本記事では、EUAA(欧州連合庇護庁)の「シリア治安状況報告書」とPeople in Need(PIS)の「紛争後シリアにおける社会的結束の現状」の報告書で書かれているシリア情勢についてお伝えします。
参照:
・COI Report – Syria: Security Situation, July 2026(EUAA/ReliefWeb)
・The State of Social Cohesion in Syria after Conflict: Belonging, Trust, and Participation(People in Need/ReliefWeb)
・What Do Syrians Actually Want?(People in Need、記事版)
※以下でご紹介する情勢や数字は、上記報告書をもとに翻訳・整理したものであり、Piece of Syria独自の見解や立場を表明するものではありません。
シリアでは、50年以上続いたアサド家による支配が2024年12月に終わりました。その後、旧反体制派を中心とする暫定政府が発足し、新しい国づくりが始まっています。
とはいえ、国内には今も複数の勢力が存在し、地域によって誰が実質的に統治しているかが異なる、複雑な状況が続いている、と報告書では表現されています。
今回は、そうしたシリアの「いま」を2つの角度からご紹介します。
ひとつは治安の状況、つまり「どこで、どんな衝突や事件が起きているか」
もうひとつは、紛争を経験した住民たちが「地域の暮らしや人とのつながりをどう感じているか」という視点です。
欧州連合庇護庁(EUAA、EU加盟国の難民認定審査などを支援する機関)は、2026年7月に治安状況をまとめた報告書を公表しました(対象期間は2025年10月から2026年5月まで)。
国連のシリア担当副特使は、2026年3月について「過去15年間で、紛争に直接関わる暴力が最も少なかった月」と述べています。
実際にこの報告書でも、2025年3月(沿岸部でアラウィー派の人々が標的となった大規模な暴力で、1,400人以上が死亡)や同年7月(スウェイダ県でドゥルーズ派とベドウィンの人々が衝突し、1,700人以上が死亡)のような大きな暴力の波は、今回の対象期間中には起きていません。
全体としては、落ち着きに向かう傾向がうかがえます。
とはいえ、危険がなくなったわけではありません。
紛争の記録・分析を行う専門機関ACLEDによると、対象期間中に全国で2,884件の治安に関わる事案が記録されました。
もっとも多かったのは2026年1月(683件)で、これは暫定政府が北東部の一部地域(それまでシリア民主軍=SDF※が実効支配していた地域)を掌握しようとした時期と重なります。その後、2月から5月にかけては件数が減少しています。シリア人権ネットワークの集計では、同じ期間に586人の民間人が命を落としたとされ、こちらも2026年1月が最多(111人)でした。
※SDFとは?:シリア民主軍。シリア北東部で長年実効支配を行ってきた、クルド系勢力を中心とする武装組織です。2026年に入り、暫定政府との間で軍への統合が進められています。

▲2025年4月に代表・中野が訪れたシリア・ダマスカス近郊の様子
【北東部】
2026年1月、暫定政府軍とSDFの間で軍事的な衝突が起き、その結果、政府側がラッカ県・デリゾール県・ハサカ県の大部分を掌握しました。1月中に2度の停戦・統合合意が結ばれ、SDFの一部部隊を国軍に組み込む枠組みが定められています。SDFの兵力は、最も多かった2025年前半の約10万人から、5万〜8万人規模まで減ったと報告されています。
【沿岸部(ラタキア県・タルトゥース県)】
旧アサド政権に近い勢力の残党による散発的な攻撃が続いています。近隣のホムス県では、アラウィー派の人々を狙った殺人事件が主な懸念として挙げられています。過激派組織ISIL(いわゆる「イスラム国」)は、2026年2月に暫定政府への対決を呼びかける声明を出した直後は攻撃を増やしましたが、3月末以降は活動が大きく落ち着いています。
【南部】
