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Piece of Syria(ピースオブシリア) | 昔のシリア
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昔のシリア Tag

前回の続きを掲載させて頂きます。     http://piece-of-syria.org/2017/09/08/oldsyriavillage/     今回は、シリアの歴史と識字教室についてです。 ——————————————————————————— 「学校が増えたのは、フランスに占領されてからだよ」と、 赤と白のガラビーエと呼ばれる布を被った男が教えてくれた。   [caption id="attachment_16249" align="alignnone" width="300"] 頭にガラビーエをまとう村人[/caption]     シリアは第1次世界大戦後、仏の委任統治領になった。 それ以前はオスマントルコ帝国の支配下だ。     「トルコ時代は学校なんてほとんど無かったんじゃぞ。 あっても教えられるのはトルコ語じゃ。アラビア語じゃあのうてな。」     子ども達を数人集めて文字やコーランを教えているのを耳にすると、 トルコ当局は関係者を派遣して殴りつけることもしていたほどであったと言う。       「今はええ。道も整備され、どの村にも学校があって、教育が受けられるんじゃ。 イスラム教でもな、教育ってのは大切って教えとる。 預言者ムハンマドが最初に聞いた神の言葉は『読め!』じゃった。 彼は文盲だったんじゃがの。 読み書きができるってことは、知識が持てるということじゃ。 知識があれば健康 にもなれるし、良い仕事に就くこともできるじゃろ。」       そして今、少女時代に教育を受けられなかった大人の女性達のために、 政府主導で識字教室が開かれている。   どの村にもある学校を利用し、村人の講師(先生や高卒以上の人)には シリア政府から月500~1000SPの給料が渡される仕組みだ。     [caption id="attachment_16254" align="alignnone" width="300"] 識字教室の授業の様子。夜に授業が始まる[/caption]       生徒に、テキストが与えられて、無料で授業が受けられる。A村にも今年できた。 そこで教鞭を取る教師モハメド・アリーは言う。     「識字教室を始めようとしたとき、 俺たちは識字教室を開くために必要な14人の女性たちをどうやって確保したものかと考えたものだったよ。 でも、驚いたことに登録された名前は70 にも上ったんだ。 この数は村で農業に従事する人数と同じだ。現在の生徒数は40人。 年をとっている大人も勉強にはとっても熱心で、その証拠に50歳になるおばさんもいる。 ただ、彼女は年齢を理由に、(卒業証書がもらえる正式な生徒ではなく)聴講生扱いなんだが。 この識字教室は1963~1993年生まれの人にしか参加できないからな。」       専門家団の調査によると、マンベジ郡内には、成人女性の非識字率75%の地区もある。 しかし、子ども達の識字率は総じて高い。       旅行者時代、英語が出来ない大人に代わって、10歳の子ども達が通訳をかって出てくれたこともある。 ノート、テキスト、制服、筆記具、通学鞄などの費用はかかるが、払えないほどではない。 大学までの授業料は無料だ。 大人向けに識字教室もある。         [caption id="attachment_16251" align="alignnone" width="300"] ラタキアの大学。大学院に通いながら学校の先生をする人もいた[/caption]       A村に行ったとき、僕が何度も泊めて貰っている家族がある。 その家族の家長は村の保健センターで受付・記帳・掃除などを仕事にしている。   熱心なイスラム教徒でもある。昼の12 時~2 時頃には仕事を切り上げ、家に戻る。 昼ご飯を食べたら、横になってテレビを見たり、紅茶を片手に来客の接待をする。   この家の居心地の良さは、彼の家族の優しさも勿論なのだが、 彼がシリア人には珍しく煙草を吸わないのもそうだろう。   現在、奥さんは妊娠中だ。 一番の話し相手が、三女のブトゥーレ。 冒頭の夢を語ってくれた少女だ。   (続く) --------------------------------------------------------- 次回は、「学校で何を学んでいるか」についてをお届けします!    ...

