に、変化を、希望をくれたのが、シリアでの日々だったのです。 そして、シリアから帰国。 学校や旅イベントで講演活動をしたり、仲間達とイベントを企画したり、本当に毎日が充実していました。   26歳から28歳。シリアが僕を変えてくれました。 今、僕のやりたいことは明確です。   シリアが平和になって、子ども達が夢を追いかけられるようになること、 そして、世界で一番大好きな妻と一緒に時間を過ごすこと。 少しずつですが、シリアの人たちへの恩返しをやっていければ、と Piece of Syriaの活動を続けています。         ● 来てみないとわからない。行ってみないとわからない。   Piece of Syriaの活動を続けている最中、出会ったのが郁乃ちゃんです。 正確には4年前に出会っていたのですが、SNSでつながりながら、久々に再会したのが1年ほど前でした。   「手伝えませんか?」と声をかけてくれました彼女は、 僕と同じように「何ができるんだろう?」と感じていたようでした。   彼女が留学したりしていたのも知っていますし、数年前からの人柄も知ってますので、 「もったいない!」って思いました。 「めっちゃできるのに!」って。   案の定といいますか、郁乃ちゃんがPiece of Syriaの活動を本格的に手伝ってくれてから、助けられたことは数知れません。   ワクワクするとやりたくなる性分の僕が、散らかしてしまう思いつきのアイデアを拾ってくれたり、 写真展の準備のバタバタの期間も、本番の長丁場の間も、協力してくれるスタッフ達を取りまとめてくれて、掃除や整頓、接客まで幅広く対応してくれて、 郁乃ちゃんが居なかったら、どうなっていたんだろう?って考えるだけで、ヒヤッとします。   そんな郁乃ちゃんですが、シリアも、中東へも行ったことがありませんでした。 「僕を手伝う」という動機の先にあるシリアへの支援活動をしてくれていたのです。   シリアの中へ、今、行くのはあまりにリスキーですが、シリアの人たちと会ってほしい。 特に、Piece of Syriaがサポートする現地協力者のウサマさんに是非、直に会って話して行ってほしい、 って、ずっと思っていました。   その願いが叶い、郁乃ちゃんと、今年6月にトルコにいるウサマさんをはじめ、シリアの人たちに会いに行くことができました。   トルコでの日々の中で感じたものを聞いた時に、 彼女が力強く言った言葉が、 「来てみないと分からないですね。それだけは本当に言えます」でした。   自信に満ち溢れた表情の中に、 自信がなかったように見えた1年前の郁乃ちゃんからの変化を感じました。   来たる8月11日、彼女のその変化を感じてもらうイベントを企画しました。 もちろん、僕たちの活動についてもしっかりとお伝え致します。   皆さんと共に「来てみないと分からない」、そんな体験を共有したいと思います。   また、皆さんにも是非、一緒にトルコに、 そしていつかは、一緒に平和になったシリアに 行くことができれば嬉しいです。   そんなことにも想いを馳せながら、 来てくださったみなさまと色んなことを感じ、考える時間になりますように、 精一杯、準備を進めておりますので、また会場でお会いしましょう!         【日時】2017年8月11日(金)  10:00〜11:50 (9:45〜開場)   【場所】梅田 Blue+ ブルータス (各線梅田・大阪駅から徒歩 7〜15分)   【参加費】1000円   【詳細、申し込みはこちら】 https://www.facebook.com/events/1796624217316090/ http://www.kokuchpro.com/event/pos_2017_8_11/ ...

アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   ①では、シリア国内の「勢力図」の変化について、 ②では、シリア国内における「生活面」の変化について、 ③では、アサド政権に関するシリアの人たちの心についてをお話してきました。   今回は、シリアの人たちの仕事についてお話し致します。   ただ、今までと同様に、これも僕の経験に基づいた「ある時点の、一つの視点」としてのもので、 これが全てではありませんし、時期により変化しますし、統計的なものではないことはご留意ください。   [caption id="attachment_16129" align="alignnone" width="1024"] シリア南部の町の肉市場[/caption]   ● 紛争前の田舎の人たちの働き方   「なんのために、仕事をしていますか?」   と、聞かれたら、あなたはなんと答えますか?   きっと、どんな答えも正解だと僕は思っていますが、シリアで体験した仕事にまつわる話をします。   2008年。「シリアといえば、安全すぎて平和ボケをしてしまう国だ」と僕が常々言っている時期の話です。   住み始めたばかりの家で、シャワーの給湯器が壊れてしまいました。   直してもらおうと、大家さんのところに行きました。 大家さんは、修理する人に電話して、しばらく話したあとに僕に言います。   「今日は行けないんだそうだ。ブクラ(明日)な」と。   そして、翌日、再び大家さんのところに行きますが、またも「ブクラ」という返事。 昼間は暑く、水シャワーでも耐えられなくはないですが、さらに翌日もとなると、ちょっとひどい。   「昨日のブクラは今日だ!」と怒って、「そもそもどうして来れないんだ?」と理由を尋ねました。   すると、修理工の答えが、「今、家族とご飯を食べている」・・・と。   まだ昼過ぎ・・・。彼らにとって、仕事とは、家族のためにすることです。 だけど、仕事と家族との時間を天秤にかけた答えは、いつも家族なのでした。 ゆっくりと、家族とご飯食べてからで良いから、とお願いして、なんとか来てもらいましたが、 仕事よりも家族を優先する姿勢は、シリアに住んでいるとよく感じました。     ● 紛争前の失業率   田舎は仕事が少なかったようです。 僕の通っていたシリアの村では、若い男達は出稼ぎに行って、男性は子どもと老人たちだけで、あとは女性達しかいない家もちょくちょく見ました。   なんせ田舎ですので、女子しかいない家に、親戚でもない他人が入るのはよろしくないのですが、 村に入り浸って、信頼を勝ち取った外国人の僕はどうやら例外のようでした。    