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Piece of Syria(ピースオブシリア) | Blog
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アッサラーム・アライクム! Piece of Syriaの小林です。 一昨日、三宮で行われたアジア福祉教育財団難民事業本部さんと神戸YMCAさん主催の「ワークショップ難民 2017」に参加してきました。 『紛争や迫害から逃れ、故郷を追われた難民や国内避難民が世界各地に6,500万人以上いると推定されています。日本にも、さまざまな国から難民が庇護を求めて来ています。わたしたち自身にできることは何か、一緒に考えてみませんか。』 http://www.rhq.gr.jp/japanese/profile/profile.htm ということで毎年この時期にやるワークショップで、全3回ありましたが私は最後の回のみの参加となりました。 テーマは「難民と暮らす」。 難民として受け入れられたとしても、言葉や文化も違う国でどうやって暮らしていけばよいのか。異国での生活をロールプレイで疑似体験し、「共生」をめざして何ができるかを考えます。 インドシナ難民や条約難民(難民認定申請者)を主に、 難民として暮らすことになった人たちと元々住んでいる自国民の間で、食文化や習慣の違いによって起こる問題を、実際に難民事業本部に持ち寄られる実例を挙げてロールプレイをしてみました。 例えば、 あるアパートの大家さんは難民との共生を目指して積極的に難民を受け入れている。しかし、そのアパートに住んでいるベトナム難民と日本人とで揉め事が起こる。原因は「ベトナム料理で使う香辛料やスパイスの匂いが臭い」ということで大家さんを中心に話し合いをする事例。 多種多様な人間を演じてロールプレイするため、色々な結果になりました。 交流会をしてベトナム料理と日本料理を食べ合う・嫌なものを食べても余計嫌いになるだけ・祖国を追われてもう料理しか楽しみがないから香辛料を使い続けたい・郷に入っては郷に従えなど平行線で終わったり。 このような問題が起こる原因に当たるものの一部として 慣れていないものに対する嫌悪 マイノリティーに対する排斥 これらが残念ながらあるのは事実です。 日本人がよく飲む味噌汁も発酵食品だから臭いと思う外国人も実はいるそうです。私たちは食べ慣れているので、なにが臭いの?と思うかもしれませんが、慣れていない・ふれたことがない人にとっては不快になっているかもしれません。 では、どうすれば良い方向にもっていけるかと考えた時に、大きかったのが大家さんの存在でした。 難民受け入れに理解があり共生しようとしている大家さん。 このような人が1人でもいるだけで、どちらかが不利になることはなく話し合いができる、まずここが大事なんじゃないかと思います。 どちらの言い分も理解できる人がいると共生の可能性が高くなるという意見もありました。   相手を知ろうとすること、理解しようとすること。 これが本当に大切だなと思います。 そして、難民としての彼らを知ろうとするより、 友達として接するだけでも自ずと難民としての彼らも知れるんじゃないかなと感じます。 私がトルコでシリア人と会った時のことを振り返ってみると、、、 シリア難民の現状を知ろうと思って会いに行ったけど、最初から"難民のシリア人"として接した訳ではなく、"昔から友人だったシリア人"として接していたなと。 実際には、私にはシリア人の友人はいなかったので、無論、彼らの辛い状況を感じさせない明るさや初対面の私でも一瞬で受け入れてくれるオープンさのおかげでそう思うことができたとは強く強く思います!(へむりさんの友人という立場も大きいですが…) 友人として話しをしていくと、次第にシリアの昔や今の状況や詳細を聞くことができて、たった10日間の仲でもより相手を知ることができたかなと思います。 長くなりましたが、 とにかく大家さんのように、相手を知ろうとする人・理解しようとする人がもっと増えればいいなと願います。 そして優しく素晴らしいシリア人のことを知っている人ももっともっと増やしていきたいです!...

アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   お待たせいたしました。シリアの人たちに起こった変化の続きになります。 前回は、シリア国内の「勢力図」の変化についてお話をさせて頂きました。 今回は、シリア国内における「生活面」の変化について、お話できればと思います。   [caption id="attachment_16069" align="alignnone" width="1024"] 一番お世話になったお家。[/caption] ● 1日1ドルの豊かな生活   僕がシリアに住んでいたのは2008-10年です。   その当時、僕が一番お世話になっていたのは、マンベジ市にある小さな村の家族でした。   両親と女の子3人(短大生、高校生、中学生)、男の子2人(小学生)のおうちで、生活費を稼ぐ父親は、村の保健センターで働く用務員さん。受付、掃除、ワクチンの管理などをしていました。   月収は200$ほど。シリアでも、決して多い方ではありません。 計算すると、一人当たりの生活費は1日1ドル以下になります。   しかしながら、子ども達を学校に通わせて、里帰りの家族旅行に行ったり、僕や近所の人たちにご飯を振る舞うことも日常的にしている余裕がありました。僕もあまりにしょっちゅう、ご飯を出してもらって、泊めさせてもらっているから、家賃のようなものを渡そうとしたら、断られました。   家も、田舎だからということもありますが、小学校の運動場くらいの大きさの庭付きで、リビングは絨毯が敷き詰められた50m2ほどの大きさがあります。   こうした「余裕」には、シリアの豊かさに加え、当時のシリア政権の政策が大きく影響があるように思います。   [caption id="attachment_16070" align="alignnone" width="1024"] 村のお家のリビング。本当に広い![/caption] ● 僕の見たシリアの豊かさ   野菜はkgあたり20円ほど。旬野菜であるかどうかで値段は変わりますが、それにしても安い。 主食であるホブズ(ナンのような丸いパン)も非常に安価で買うことができました。     交通費も、バスやセルビス(同じルートを周るワゴン車を使ったバスのような乗り物)が15円ほどで乗れたり、長距離バスなら、大阪〜東京間ほどの距離を、3列シートでも400円ほど。 市内のバスで老人や女性が入ってきたら、男性達は無言で席を譲り、それに礼を言うこともなく譲られた方が席に座ります。年配の方や女性を敬うのが当たり前だからです。   学校も、大学まで無料。就学率は97%だったそうです。 小さな村まで塾や、女性対象の識字教室があり、教育熱心な国だと感じました。   医療も無料です。薬も国内産で、非常に安価でした。   犯罪の遭遇率は、日本の20分の一。つまり、日本の20倍の治安の良さ。体感的にもそれは感じました。実際、落し物はすべて返ってきました。カメラ・携帯・腕時計・現金にいたるまで・・・。   何より、もっとも素晴らしいと感じたのは、おもてなしの心です。 買い物客として行ったのに、お茶やサンドイッチをご馳走してくれます。 道がわからないそぶりを見せようものなら、バッと人が集まってきて助けようとしてくれます。 バスで隣に座った人が、自分の家に招待して、昼ご飯をご馳走しようとしてくれます。 喉が渇いたら、そのあたりに家をノックすれば水を出してくれ、そのまま家に招待してくれます。 通りすがりの結婚式に招待されて、一緒にご飯を食べ、一緒に踊らされます。   そんなことが日常の豊かな国でした。   [caption id="attachment_16071" align="alignnone" width="1024"] 安く美味しい国産野菜・果物にあふれていました[/caption] ● 戦場になった僕の村   「覚えているかい?村の先生をしていたアフマドだよ」   2015年。シリアの村の友人から連絡が来ました。     僕が住んでいたマンベジは、ダーイッシュ(IS)に占領されており、画像検索をすると「処刑場」が出てくるような、そんな状況でした。   僕がいた時、村の人たちは携帯は持っていても、メールやSNSは使っていませんでした。 (世界的にスマホがまだ出始めた頃で、日本でもFacebookの利用者は少なく、mixiが流行っていた時代です)   なので、シリアの村の人たちの連絡先は知らないまま、日本に帰って来ていたのです。   何より、村には連絡することなく行って泊めてもらうことが日常でしたから、 そうした連絡先を必要としなかったのです。   またすぐに会いに行けるから、と。   しかし、「起こりえないはず」のいわゆる『アラブの春』が、シリアを戦場にしました。   今は行けないけど、すぐにまた行けるようになる・・・。   その思いと裏腹に、続くシリアを戦場にした紛争は、止むことがありません。 そして、僕のいたマンベジに侵入して来たダーイッシュ。   仲良くしていた人たちはどうなったのだろう? 不安な気持ちが募る中、確かめる術を持たず、どうしようもできないでいました。     どうにかして動きたい。   その想いで、シリアの中に入ることができなくとも、難民の住む地域に行ってみようと、ヨルダン・トルコ・イラク・ヨーロッパに向かったのでした。 そして、帰国後にPiece of Syriaの活動を始めました。   まさに、その時に、連絡が入ったのです。   「覚えているかい?村の先生をしていたアフマドだよ」と。 彼を通して、僕の仲良くしていた人たちの無事も確認できました。   [caption id="attachment_16072" align="alignnone" width="1024"] アラビア語で「マンベジ」と画像検索したら…[/caption] ● お金が足りない   あの豊かだったシリア国内の生活は、今は生きて行くことが精一杯な状況です。   人口の1/4が海外に難民として、1/4が国内避難民として生活しております。   「元々いた土地を離れる」というのは、代々続いた土地を手放すということで、家、家具、仕事、家畜、農場、築いて来た人間関係、それら全てを失うということです。   200ドルで豊かに暮らしていた生活も、通貨のシリアポンドの下落により、価値が1/10へ。 つまり、物価が10倍になっている、ということです。   今は、シリア国内の野菜など物資の量は充分だということですが、それを買うお金が不足しています。   移動や輸送には、お金とリスクがつきまといます。 政府軍・反政府軍・ダーイッシュ・アルカイダ・クルド軍のほか、有象無象の様々な勢力が陣取っており、検問でチェックを行なうそうです。   ある人が教えてくれた情報では、「1000ドルを支払えば、トルコ寄りのシリア国境から首都ダマスカスまで、安全に移動できる」と言う話でした。   安全も、お金次第なのです。 ただし、すべての場所が危険だというわけではありません。日本の一部で起こった地震が全土に影響していないのと同様、安全な日常生活を送っている地域もあります。   ですが、10倍の物価上昇は、すべての場所の日常生活に影響を与えており、生活費が足りていません。 また、働き手である男性は、各勢力によって兵士として駆り出されます。 シリア人同士で殺し合いをしたくない、と徴兵制を避けるために、国外へ向かう男性も多くいます。彼らは難民となった場所で稼いだお金を、様々な方法で仕送りしています。   就学率97%で、あれほど豊かだった教育も、50%以下へ。 場所によっては6%ほどになった、というニュースもありました。   想像してください。   あなたの給料が9割カットされて生活すること。 1年生の時、40人学級だったのが、6年生の時に2人しか残っていない学校を。     ● 友人としてできることを探して   もともと貧しく、戦争ばかりしていた人たちが難民になった訳ではありません。   もともと豊かに、平和に、家族を愛して生活をしていた人たちが、難民として、あるいは国内で困窮して生活せざるをえなくなってしまったのです。   僕らはこれからも、「困っているから助けたい」のではなく、 友人としてできることを精一杯考えて、行動をしていきたいと活動をしています。   それを是非、皆さんと一緒に動いていきたいなと思っています。   では、次回は、シリア国外での変化について、お話できればと思います。  ...

