
22 9月 【ある村の風景と、子ども達の夢(4)〜2009年9月シリアにて】
今回でラスト!「高校以上の学校の様子」についてをお届けします!
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次女アーイシャ。16 歳。丸い顔にパッチリとした目の、童顔の美人だ。
中学校を卒業したあと、学校に行かずに家で家事の手伝いばかりをしていた。

女の子は家の手伝いをする
どうして高校に行かないのかが気になっていたが、それは聞いて良い質問なのかを計りかねて、 最近まで理由がわからなかった。
シリアの学校のシステムは日本と似ている。
小学校6年、中学校3 年、高校3 年、そして大学4年(医学部は6 年)。
中学から高校に上がるためには試験を受けなくてはならない。
高い点数を取れば理系・文系の高校へ、良くなければ商業高校、 工業高校、農業高校に進学する。
点数が足りずに進学できない場合もあるそうだ。シリアの商・工・農業高校は数も人気もないらしく、そうした学校に行かずに大学受験に挑むという人もかなり居るようである。
アーイシャもまた、点数が足りなくて理系・文系の学校に届かなかったために高校に行かないことを選択したのだ。
「勉強は好きよ」と言い、自宅の空き室を先生に貸して開かれている塾で、アラビア語と英語を学んでいる。

村の塾
高校には行かず、2 年間首都で働き、17 歳から受験勉強を始めた少年にも会った。
学習塾で働きながら勉強に励む彼は、「高卒じゃなくたって、大学には行けるんだ。僕はイスラム法学を学びたい」と語ってくれた。
その塾でアラビア語を教えているアフマド先生は、
「僕は商業高校に行ってたんだけど、それじゃ満足できなくなって猛勉強して、文系の高校に編入したんだ」
と言って僕を驚かせた。
「今は塾に行かないと大学に入るのは難しいね」と、アフマド先生は言う。
「昔と比べて学校の数は増えているけれど、国立大学の数は変わらないからね。競争が厳しくなって、そうだな、90%くらいの学生が塾に行ってるんじゃないか?」
おそらく、その数字は眉唾ものだが、「昔より難しくなった」という声はよく聞く。
(ちなみにアフマド先生は、村の高校で教鞭をとっていたのを急に辞め、村に文房具屋さんを開いてオーナーになり、かつマンベジ市の塾の経営者 兼 講師になっていた。村でも塾を開いている)

町の中にある塾
その大学受験は、バッカーローリエと言われる試験が全てである
(紛らわしいことに「高校三年生」のこともバッカーローリエと呼ぶ)。
いわばセンター試験のようなものだが、シリアには二次試験はない。
このテストの点数を基に、大学と学部を決める。たとえば、医学部に行きたいと志願していても、テストの点数が足らなければ工学部を選ばざるを得なくなる。
家の近いアレッポ大学でアラビア語を専攻したいと思っても、点数が足りなければラタキア大学を選ぶことになるかもしれない。
各大学の各学部で足切り点が決まっているのだ。
その一覧が書かれたシートを見ながら、自分の入りたい、入れる大学と学部を選択するのである。

アレッポ大学で開かれた日本フェスティバル
ある英語教師に言わせれば、これは「優秀な人材を出さないためのシステム」だ。
合計点で学部が決まるので、どの教科もまんべんなく点数を取らないといけない。
だから、英語が得意であっても、他教科で足を引っ張れば、英語に関わる学部に進めなくなる。
各人が得意なものを伸ばせないのである。
なまじ優秀な人材が出てきたら政府が困るから、というのが彼の弁。
「そして、どこのアラブの国でもやっているんだよ」と嘆いていた。
そして、彼は流暢な英語で夢を語ってくれた。
「今は学校と塾で英語を教えている。そうすることで子ども達にチャンスを増やしたいからだ。
英語は国際言語だからね。これができれば世界が広がる。
だが、いつかそれを辞めて翻訳の仕事をしたいと思ってるんだ。
様々な本は英語で書かれている。それを訳して、多くの知識を伝えたいんだ。」

アラビア語の本が並ぶ駅を改装した本屋さん
大学受験の話に戻ろう。
バッカーローリエは2 回しかチャンスが無い。それでダメなら大学を諦めるしかない。
どうしても大学に行きたければ、私立の大学か外国で学ぶ方法があるけれど、国立大学と比べて圧倒的に授業料が高い。
短大という選択もある。長女ファルドスは、マンベジから1時間、村からだと計2 時間はかかるであろうアレッポ市の短期大学で美術を学ぶ。
アレッポ市にある親戚の家に居候しているが、週末には家族が恋しくて実家に帰ってくる。
短大は2 年間で、「卒業したら、 村の学校で美術を教えるつもりよ」と話してくれた。
医学部・薬学部に入るのはとりわけ難しい(正答率95%くらいが足切り点になる)。
よって多くの医師・薬剤師がロシア・ウ クライナ・ルーマニアなどの旧共産圏の大学で学んでいる。
百万円単位のお金はかかるので、誰でもと言うわけには行かないが、シリアでは医師も薬剤師も非常に儲かる職業なので、海外留学させてでも行けばリターンがある。
マンベジの薬局の “オーナー”のほとんどは留学で学位をとった人だ。
あえて“オーナー”と言ったのは、薬剤師は名前だけ置いておいて、
店番に空き時間のある公務員(先生・役場職員)を雇っていることが多いからである。

薬局。薬は自国で生産されていて、低価格。
そんな薬局で働く学校の先生と話した。
僕が「先生になりたいって子どもが多いなって思ったんだけど、それはどうして?」 と尋ねたら、
「教えるという仕事は人の役に立つ仕事さ。みんな、教えたいんだ。イスラムの教えに喜捨(ザカート)ってあるだろう?
貧しい人に、お金を渡すムスリムの義務だ。知識だってそうさ。あるものが無いものに渡す。これも立派なムスリムの仕事なんだよ」
と教えてくれた。
「知識が仕事や発展につながっていく。健康にもつながる。学んだことを伝えることで、人を幸せに出来る。
だから僕も誇りを持って仕事をしてるんだ。」
夢とは何だろう。 ある日、僕は思った。
希望を持たないというのは、絶望しないための生きる知恵ではないかって。
夢を持てば、叶えられない現実に絶望するのではないかって。
かつてフィリピンに行ったときも、シリアで暮らしながら日本のことを話す時も、
日本の話をするのは格差を見せ付ける行為なんじゃないかって、不安だった。
今も、何が正解かなんて解らない。でも、ブトゥーレに届いた気持ちが嬉しかった。
「夢の無い人生なんて、ないものと一緒よ」と、夢を語ってくれた。
叶わないから夢なんかじゃない。
叶えるために夢がある。
そして夢の実現はゴールではなく、新しい夢へのスタートラインだ。
夢を叶えたことが自信につながり、また新しい夢を持つ。
大きな夢を描く。
僕も夢を描こう。子ども達が夢を叶えられる世界になるように、と。
2009年9月に、「TAKAのシリア通信」として書いた文章より抜粋。
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