2009年9月に僕が書いた文章です。 当時のシリアの状況が伝わってくるように思ったので、掲載させていただきます。 (文章が長いので分けて発信していきますね)     ------------------------------------------------------- 子ども達に夢を聞く。   驚くほどすぐに答えが返ってくる。 先生、お医者さん、エンジニア、パイロット・・・。嬉しそうに、我先に、手を上げて教えてくれる。   キラキラした目で将来の職業を語る子どもたち。それを見ていると、僕は幸せな気持ちになる。夢を持てるのって、素敵なことだと思う。             自分の家からセルビス(ワゴン車を使ったバス)に乗って 20 分ほどの場所にあるA村。     [caption id="attachment_16237" align="alignnone" width="225"] ワゴン車を使った市民の足セルビス[/caption]       目立った産業はない。   住民の多くは、夫が首都や海外へ出稼ぎし、建設関係の仕事をして稼いだお金で生活している。   出稼ぎ先はレバノン、ヨルダン、サウジアラビア、湾岸諸国、ギリシャなどだ。   男達が数ヶ月働いて、家族の居る村に帰ってくる、そんな生活を繰り返している。   オリーブや野菜・果樹などが育てられているが、オリーブを除けば、商売にするほどの規模はない。             以前は川が流れていて米もとれたが、10年ほど前に川は干上がっており、 農業をするためには地下水を汲み上げるエンジンを買う必要がある。     飲料水も同様で、以前は桶を下ろして水を汲んでいた井戸にはフタがしてあり、 エンジンを動かして地下100m から引っ張り上げた水をドラム缶やバケツ、貯水槽に貯めておく。   エンジンが買えない家は、近所の親戚の家に行って、白いバケツに水をもらう。 その重いバケツを頭の上にのせて女性達が家まで運ぶ。   綿花やオリーブの収穫シーズンになると、 トラックが村の女性達を乗せて東へと向かう。     日が昇る前にトラックに乗り込み、昼の2 時頃に帰ってくる。 暑い中、手首を傷めるような労働をした収入は、1 日に200 円ほどだ。     村には、小中高を掛け持ちしている学校がある。   午前の部と午後に分かれ、生徒数の多い小学校と中高の授業が交代で行われる。 午前か午後かは、毎週入れ替わる (今週が午前の授業なら、来週は午後から始まる)。     僕の住居があるマンベジ市(人口20 万人ほど)であれば、 小中高は建物そのものが分かれているのだが、午前・午後の2部制は変わらない。   昼の12 時ごろになると、校舎から子ども達が吐き出されていく。 給食はない。   休み時間や帰り道にお腹を空かせた子どもが チョコやポテト、アイスを買い食いしたりするのを見かける。   そのために子ども達は、学校に行く前に「僕の5SP ちょうだい!」と母親に小遣いをせがむのだ。   授業時間は、午前の部は7 時半から12 時半、 午後は12 時半から5 時20 分までで、45 分授業×6 コマ。 日が暮れるのが早い冬は、40 分授業で早く終わる。     シリアのほとんどの村には小学校がある。   中高は小学校ほどの数がないので、他の村から通ったりする。 アルファラット村の校庭には、近くの村から通学する少年達のバイクが十数台停まっていた。   「学校が増えたのはフランスに占領されてからだよ」と、 赤と白のガラビーエと呼ばれる布を被った男が教えてくれた。       (続く) http://piece-of-syria.org/2017/09/13/oldsyriavillage-2/  ...

    内戦や過激派組織「イスラム国」の台頭で国外避難しているシリア難民を昨秋から訪ね歩いた大阪府の中野貴行さん(34)が12日、長野市内で講演した。青年海外協力隊として内戦前のシリアに滞在した中野さんは、当時の豊かな街の様子と、瓦礫に埋もれた現在の状況とを映像で紹介。「特別ではない普通の生活をしていた人に起きたこと。現実を知って」と訴えた。   県青年国際交流機構(長野市)の「ワールドスタディカフェ」として開き、60人余が参加。中野さんはシリアについて、内戦前は宗教・民族対立とは無縁の美しい街並みと国民の親切さが印象的だった−と強調。当時住んでいた同国北部の都市には現在、イスラム国が処刑場を作り、市民の自由を奪っているとした。   中野さんは、ヨルダンやギリシャなど8カ国を回ってシリア難民に話を聞き、今月9月に帰国したばかり。「避難した国にずっと住みたいと言う人は一人もいなかった。貧困を背景にした経済難民とは全く違う」と指摘した。   この日はイスラム教徒留学生らを交えたフリートークもあった。    信濃毎日新聞 2016年3月15日   ------------------------------------------------------------------     平和な頃のシリアを知っていると、シリアをめぐる報道は違和感がありました。   そんな中、「本当のシリアの状況を伝える」と銘打ったイベントで、 ジャーナリストが話すと言うことで、大阪のイベントに行ったところ、 その違和感をさらに強めるような内容でした。   複雑なはずのシリアの戦争にも関わらず、 ひとつの勢力だけに加担して、意見を抽出するのはおかしいという思いから、 質疑応答の時に手を挙げて、「僕が住んでいた時の意見と違いすぎる」と話すと、 「君が知っているのは、昔のシリアだ。今のシリアは知らない」と一蹴されました。   「あなたはアラビア語を話せないし、住んでもいないのに、  どうやって”本音”を聞いたって言うんだろう?」   「最近行った」というだけで、 僕が積み重ねてきた2年間は否定されるのだろうか?     それにどうしても納得がいかない僕は、 シリアには入れないにせよ、近くに行って話を聞こうと、 今までやっていた仕事を離れて、ヨルダンから始まり、 トルコ、イラク、ギリシャ、フランス、スウェーデンを周ってきました。   すると、前述のジャーナリストの「取材」が、 いかに一方的で「メディア受け」を狙った商業的なものだったのかを確信できました。   その旅の最中に、「是非、帰国したら話してもらえませんか?」と連絡をいただき、その講演の様子を新聞に取り上げてくださいました。   破壊や悲しみはニュースになり、美しさや本来の姿はニュースになりません。 ニュースでは、わかりやすさが求められますが、 とても複雑なのがシリアの状況です。   これからも、「伝える」ということを活動の一つとして、大切にしていきたいと思います。       ...