アッサラーム・アライクム! Piece of Syriaの小林です。 帰国してから数日経ちますが、すでにトルコで出会ったシリア人に会いに行きたいと思う日々です。 そして、もう1つ恋しくなってるものが… シリア料理! 旅中は、トルコ料理も食べていましたが、9:1でシリア料理ばかり食べていました。 シリア人のお家やお店で食べたシリア料理が美味しくて常に食べ過ぎていた気がします…シリア人のクルクル(アラビア語で食べろ食べろと言う意味)に誘われたのは言うまでもないですが。 まだ、食べていても、残っていても、クルクルとごはんをすすめてくれました(^^) 主食となるのがホブズというトルティーヤみたいな薄いパンで、どの家庭でもお店でもでてきました。 このホブズをちぎって野菜やお肉などをはさんで食べます。 はさむ具材はホンモスというひよこ豆のペーストやきゅうり・トマトなどの野菜、ハーブ類、オリーブ、チーズ、ゆで卵、チキン・ケバブなどのお肉、そしてヨーグルト! ヨーグルトはプレーンで甘くないのでホブズとあいます。 塩味のヨーグルトがでてきたお家もありました。 [caption id="attachment_16051" align="alignnone" width="300"] トルコとシリアそれぞれのパン、ヨーグルト、オリーブを用意してくれました![/caption] 私がびっくりしたのは、果物やジャムなどの甘いものも一緒にはさんで食べるということ! あんずやイチゴジャムなどをはさむとデザート感覚で食べれて、 ウサマさんのお家ではスイカやメロンがでてきて、よく食べるんだと教えてもらった具材の組み合わせがメロンとチーズ! はさんで食べてみると塩気と甘味がちょうど良くて美味しかったです。 私のお気に入りは、ザータルというごま塩みたいなハーブ調味料で、 ホブズをオリーブオイルにつけてその後にザータルにつけて食べるんですが、クセになる味で好きになりました! [caption id="attachment_16054" align="alignnone" width="300"] オリーブオイルとザータル[/caption] ちなみに、ホブズは小麦粉を水と塩でこねて、大きな鉄板の上で焼いて作るそうです。 [caption id="attachment_16055" align="alignnone" width="300"] イスタンブールのお店にて。鉄鍋の上でホブズを焼きます。[/caption] 食つながりということで… アラビア語を勉強していた時にへぇ〜!となったコトバ② あの砂糖という意味のsugarはアラビア語で砂糖という意味の"sukkar"スッカルからの派生 !かと思いきや元々はサンスクリット語。 シャルカラsharkara(サンスクリット語)→シャカルshakar(ペルシャ語)→スッカルsukkar(アラビア語)→スークル sucre (フランス語)→シュガー sugar (英語) ちなみに、コショウは"fulful"フルフルと言うみたいです。覚えやすい! 最後に BASEでのプロジェクト応援などの学校支援にご協力いただきましてありがとうございます!! プロジェクト応援の他にオリジナルポストカードの販売も行っておりますのでよろしくお願い致します。 売り上げは、シリアの子どもたちの教育支援として使わせていただきます。 https://pieceofsyria.thebase.in/...

アッサラーム・アライクム! Piece of Syriaの小林です。 先日、私も無事にトルコから日本に帰国しました! 一瞬で短い旅でしたが、内容は濃いものばかりで多くのシリア人や現地で活動している団体の方々と実際に接することができて本当に良かったなと思います。 テレビや自分の中の固まったイメージから得られるものとは違うものが、実際に現地にはあって、行ってみないと分からないことがあるって本当だなとしみじみと感じました。 もちろん安全第一なので、危険な場所には行くことは避けるべきですし、情報収集をしっかりして行動することは何より大切です! そして、帰国してから一緒に住んでいる祖母や実家の両親にトルコやシリア人の話しをしました。 話しはまとめられてないので思い出したことを突発的に喋ってたんですが、 以前シリアの話しをした時と反応が違うな〜と感じました。 〜らしいよ、〜なんだってと話していた時と 体験してきてそれを話すのとはやはり説得力というか真実味があるのか分かりませんが、反応が良くて、 優しい人ばかりなんだねと言ってもらえるとなんだか私も嬉しくなってしまいました。 こんな風にまだシリア・シリア人のことを知らない人にも伝えていけたらいいなと思います。 ちなみに 日本到着後もトルコで知り合ったシリア人から、大丈夫?無事着いた?いつでも来てね。と連絡があり、またまた暖かい気持ちをいただきました(^^) まだ何もお返しできていないので、これから恩返ししていきたいと思います! ...