イスラエル軍が、クネイトラ県・ダルアー県で越境しての軍事活動を続けています。クネイトラ県だけで、2025年の1年間に900件を超える越境が報告されました。スウェイダ県は、いまも大部分が地元のドゥルーズ勢力の統治下にあり、2025年7月の大規模な衝突以降も、緊張がくすぶり続けています。
【アレッポ県】
SAKURA幼稚園が活動するアレッポ県は、報告書の対象期間中、全国でもっとも民間人の死傷者数が多かった県のひとつとして記録されています。
国際移住機関(IOM)によれば、2026年4月の時点で、シリアの人口のおよそ5人に1人(21%、約586万人)が、今も自宅を離れて避難生活を送る「国内避難民」の状態にあります。
一方で、すでに元の場所へ戻った人(帰還民)も人口の7%(約195万人)にのぼります。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の集計では、2024年12月以降、国内での避難先から約191万人が、海外からは約165万人が、それぞれ元の場所へ戻ったと推計されています。
ただし地域差は大きく、たとえばイドリブ県では避難民の割合が61%(2025年2月)から33%(2026年4月)へ大きく下がった一方、スウェイダ県のように避難民の割合がむしろ増えた地域(6%→21%)もあります。

ここからは、少し視点を変えて、実際にシリアで暮らす人々の「社会的結束※についての声」をご紹介します。
People in Need(PIN)というNGOが、現地パートナーのSanad YouthとSyrian Centre for Civic Action(SYCAC)とともに、2026年1月から4月にかけてシリア国内10県で374人(女性189人・男性185人、16歳から75歳まで)に話を聞き、その内容をまとめました。
専門家による分析ではなく、「暮らしている人たち自身が、地域とのつながりや信頼、これからの暮らしについて何を語ったか」を記録したものです。
(以下、この章の内容はすべて【PIN】の報告書に基づきます)
※「社会的結束」とは?:立場や背景の異なる人同士が、互いを信頼し、協力し合いながら暮らしていける状態のことを指す言葉です。長引く紛争や避難は、この「人と人のつながり」を大きく揺さぶってきました。
1.「帰属意識」が、より身近な単位へと移っている
シリアという国そのものへの愛着は、いまも人々の心の中に残っています。
ただ、日々の暮らしを実際に支えているのは、家族や部族、そして身近な地域コミュニティのつながりだと語る人が多くいました。
特に、紛争や避難を繰り返し経験してきたイドリブ・ラッカ・デリゾールといった地域では、「自分が住んでいる場所なのに、まるでよそ者になったような気がする」という声も聞かれました。
一方で、比較的落ち着いた地域では、行政のサービスが十分に行き届かない分、近所の人同士が支え合う関係が強まっているとも報告されています。
2. 「声の届きやすさ」は、もともと力を持つ人に偏りがち
地域の集まりや話し合いの場は、部族の指導者や、政治的なつながりを持つ人、経済的に力のある人たちが中心になりやすい、という声が各地で聞かれました。
女性や若者、避難してきた人、貧しい暮らしをしている人たちは、地域の中に確かに存在していても、物事を決める場にはなかなか加われていないといいます。ある参加者は「集まりに顔を出すことと、実際に自分の意見が届くことは、まったく別の話だ」と話していました。
3. 参加しないのは「無関心」だからではない
住民たちが地域の活動に関わろうとしないのは、興味がないからではなく、恐怖や暮らし向きの厳しさ、行政への不信、周囲の目といった、乗り越えるのが難しい壁があるからだと報告書は指摘しています。
安心して参加できると感じられるのは、ボランティアや啓発活動のような、実生活に役立ち、政治色のない取り組みに限られる傾向があります。政治や宗教、部族間の関係、過去の紛争についての話題は、いまも人前で口にするのはリスクを伴うと感じられているようです。
4. 一番の緊張の種は「暮らし向き」
調査を行ったすべての地域で、貧困と失業こそが、人々の間に緊張を生む一番の要因として挙げられました。