ヒジャーブを頭に被った若い女の子たちの女子会に手招きされて、 「誰が一番カワイイ?」なんて聞かれることも・・・。   男たちは、国内の都市や海外へ出稼ぎに行きます。 僕がいた当時、人気だったのはギリシャで、建築に関わる肉体労働で、国内の10倍の給料を得られる、と言っていました。   他にも湾岸諸国やエジプト・レバノンなどもありましたが、トルコは「仕事がない」という理由で出稼ぎに行く人はほぼいなかったです。 そんなトルコが今、最もシリア難民が住む国になっています。   また、公務員である学校の先生たちが副業をしている姿をよく見ました。 塾や文房具屋さんを経営していたり、薬局でアルバイトしていたり。   学校は午前か午後に分かれていて(午前が小学校、午後が中高になっていたりします)、 その空いている時間を利用して、副業をしていました。   なので、決して「失業率が低かった」とは言えません。   ですが、出稼ぎで半年ほど働いて、田舎に大きな家と外車を買って、半年の間は家族とのんびり暮らす、という『デュアルライフ』を送ることは、難しい選択肢ではないようでした。   また以前、お話ししたように、物価自体が安かったこと、教育・医療にお金がかからないこと、原油高騰をしたときも政府から配給や給料アップがあることなどから、彼らから生活苦を感じることは一度もありませんでした。   [caption id="attachment_16130" align="alignnone" width="1024"] 村で開かれていた塾。経営していたのは学校の先生。[/caption]   ● 戦争が奪った日常   「借金があるんだ」と、シリアに住む友人からメッセージがありました。   その額は、戦前のシリアの平均月収の20ヶ月分。 僕にとっても安い金額ではありません。   長引く戦争で、シリア国内の物価が10倍になっています。 その結果、日々生きることにかかるお金が足りていないのです。   家族のいる日本人が、月収3〜4万円で生活することをイメージしてもらえれば、その大変さが身近に感じられるのではないでしょうか?   結果、彼らは国外で働いて、国内へ仕送りをしたり、借金をしながらの生活を余儀なくされています。   ある人からは「家族を養うために、ダーイッシュ(IS)の兵士になる人もいたよ」と聞きました。   物価が高騰し、給料が出ないような、困窮した国内での生活の中で、 海外からお金が援助されているとされる、ダーイッシュなどの武装勢力の兵士になることは、 「生活のため」「家族のため」にお金を稼ぐ、ひとつの手段でもあったのです。   [caption id="attachment_16133" align="alignnone" width="1024"] トルコ南部のあおぞら市場。トルコ語とアラビア語が書かれている。[/caption]   ● 中東の難民キャンプには、難民がいない。   トルコで出会ったシリア人が僕に言いました。   「家族とは数年、会えてない。俺たちがここで稼いで送金しないといけないから帰れもしない。  そして、この国で、俺たちの立場は安定していない。政府次第で、働けなくなるかもしれない」   シリア人が最も多く住むトルコには、シリア難民の支援活動をしている国際協力団体が非常に多くあります。 その国際協力団体で働くシリア人の給料は、トルコのレストラン等で働く給料の数倍と言われ、 また、その活動自体に意義と魅力を感じる人も多く、 「最も人気な就職先」です。   しかしながら、2017年6月に訪れた際に聞いたのは、 「数ヶ月前から、非常に有名な国際協力団体を含めたシリア支援団体が、トルコで活動できなくなった」という情報でした。   国際協力団体を通じて、テロ組織や武装勢力にお金が流れているのではないか?という疑いがあったためだとされています。 また、教育に関わる支援活動にも制限ができたとも聞きました。   学校も、シリア人によるアラビア語での授業がなくなり、トルコ語での授業だけになっていくそうです。   トルコでは、シリアから逃げてきた人たちのことを「難民」と表現しません。  「ゲスト」と言うそうです。 「難民」と認定すると、保護の義務が生じるからです。   ヨーロッパで「難民」と認定されると、語学の研修や家の補助、社会保障などに加えて、数年住むことで国籍を得られるなどの保護が得られます。 トルコ・レバノン・ヨルダン・イラクなどでは、そうした保護がありません。 (食料やテントなど、人道的な面での保護はしています)   なので、そうした国々にある「難民キャンプ」にいる人たち、「都市難民」と言われる人たちは、 正確には難民ではなく、立場的には「Asylum Seeker」(≒亡命希望者)と言われています。   こうした状況の中で、「自分たちの子どもには、このような不安定な立場でいてほしくない」と、 死を覚悟して海を越え、ヨーロッパに向かう人たちが多くいたのです。   [caption id="attachment_16132" align="alignnone" width="1024"] 難民キャンプ内には八百屋、雑貨屋、仕立て屋、携帯ショップなどもある[/caption]   ● 各国の「難民」の仕事事情   難民でもない彼らは不安定な中で、仕事を探しています。   トルコでは、仕事ができるとは言え、状況が二転三転します。 また、シリア人を雇う場合、その3〜5倍の数にトルコ人を雇う義務が課せられていると聞きました。   ヨルダンでは、シリア難民の労働が認められていません。 隠れて非合法に仕事をしたり、バレにくい子ども達に働いてもらうようせざるを得ませんでした。   この理由の一つに「エジプトからの出稼ぎ労働者に発給する労働ビザ」が国家の収入になっているから、という話を聞きました。   イラク北部の難民キャンプでは、キャンプの入口に車がやってきて、 「工事現場での仕事、5人」などと言って日雇いの仕事をする人を探していました。 僕が泊まったアルビルのホテルにも、シリア人が2人、働いていましたので、仕事はできるようです。   レバノンでは、難民となっている人たちとは会っていませんが、 シリアに住んでいた時の村の友人達が「出稼ぎ」という立場で住んでいまして、 その友人は、レバノンの村役場に行って、仕事を斡旋してもらっていました。   [caption id="attachment_16131" align="alignnone" width="1024"] 不発弾は地雷になってしまう。