「経済的な状況こそが、緊張の主な原因だ」と、ある参加者ははっきりと語っています。
住民たちは「対話や和解の場を設けるだけでは、信頼は生まれない。まず生活が良くなること、そこから信頼が育っていく」と語っています。
5.地域の助け合いは機能している、ただし限界もある
地域のNGOや、部族による仲裁のようなインフォーマルな仕組みは、行政では手が回らない問題解決や支援の多くを、実際に担っていると報告されています。ある参加者は、地域で起きるトラブルの大半は、正式な手続きに進む前に、部族同士の話し合いで解決されていると話しています。
ただし、こうした地域の担い手たちには、資金や調整の力、制度的な後ろ盾が不足しており、身近な問題には対応できても、より大きな制度や政策の変化にまでは手が届きにくいという課題も指摘されています。
住民と行政との関係は、心からの信頼というよりも「必要に迫られた、条件付きのつながり」だと報告書は表現しています。行政サービスが改善されればその場では住民の見方も好転しますが、それは一時的なもので、根っこにある不信感そのものはなかなか解消されないといいます。「基本的な生活のニーズすら満たされないことが、行政全体への不信につながっている」という声が紹介されています。
PINの報告書は、「社会的結束」を単独の課題として扱うのではなく、雇用づくり・行政サービス・住民の声が届く仕組み・行政との信頼関係の4つを、あわせて取り組むべきものとして提案しています。
具体的には、安心して話し合える場づくり、地域の市民団体への支援、生活支援と地域の交流を組み合わせた取り組み、行政の説明責任を高める仕組みづくり、それぞれの地域の事情に合わせた柔軟な進め方、そして地域での小さな取り組みを、より大きな制度の変化へとつなげていくことの大切さが挙げられています。

▲電気も徐々に復旧している。以前は1日数時間程度だった。写真は信号用のソーラーパネル
治安のデータからは、大規模な暴力の波は落ち着きつつある一方、地域ごとの緊張や、経済的な厳しさは依然として残っていることが見えてきます。
また、住民への聞き取りからは、「安全」だけでは測れない、信頼やつながりの回復という、もうひとつの大きな課題があることも伝わってきます。
どちらも、シリアの人々がこれからどのように暮らしを立て直していくかを考えるうえで、大切な手がかりになる情報だと思います。
(ここまでの内容は、「EUAA」「PIN」それぞれの報告書の要約であり、Piece of Syriaとしての評価は含んでいません)
ここからは、上でご紹介した2つの報告書の内容を踏まえた、Piece of Syria自身の考えをお伝えします。
アレッポにある「SAKURA幼稚園」の活動は、今だからこそ必要とされています。
【EUAA】の報告にあるとおり、幼稚園があるアレッポ県は、対象期間中もっとも民間人の死傷者数が多かった地域のひとつであり、2026年1月には市内で約14万8,000人が避難を余儀なくされる衝突も起きました。
「戦争は終わった」と語られる場面が増えている一方で、現場では、まだ落ち着いたと言い切れない状況が続いています。
また、【PIN】の調査では、人々の間の緊張の最大の要因は「暮らし向き」、つまり経済的な困窮であることが示されています。さらに、女性や若者、避難してきた人たちが、地域の意思決定や支援から取り残されやすいことも指摘されています。
SAKURA幼稚園では、こうした状況にある家庭の子どもたちへ無償で幼児教育の機会を提供しています。家計の負担を軽減するとともに、子どもたちが安心して過ごし、学ぶことのできる居場所をつくっています。

▲厳しい状況にある子どもたちが学べるように、筆記用具やバッグなども無料で提供しています
報告書から見えてくるのは、「戦争が終わった」という一言では語りきれないシリアの現実です。治安や社会の課題、そして教育を取り巻く状況は、今もなお変化を続けています。
Piece of Syriaはこれからも現地パートナーとともに、子どもたちが安心して学び、未来への一歩を踏み出せる環境づくりに取り組むとともに、シリアの現状を信頼できる情報に基づいて発信していきます。