子ども達が誤って触らないようにする教育が必要[/caption]   ● 戦争が終わる日を望んで   戦争は「当たり前の中にある幸せ」を奪っていきます。   家族と共にいること。 仕事より優先して、毎日のご飯を一緒に食べること。 そんな「毎日の当たり前の中にあった幸せ」を、 「叶わない夢だ」と言わせてしまうものが、シリアで起こっている戦争です。   今もなお、戦闘状態は続いていますし、 この先、どうなっていくかは、本当にわかりません。   「そんなシリアの人たちのために、できることがありますか?」と聞かれた時、 僕が伝えていることのひとつは、「あなたの大切な人を大切にしてほしい」ということです。   そして、余裕があれば、 僕らや、シリアの人たちのために行動している団体のイベントに足を運んでもらったり、 無理のない範囲で、寄付をしてもらって、活動を応援してもらえたら嬉しく思います。   僕が実際に活動を見て来た団体のリンクも貼っておきますので、ご参考にしてもらえればと思います。   サダーカ シリアで活動していた青年海外協力隊を中心に活動。日本のシリア支援団体のまとめ役。 戦争を止めることを目指した啓蒙活動を行なうほか、ヨルダンのシリア人家庭をサポート。 国会議員向けの勉強会や、シリア人の受け入れに伴う、大学同士の連携を作ってらっしゃいます。   パルシック トルコ南部の村々を中心に、現地の人目線での活動を行なっており、規模は小さいけれど、他の団体と連携しながら、今だけでなく未来につながる自立支援を実施しています。新たに、レバノンでも事務所を開いて、活動を開始してらっしゃいます。   JIM-NET 医療系のNGOで、イラクを中心に活動。ヨルダンでも障害者支援や障害者スポーツなどを実施。一人ひとりの命に向き合った活動が印象的。子ども達のアート作品を用いたチョコレート募金など、スポーツ・アートを交えた活動をしてらっしゃいます。   AAR トルコ南部で、コミュニティセンターを作り、学びの場・憩いの場を生み出したり、イスタンブールの都市難民支援やギリシャでも活動されています。僕が訪れた際に、働くシリア人スタッフが「ここで働くことが誇りだ」と言っていたのが印象に残っています。     KnK ヨルダンの教育支援を行なっており、ヨルダン人とシリア人の子ども達同士で交流できる場を作ったり、ザータリ難民キャンプ内でイベントを行なったり、心に寄り添う支援をされていらっしゃいます。   Watan シリア人が作っているトルコ南部にあるNGO。トルコだけでなく、シリア国内の教育支援、食料支援、医療支援など、多岐にわたる支援を提供しておられます。 僕たちも8月11日(金)に大阪でイベントを致します。 募金も受け付けておりますので、是非、宜しくお願い致します。           ...

  アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   先日からお伝えしましていますが、8月11日(金)に、報告会を大阪で実施することになりました。 是非、この動画だけでも見てもらえたら!   気になった!と思ったら、周りの方にシェアをして頂けたら嬉しく思います。 僕もUAEから戻り、このイベントでお話もさせていただきます。   ● アラビア語でのご挨拶   冒頭に使わせていただいております「アッサラーム・アライクム」。   日本人の感覚で喩えるならば、英語で言うところの「Hello」に近く、朝昼晩に関係なく、使われます。   まず、会った時に「アッサラーム・アライクム」から始まり、 「元気か?最近なにかあった?家族は元気しているか?」という所までがご挨拶。   「アッサラーム・アライクム」は直訳すると「あなたの上に、平和がありますように」となり、 なんとも穏やかな挨拶だなぁと、しみじみ感じます。   「サラーム」が「Peace」と言う意味なのですが、 「さようなら」にあたる挨拶に「マァッサラーメ」(With Peace)だったり、 「サラマート」(サラームの複数形)だったりして、 「Peace」はとても身近な言葉です。   イスラム教徒の人たちと話していると、 「今、イスラム教徒に対して、怖いとか、危険だとかを感じさせるニュースが多いけれど、  俺たちは、平和を愛してるんだ」 と悲しそうに言います。   本当にごく一部の人たちによる悪行が、こうしてイメージを変えてしまっているのは悲しく思います。   メディアの情報を鵜呑みにするのではなく、 できる限り、実際に話をして、肌で感じることがすごく大切だなぁと常々思います。   ● 「アッサラームアライクム」とイスラム教   2016年12月、シリアの村の友人達に会いに、レバノンに行った時の話です。   レバノンは宗教が入り乱れている国で、 「各宗派に政治権力配分がなされ、バランスの確保に意が用いられている  (大統領 マロン派、首相 スンニ派、国会議長 シーア派)」(外務省HP) という状況です。   僕が行った場所も、シーア派やキリスト教の人たちが住む場所でしたが、 そこに住む、僕の友人のシリア人はスンニ派です。   彼は「難民」と言う形ではなく、「出稼ぎ」に近い形で、家族とレバノンに住んでいたので、この場所も自分で選んだようでした。 また、彼の親戚が、何世帯か近くにいることも、一つの選んだ理由だと思います。   そんな宗教・宗派が入り乱れる場所でしたが、彼の家にキリスト教徒であるレバノン人の政治家がやってきてお茶を飲んだ後、一緒に近所のシーア派のレバノン人家族の家に行って、これまたお茶をほっこりと飲んだりもしました。   シーア派とスンニ派の違いについて説明するには、僕の知識が乏しいのですが、 そのうちのひとつとして、「シーア派は偶像崇拝を禁止していない」ということが挙げられます。   なので、そのシーア派のレバノン人の家には、イマームの写真や、顔の描かれていない預言者ムハンマドも描かれている絵が飾られていて、不思議な感じがしました。   こうして宗教が入り乱れる場所に来たので、シリア人の友人に 「”アッサラームアライクム”って、イスラム教の挨拶だよね?  パッと見ただけだと、キリスト教徒なのか分からないんだけど、どうやって挨拶したら良いの?」と尋ねました。   世俗国家であるトルコでは、宗教性を感じさせる「アッサラームアライクム」の代わりに「メルハバ」を使う、と昔聞いたことがあるからです。 また、先ほどの話の中でも触れましたが「アッサラームアライクムはイスラム教の挨拶」という話が出てきたことも何度もありました。   しかし、彼は、 「”アッサラームアライクム”はキリスト教徒にも使って大丈夫だよ。  ”アッサラームアライクム・ラハマトゥッラーワバラカート”まで言うと、イスラム教徒だけの方がいいけどね」という返事でした。   言われてみると、人口の20%がイスラム教徒であるシリアでも、「アッサラームアライクム」と言って、他宗教を排斥しているという話になったことはありませんし、イスラム教徒ではない僕がこの挨拶を使ったことで問題が起きたことはありませんでした。   彼の意見と、自分のわずかな経験に依存する形で恐縮ではありますが、 この「アッサラームアライクム」という言葉の持つ意味がすごく好きで、 宗教性を出したいわけではなく、あえて、この挨拶を冒頭に使わせていただいております。   戦争状態になってしまったシリアに「平和が訪れますように」という想いも込めて。   私たちの活動は、小さいものではありますが、 「アッサラームアライクム」という言葉の力を信じて、 平和のために、少しずつ進んで参りたいと思います。   シリア支援団体 【Piece of Syria】の活動報告会@大阪。 シリアを知る、教育支援を知る、難民を知る、そして一歩を踏み出す勇気がもらえるイベント!   【日時】2017年8月11日(金)  10:00〜11:50 (9:45〜開場) 【場所】梅田 Blue+ ブルータス5階(各線梅田・大阪駅から徒歩 7〜15分) 【申込】http://www.kokuchpro.com/event/pos_2017_8_11/ 【主催】シリア支援団体 Piece of Syria ...

今日は、以前ご案内していた報告会の詳細が決まりましたのでご案内させていただきます! みなさんと充実した時間を過ごせるような報告会にしますので、是非是非お時間あけて来て下さい! よろしくお願いします(^^)   『アラサー女子。未経験からのシリア支援〜私ができたこと、皆とできること〜』 Piece of Syria 活動報告会 20代、女子。契約社員。特技なし。 そんな私が向かったのは、何かと話題のトルコ、そしてシリア難民のおうちへのホームステイ! シリア人の知り合いもいなかった。 シリアに行ったこともなかった。 というか、中東に行ったこともなかった… けど、シリア国内に教育を届けに、トルコに行った。 そこで、出逢った人々、出来事、トラブルとは?!   行ってみないと分からない! やってみないと見えてこない!   シリアについて知りたいあなたに。 教育支援に関わりたいあなたに。 今の自分を変えたいあなたに。 何ができるか分からないあなたに。 1年前、何かを変えたくて、一歩を踏み出した私だから伝えられる、皆さんと作る活動報告会! メディアが伝えてこなかった、等身大のシリアの人たちの声と、 私たちの教育支援の活動報告をお届けします! UAE在住の発起人へむり(中野貴行)も、当日参加します。   【日時】2017年8月11日(金) 10:00〜11:50 (9:45〜開場) 【場所】梅田 Blue+ ブルータス5階 各線梅田・大阪駅から徒歩 7〜15分 ヨドバシカメラから徒歩 7分 大阪市北区芝田2丁目9番17号 マエダビル5階 https://bluetas.com/request1/access/ ※会場はお履物を脱いで入場していただく形になります。 【参加費】1000円 ・会場にて、Piece of Syriaオリジナルのポストカードやフォトブックも販売します! https://pieceofsyria.thebase.in ・終了後、アジア料理屋さんで懇親会! ご自身の食べた分のお支払をお願い致します。 詳細は下記、申し込みページにて! 【参加方法】 Facebookの参加ボタンを押すだけでは参加となりません。 お手数ですが、以下リンクにアクセスしていただき参加登録をお願い致します。 http://www.kokuchpro.com/event/pos_2017_8_11/ 【スピーカー】 ⚫︎小林 郁乃 Piece of Syria スタッフ 至って普通の派遣で働く27歳。 大阪生まれ長野の田舎育ち。 大学時代から国際協力や海外に興味があり、カナダ短期留学やフィリピンのスラム街でフィーディング・ファストエイドを行うボランティアに参加。 しかし、卒業後は全く国際協力とは関係のないオール電化の訪問販売の会社に勤めわずか2年で辞める。根性だけは誰よりもついたと自負。 その後、英語で仕事をしてみたいとオーストラリア留学を考え、アルバイトをかけもちしながら資金を貯め1年弱のシドニー留学を決行。英語資格取得のための勉強をしながら、地元レストランで仕事をしてみる。 帰国後、青年海外協力隊に応募するも不合格。興味があった国際協力系のNGOやNPOにエントリーするもことごとく不合格。 何もできない自分、その無力さに落ち込んでいる時、へむりさんと久々の再会。 報道されないシリア人の姿を知り、その支援をしているへむりさんの"僕らは微力かもしれないが、無力ではない"というコトバに導かれるように、何か手伝いたい・私にもできることがあるかもと思いたち直談判。 気づけばPiece of Syriaのスタッフになり、縁もゆかりもなかったシリアの支援活動を開始。 活動を真剣に続けるうち、そもそもシリア人のことは人づてにしか知らない・実際にどんな人たちなのか会ってみたいと思い、トルコまで会いに行くことに。 基本的に自信がなく特技もない私だが、このシリア支援を通して、シリアのことを何も知らない・知り合いもいない私だからこそできること、伝えられることがある。決して無力ではないんだと気づけた今日。 ⚫︎へむり。(中野 貴行) Piece of Syria代表 元シリア青年海外協力隊(2008〜2010)として平和なシリアの田舎に住み、難民の住む中東・欧州を訪ねた(2015〜17年)唯一の日本人。現在、UAEに日本企業の駐在員として生活をしながら、Piece of Syriaの活動を継続中。 シルクロードなど、41の国と地域を旅するなど、旅人のイベントでも活躍する他、学校での講演活動も行なっている。 【FB上イベントリンク】 https://www.facebook.com/events/1796624217316090/?ti=icl ※Facebookでの参加ボタンでは参加となりません。...

アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   前々回は、シリア国内の「勢力図」の変化について、 前回は、シリア国内における「生活面」の変化について話して来ました。   今回は、アサド政権に関するシリアの人たちの心についてをお話しします。   僕は2015-7年の間に、ヨルダン、トルコ、イラク、ギリシャ、フランス、スウェーデン、レバノン、イタリア、ドイツ、イギリスを訪れ、その中で、僕が出会ったシリアの人たちから話を聞かせてもらいました。   [caption id="attachment_16102" align="alignnone" width="300"] シリア人からもらった「わかりやすく書いた勢力図」(2015年時点)[/caption]   ● 複雑なシリアの国内事情   先日、池上彰氏が番組で「シリア国内は今は三つ巴で…」と解説していました。 僕が以前、書かせて頂いたように、3つどころではありません。   あるシリア支援活動をされてきた方は、その話を聞いて「一桁違うね」と仰っていましたが、 それほどに、シリア国内における勢力争いは複雑です。   政府軍、反政府軍、アルカイダ系組織、ダーイッシュ、クルド軍、民兵、数あまたの小さな組織や海外に作られた組織、そして、それらの後ろには様々な海外の政府・組織・企業などがついているとされています。   トルコ政府は国内でクルド人と武力弾圧をしており、 その関係でシリア国内・イラク国内にクルド人の地域を作らせないように動いていたり、 一方でダーイッシュ掃討に非常に大きな成果を上げているクルド人部隊を支援したい国々も多くいます。   トランプ政権になってから中東における覇権をロシアに渡そうとしているような動きが見てとれますし、 そうした大国・周辺国の動きは時期により異なってきています。   もちろん、その動きは「シーア派」「スンナ派」などで分けれるものでは決してありません。   また、シリアの騒乱の原因となったものは、「自由を求める市民による民主化 vs それを弾圧する独裁政権」と言ったような対立構図とは言い難く、と言うのは、シリア国外からの働きかけは多くの文献で指摘されています。   その「働きかけ」の一つが、お金の動きです。 不自然な「お金持ち」のシリア人が現れているという話を耳にします。   そうした人たちにとって、あるいは軍需産業など戦争がビジネスになる企業・政府にとっては、戦争が続くことが望ましいと言えるわけです。   武力紛争という混沌を求める人たちがいるならば、平和への道のりが非常に困難であると言わざるを得ません。   [caption id="attachment_16109" align="alignnone" width="768"] 戦争前のダマスカスの街角[/caption] ● 単純化しないこと   さきほどと同じ番組で、政権側がサリンを使用したという「疑惑」も 「事実」として伝えていました。   数年前も、「化学兵器を使用か?」という本文を読み込めば「まだ分かってないんだ」とわかることも、 センセーショナルな見出しだけを見て、「使用した事実」へと歪曲されていたことがありました。   池上さんの番組は、僕もよく見ますし、現場へ直接赴き、話を聞く方だと耳にしますが、 それでも、シリアに関しては、このようなことが起こっています。 メディアから情報を得る際は、本当に気をつけていただければ嬉しいです。   確かに、そういう「見方」や「意見」が”あること”は事実です。 しかし、その見方が事実とは、まだ断言ができないのです。   そうした「数多あるうちの一つの意見」(しかも誤報であるかもしれないもの)で作られた世論が、平和を遠ざけ、戦争を助長する可能性もありますので、気を付けて情報を見ていかないといけないと思います。 それは、僕自身にも言えることなので気をつけたいと思います。   繰り返しになりますが、シリアで起こってきたこと、起こっていることを、 僕自身が理解しているとは決して思いません。 ですが、平和な頃のシリアに住み、多くのシリアの人たちの話を聞いてきたことで分かる「複雑さ」は理解していると思います。   「単純化しないことに勝る理解がない」というのが、僕の考えです。     [caption id="attachment_16108" align="alignnone" width="1024"] レバノンの幼稚園と小学校。生徒はシリア人とレバノン人が半分ずつだった。[/caption]   ● シリアはアサド政権をどう思っているのか?   「アサド大統領について、政権について、どう思うのか?」   これは、すごく繊細な質問になりますし、誘導尋問になる可能性を危惧して、 僕から率先しては聞かないようにしていました。   逆に、シリア人から聞かれることもありましたが、 僕自身も、明確な答えを避けるようにしていました。   しかし、彼らが想いを吐露してくれることもありましたし、 流れで話題になることもあって、意見を聞くことができました。   メディアでよく出てくる日本人ジャーナリストの方々は、 反政府の意見だけを取り上げていますが、 僕のように多くの国でシリアの人たちから、話を聞けば聞くほど 「いろいろな意見がある」ことが、実は分かります。   僕の数少ない経験ではありますが、 とりわけ、政府支持の話を聞くことが多かったのはレバノンで、彼らは英語を話せませんでした。   一方、ヨルダン・トルコでは、反政府の話を聞くことが多かったです。 偶然かもしれませんが、英語を話す人も多く、レバノンと比べて、支援をしている日本人も多くいる国です。   政権によるプロパガンダを指摘する人も多くいますが、 逆に、反政府軍によるプロパガンダを指摘するシリア人達もいるのです。 (つまり、反政府軍をサポートしている国々のメディアが協力していると推測できます)   また、「革命」を支持しつつも、かつてのアサド政権による政策を高く評価する人もいました。 アサド政権下で、教育・医療・治安などといった面で、豊かな生活があったからです。   「ただ、話す自由だけがなかった。  しかし、今のような状況になると知っていたら、革命を支持なんてしなかっただろう」   と僕に訴えるシリア人は1人や2人ではありませんでした。   何をお伝えしたいかと言うと、これも先ほどと同じで、「単純化しないこと」です。   シリア人の中にも、様々な意見があります。 支持する声も、反対する声も。   アサド政権を手放しで称賛することはできませんが、 同時に「アサド政権による弾圧に、すべてのシリア市民が苦しめられている」という単純な話でもないのです。   [caption id="attachment_16105" align="alignnone" width="1024"] スウェーデンの街中にはアラビア語が。イラクからの難民として来た人たちが作ったお店が並ぶ。[/caption]   ● シリアの人たちが望んでいることは   シリアの人たちを苦しめているものは、この戦争状態に他なりません。   2200万人ほどだった人口のうち、500万人近くが国外へ、国内では630万人ほどが国内避難民となり、 シリア国内では、物価が10倍、治安の悪化、インフラ・教育・医療システムの破壊により生活が困窮しています。   なにより、「家族で一緒に過ごす」というシリアの人たちが最も求めている「当たり前の中にある幸せ」が、「叶わない夢だ」とつぶやきます。   戦争が終わってすぐ、シリアの故郷に戻れるわけではありません。 ですが、彼らの望みは「戦争が終わること」です。平和です。   決して「難民として」良い生活をしたいとは望んでいません。 「かつてのシリアの方が、ヨーロッパよりも豊かだった」と懐古するほどでしたから。   何年か前に「そうだ、難民しよう」という日本人が書いた風刺画が、 世界のメディアで取り上げられて、大悪評を呼びましたが、 「ヨーロッパに難民になる」のは、望みではなくて、 「まだマシ」な選択肢として、仕方なく選んでいるということは、話を聞いていくと見えてきます。   「ヨーロッパで難民になることを望んでいるシリア人」はいるでしょうが、 少なくとも僕が出会った100人超の中には、ただの1人もいなかったのは事実です。   ヨーロッパで住めることになったシリアの人たちは口を揃えて「この国に感謝している」と述べていましたし、ヨーロッパの生活がダメだと言うわけでは決してありません。   ただ、お伝えしたいのは、 多くのシリアの人たちにとっての望みは「ヨーロッパで生活すること」ではなく、 「シリアで家族と平和に暮らすこと」なのだ、ということです。   多様な意見があることを知っていただきながら、 みなさんと一緒に「平和」について考えていければ、行動をしていければと願っています。   2017年(今年)8月11日に、大阪でイベントを企画する予定です。 是非、そこで皆さんとお会いして、お話しができれば嬉しく思います。   ...

アッサラーム・アライクム! Piece of Syriaの小林です。 三連休の最終日ですね。 皆さま良いお休みを過ごしましたでしょうか。 先日、スタッフの武田さんとミーティングを行い、トルコであったこと・出会ったシリア人のこと・これからの活動についてなど色々なことを話し合いました。 その中でも、"シリア人のとんでもない優しさについて"の話しがでた時は盛り上がり、 武田さんのそう!そうなんだよ!あるあるだね!という相槌を聞けて、共感できることが増えて嬉しく思いました(^^) そして話してる中で、 シリア人はまさに無償の愛を持ってるよね。 この言葉に妙に納得しました。 何かの本で読んだのが 「無償の愛を持っている人は、境界線を意識していない。 ギブアンドテイクは、自分と他人の間に境界線を引っ張っているからこそ成り立つもので、境界なくみんなで1つと考えていれば見返りは求めないギブアンドギブの無償の愛を与えることができるのである。」 私が出会ったシリア人が実際にこのような考えを持っているかは分かりませんが 私は、相手に壁を感じさせないシリア人=無償の愛になるほどなと思いました。 見返りもなく、〜だから優しくするとかいう理由もなく、本当に当たり前のように助けてくれるシリア人。 そんな彼らについてもっと知ってほしいなということで報告会を企画しています。 日程は、8月11日(金)午前中になりそうです。場所は大阪梅田で考えています。 正式に決まり次第、ご連絡しますのでもうしばらくお待ち下さい。 その日は代表の中野もドバイから帰国しますので、是非お時間あけて来て下されば嬉しいです! 今回の報告会やこれからのイベント企画などでお手伝いしてくださる方々も募集しております。 お気軽にご連絡ください! よろしくお願い致します。...

アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   今日、Twitterで見たのがこちらの言葉。   「飢える者よ、本に手を伸ばせ。 それこそが武器なんだぜ」 まったく同意だぜ。 ベルギーの学園都市ゲントに住んでいた頃、毎日のように通い続けたブックカフェ。 l just love this message on the door...

アッサラーム・アライクム! Piece of Syriaの小林です。 一昨日、三宮で行われたアジア福祉教育財団難民事業本部さんと神戸YMCAさん主催の「ワークショップ難民 2017」に参加してきました。 『紛争や迫害から逃れ、故郷を追われた難民や国内避難民が世界各地に6,500万人以上いると推定されています。日本にも、さまざまな国から難民が庇護を求めて来ています。わたしたち自身にできることは何か、一緒に考えてみませんか。』 http://www.rhq.gr.jp/japanese/profile/profile.htm ということで毎年この時期にやるワークショップで、全3回ありましたが私は最後の回のみの参加となりました。 テーマは「難民と暮らす」。 難民として受け入れられたとしても、言葉や文化も違う国でどうやって暮らしていけばよいのか。異国での生活をロールプレイで疑似体験し、「共生」をめざして何ができるかを考えます。 インドシナ難民や条約難民(難民認定申請者)を主に、 難民として暮らすことになった人たちと元々住んでいる自国民の間で、食文化や習慣の違いによって起こる問題を、実際に難民事業本部に持ち寄られる実例を挙げてロールプレイをしてみました。 例えば、 あるアパートの大家さんは難民との共生を目指して積極的に難民を受け入れている。しかし、そのアパートに住んでいるベトナム難民と日本人とで揉め事が起こる。原因は「ベトナム料理で使う香辛料やスパイスの匂いが臭い」ということで大家さんを中心に話し合いをする事例。 多種多様な人間を演じてロールプレイするため、色々な結果になりました。 交流会をしてベトナム料理と日本料理を食べ合う・嫌なものを食べても余計嫌いになるだけ・祖国を追われてもう料理しか楽しみがないから香辛料を使い続けたい・郷に入っては郷に従えなど平行線で終わったり。 このような問題が起こる原因に当たるものの一部として 慣れていないものに対する嫌悪 マイノリティーに対する排斥 これらが残念ながらあるのは事実です。 日本人がよく飲む味噌汁も発酵食品だから臭いと思う外国人も実はいるそうです。私たちは食べ慣れているので、なにが臭いの?と思うかもしれませんが、慣れていない・ふれたことがない人にとっては不快になっているかもしれません。 では、どうすれば良い方向にもっていけるかと考えた時に、大きかったのが大家さんの存在でした。 難民受け入れに理解があり共生しようとしている大家さん。 このような人が1人でもいるだけで、どちらかが不利になることはなく話し合いができる、まずここが大事なんじゃないかと思います。 どちらの言い分も理解できる人がいると共生の可能性が高くなるという意見もありました。   相手を知ろうとすること、理解しようとすること。 これが本当に大切だなと思います。 そして、難民としての彼らを知ろうとするより、 友達として接するだけでも自ずと難民としての彼らも知れるんじゃないかなと感じます。 私がトルコでシリア人と会った時のことを振り返ってみると、、、 シリア難民の現状を知ろうと思って会いに行ったけど、最初から"難民のシリア人"として接した訳ではなく、"昔から友人だったシリア人"として接していたなと。 実際には、私にはシリア人の友人はいなかったので、無論、彼らの辛い状況を感じさせない明るさや初対面の私でも一瞬で受け入れてくれるオープンさのおかげでそう思うことができたとは強く強く思います!(へむりさんの友人という立場も大きいですが…) 友人として話しをしていくと、次第にシリアの昔や今の状況や詳細を聞くことができて、たった10日間の仲でもより相手を知ることができたかなと思います。 長くなりましたが、 とにかく大家さんのように、相手を知ろうとする人・理解しようとする人がもっと増えればいいなと願います。 そして優しく素晴らしいシリア人のことを知っている人ももっともっと増やしていきたいです!...

アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   お待たせいたしました。シリアの人たちに起こった変化の続きになります。 前回は、シリア国内の「勢力図」の変化についてお話をさせて頂きました。 今回は、シリア国内における「生活面」の変化について、お話できればと思います。   [caption id="attachment_16069" align="alignnone" width="1024"] 一番お世話になったお家。[/caption] ● 1日1ドルの豊かな生活   僕がシリアに住んでいたのは2008-10年です。   その当時、僕が一番お世話になっていたのは、マンベジ市にある小さな村の家族でした。   両親と女の子3人(短大生、高校生、中学生)、男の子2人(小学生)のおうちで、生活費を稼ぐ父親は、村の保健センターで働く用務員さん。受付、掃除、ワクチンの管理などをしていました。   月収は200$ほど。シリアでも、決して多い方ではありません。 計算すると、一人当たりの生活費は1日1ドル以下になります。   しかしながら、子ども達を学校に通わせて、里帰りの家族旅行に行ったり、僕や近所の人たちにご飯を振る舞うことも日常的にしている余裕がありました。僕もあまりにしょっちゅう、ご飯を出してもらって、泊めさせてもらっているから、家賃のようなものを渡そうとしたら、断られました。   家も、田舎だからということもありますが、小学校の運動場くらいの大きさの庭付きで、リビングは絨毯が敷き詰められた50m2ほどの大きさがあります。   こうした「余裕」には、シリアの豊かさに加え、当時のシリア政権の政策が大きく影響があるように思います。   [caption id="attachment_16070" align="alignnone" width="1024"] 村のお家のリビング。本当に広い![/caption] ● 僕の見たシリアの豊かさ   野菜はkgあたり20円ほど。旬野菜であるかどうかで値段は変わりますが、それにしても安い。 主食であるホブズ(ナンのような丸いパン)も非常に安価で買うことができました。     交通費も、バスやセルビス(同じルートを周るワゴン車を使ったバスのような乗り物)が15円ほどで乗れたり、長距離バスなら、大阪〜東京間ほどの距離を、3列シートでも400円ほど。 市内のバスで老人や女性が入ってきたら、男性達は無言で席を譲り、それに礼を言うこともなく譲られた方が席に座ります。年配の方や女性を敬うのが当たり前だからです。   学校も、大学まで無料。就学率は97%だったそうです。 小さな村まで塾や、女性対象の識字教室があり、教育熱心な国だと感じました。   医療も無料です。薬も国内産で、非常に安価でした。   犯罪の遭遇率は、日本の20分の一。つまり、日本の20倍の治安の良さ。体感的にもそれは感じました。実際、落し物はすべて返ってきました。カメラ・携帯・腕時計・現金にいたるまで・・・。   何より、もっとも素晴らしいと感じたのは、おもてなしの心です。 買い物客として行ったのに、お茶やサンドイッチをご馳走してくれます。 道がわからないそぶりを見せようものなら、バッと人が集まってきて助けようとしてくれます。 バスで隣に座った人が、自分の家に招待して、昼ご飯をご馳走しようとしてくれます。 喉が渇いたら、そのあたりに家をノックすれば水を出してくれ、そのまま家に招待してくれます。 通りすがりの結婚式に招待されて、一緒にご飯を食べ、一緒に踊らされます。   そんなことが日常の豊かな国でした。   [caption id="attachment_16071" align="alignnone" width="1024"] 安く美味しい国産野菜・果物にあふれていました[/caption] ● 戦場になった僕の村   「覚えているかい?村の先生をしていたアフマドだよ」   2015年。シリアの村の友人から連絡が来ました。     僕が住んでいたマンベジは、ダーイッシュ(IS)に占領されており、画像検索をすると「処刑場」が出てくるような、そんな状況でした。   僕がいた時、村の人たちは携帯は持っていても、メールやSNSは使っていませんでした。 (世界的にスマホがまだ出始めた頃で、日本でもFacebookの利用者は少なく、mixiが流行っていた時代です)   なので、シリアの村の人たちの連絡先は知らないまま、日本に帰って来ていたのです。   何より、村には連絡することなく行って泊めてもらうことが日常でしたから、 そうした連絡先を必要としなかったのです。   またすぐに会いに行けるから、と。   しかし、「起こりえないはず」のいわゆる『アラブの春』が、シリアを戦場にしました。   今は行けないけど、すぐにまた行けるようになる・・・。   その思いと裏腹に、続くシリアを戦場にした紛争は、止むことがありません。 そして、僕のいたマンベジに侵入して来たダーイッシュ。   仲良くしていた人たちはどうなったのだろう? 不安な気持ちが募る中、確かめる術を持たず、どうしようもできないでいました。     どうにかして動きたい。   その想いで、シリアの中に入ることができなくとも、難民の住む地域に行ってみようと、ヨルダン・トルコ・イラク・ヨーロッパに向かったのでした。 そして、帰国後にPiece of Syriaの活動を始めました。   まさに、その時に、連絡が入ったのです。   「覚えているかい?村の先生をしていたアフマドだよ」と。 彼を通して、僕の仲良くしていた人たちの無事も確認できました。   [caption id="attachment_16072" align="alignnone" width="1024"] アラビア語で「マンベジ」と画像検索したら…[/caption] ● お金が足りない   あの豊かだったシリア国内の生活は、今は生きて行くことが精一杯な状況です。   人口の1/4が海外に難民として、1/4が国内避難民として生活しております。   「元々いた土地を離れる」というのは、代々続いた土地を手放すということで、家、家具、仕事、家畜、農場、築いて来た人間関係、それら全てを失うということです。   200ドルで豊かに暮らしていた生活も、通貨のシリアポンドの下落により、価値が1/10へ。 つまり、物価が10倍になっている、ということです。   今は、シリア国内の野菜など物資の量は充分だということですが、それを買うお金が不足しています。   移動や輸送には、お金とリスクがつきまといます。 政府軍・反政府軍・ダーイッシュ・アルカイダ・クルド軍のほか、有象無象の様々な勢力が陣取っており、検問でチェックを行なうそうです。   ある人が教えてくれた情報では、「1000ドルを支払えば、トルコ寄りのシリア国境から首都ダマスカスまで、安全に移動できる」と言う話でした。   安全も、お金次第なのです。 ただし、すべての場所が危険だというわけではありません。日本の一部で起こった地震が全土に影響していないのと同様、安全な日常生活を送っている地域もあります。   ですが、10倍の物価上昇は、すべての場所の日常生活に影響を与えており、生活費が足りていません。 また、働き手である男性は、各勢力によって兵士として駆り出されます。 シリア人同士で殺し合いをしたくない、と徴兵制を避けるために、国外へ向かう男性も多くいます。彼らは難民となった場所で稼いだお金を、様々な方法で仕送りしています。   就学率97%で、あれほど豊かだった教育も、50%以下へ。 場所によっては6%ほどになった、というニュースもありました。   想像してください。   あなたの給料が9割カットされて生活すること。 1年生の時、40人学級だったのが、6年生の時に2人しか残っていない学校を。     ● 友人としてできることを探して   もともと貧しく、戦争ばかりしていた人たちが難民になった訳ではありません。   もともと豊かに、平和に、家族を愛して生活をしていた人たちが、難民として、あるいは国内で困窮して生活せざるをえなくなってしまったのです。   僕らはこれからも、「困っているから助けたい」のではなく、 友人としてできることを精一杯考えて、行動をしていきたいと活動をしています。   それを是非、皆さんと一緒に動いていきたいなと思っています。   では、次回は、シリア国外での変化について、お話できればと思います。  ...