アッサラームアライクム!ピースオブシリアの武田です。 ピースオブシリアメンバーのトルコの旅が無事終了し、帰国の途についたようです。 (まだ会ってないです) 新しい課題が山盛りで、これから本当に忙しくなりそうです。 メディアやネットで様々な情報が飛び交っており、 少なくとも私たちはシリアのニュースに敏感にアンテナを張っているつもりなので、 よくわかっている「つもり」でしたが、 全く知らなかったこと、見えていなかったことばかり。 やはり現場での情報が一番確かだなと思います。 行かなければ見えてこなかったものばっかりです。 メンバー一丸となって、精一杯支援をしていきたいと思っています。 「神様は乗り越えなられない試練は与えない」 という言葉をよく耳にします。 もしそれが本当なのであれば、今回メンバーが持って帰ってきた たくさんの課題というお土産は 全部乗り越えられるし、全部意味があるのでしょう。 前向きにとらえて、一つずつ向き合っていこうと思います。...

アッサラームアライクム! Piece of Syriaの小林です。 現在はイスタンブールにおり、私はついに明日が帰国日(へむりさんは明後日ドバイへ)となりました! 最近の5日間は、トルコでシリア難民支援をしているNGO団体の方々とお会いし、お話しを聞いてきました。 一言でシリア難民支援と言っても、様々な支援のやり方があり、どの団体もただ何かを与えるという訳ではなく、シリア人がこの先自国に戻った時に自立して生活ができる仕組みを考えたり、未来のためにもなる形で活動をしていました。 シリア難民の医療、就職、言語、教育、生活コミュニティなど様々な面でのサポートをしているAAR JAPAN。 村に今あるもので、何ができて、それをどう生計につなげることができるかを考え、(例えば、村で農業を行い自給自足できる状態にしたり、また収穫物を売ることができれば生計を立てることができたりするような)自立生計を目指しているPARCIC。 トルコやシリア国内で教育、食料補償と生計、水と保健衛生、健康、市民社会サポート分野など幅広く大規模な支援をしているシリア人のNGOであるWATAN。 それぞれの団体で活動内容は違いますが、どの団体も圧倒されるような素晴らしい活動をしていて その中で私たちができることは何か、私たち自身がこれからどう活動していけば良いか、考えさせられることがいっぱいで良い勉強になります。 今回は、少し遅くなりましたが、 以前いただいていたシリア国内の学校を支援している私たちのパートナーであるウサマさんへの質問の答えを載せたいと思います。 Q1、学校で学んでいる子どもたちは保護者と暮らせている? A1、暮らせています。 現在支援している学校は3つの洞窟内の学校を含めて7つあり、全2000名の生徒がいます。その内の90%が両親共にと暮らしていて、残り10%は両親どちらかとのみで暮らしています。 ただアレッポ市内ではなくアレッポの田舎の方、イドリブなどに避難という形で住んでいます。 Q2、孤児になっている子はいる? A2、現在サポートをしている学校にはいません。 Q3、生徒たちは休み時間に何をして遊んでいる? A3、お絵かきをよくしています。 また時々、安全な場所で泳いだりもします。 ちなみに、へむりさんのシリア協力隊時代にも水路で泳いでる子どもがいたようで、今回出会ったシリア人もシリアにいた時はよく川で泳いでいたと言っていました。 泳ぐのが好きな子が多いようです。 Q4、今は何が一番困っている? A4、先生たちへの給料が払えないことです。 現在いる先生の90%はボランティアで活動をしてくれています。 ただ無償で働くには限界があり、ある程度の給料を支給し先生を続けてもらえるようにしています。 もし支給が途切れてしまうと、先生たちは学校を離れ、生活のために他の仕事を始めてしまうので、学校に先生がいなくなってしまいます。そうなると必然的に学校は閉まり、子どもたちは教育の機会を失なってしまいます。 現在、その給料を支払う目処がたっていないことが最重要課題となっています。 先生たちへの給料については、私たちとしてもどうにかできないかと検討を重ねています。 2000名の子どもたちは今、現実に、学校に通っていて、その学校が閉まると彼らの居場所は無くなってしまいます。もちろん安全は今よりも更に保証できなくなります。 シリアの未来そのものでもある子どもたちが勉強を続けることができるように活動していきたいと思います。 今後、子どもたちの様子などは随時お知らせしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。 もし、更に聞きたいことや疑問等ありましたらどうぞご連絡下さい! ...

アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   2017年の半分が過ぎました。 皆様はどんな半年を過ごされましたでしょうか?   2017年の年越し、僕はイタリアにいました。 観光をするわけではなく、シリアの人たちが各国でどう生きているかを知る為に旅をしている途中でした。   トルコ、レバノン、ギリシャのレスボス島、イタリア、ドイツ、イギリスを周っていました。 2015〜2016年にも同じように旅をしていて、その時は、ヨルダン、トルコ、イラク、ギリシャ、フランス、スウェーデンを周りました。   こうして何回か、同じ場所を旅して、シリアの人たちから話を聞いていると、最も感じるものが、2つの「変化」です。   一つは、シリア国内の変化、 一つは、国外での生活の変化です。   ● シリアで何が起こったか?   ちょうど今朝、ダーイッシュ(IS)が、イラクのモスルでほぼ制圧され、シリアのラッカで包囲されたとのニュースが流れてきました。   だからといって楽観視できるわけにいかないのは、シリア国内の情勢は非常に複雑だからです。     シリアの「内戦」と言われる今の騒乱が始まったのは2011年。   "シリア政府への反発から起こった平和的なデモを、暴力的に弾圧した事から始まった"   とよく報道されている説もあれば、   "国外からのお金と武器の流入から始まり、作られた暴力的な「民主化デモ」が、警察や政府軍に死者を出し、明らかな他国からの干渉から自国民を守るために、政府が武力で抑えるに至った"   という説もまた、証拠と共に、様々な文献の中で紹介されています。   このように、発端から複雑な様相を見せる騒乱は、アサド政権の支持基盤であるシーア派のアラウィ派と、国内の多数派であるスンニ派との対立という、メディアの報道の「演出」によりさらに複雑化していきます。   シリアは宗教が調和しており、他国で宗教を理由に弾圧を受けてきたキリスト教徒、イスラム教徒たちが逃げ込む国でした。 また、自分の友人がシーア派かスンナ派かを意識することなく、生活に溶け込んでいました。   そんなシリアで、かつてのルワンダで起こった民族浄化まで発展した民族対立のように、宗派による対立が創り出されました。   ※ちなみに、アラウィ派が、シーア派として認められたの約50年前の話だそうです。 現大統領バッシャール・アサド氏の父ハーフィズ・アサド氏が、大統領に就任の際、当時の憲法には大統領はイスラム教信徒でなければならないとなっていたので 、レバノンの著名なシーア派ムーサ ・サドル師に依頼して「アラウィ派はシーア派に属する」というファトワを出してもらいました。 (参考文献 国枝昌樹「報道されない中東の真実」)   アサド政権を支持する国々と、アサド政権を潰したい国々の思惑が交差し、 それぞれが政府と反政府軍をサポートする代理戦争へ。   そして隣国のイラクで生まれたダーイッシュが、第一次世界大戦の後のサイクスピコ協定でヨーロッパに「押し付けられた」国境線を破って、シリア北部の街ラッカへ勢力を伸ばしました。   元々はイラクのアルカイダだったダーイッシュですが、アルカイダと意見の不一致から対立へ。   更にここに、世界最大の少数民族と言われるクルド人の問題が加わります。 クルド民族は、トルコ・イラク・シリアの各政府が自分の国土では迫害を行ないながら、他国への牽制のために利用されてきた社会的背景があります。   そして、こうしたそれぞれの勢力に対して、資金や武器、戦略を提供する国や組織があり、 表立って報道されていることもあれば、報道されていることとは逆のことを秘密裏に行なっているのではないか、との見方もあります。   また、トルコがアメリカから離れてロシアに近づく、と言ったように大国の勢力図も固定化されたものでありませんし、各勢力も裏切りと同盟が日和見的に行なわれていたりもします。   …と、できるだけシンプルに説明をしたつもりですが、この複雑さです。   付け加えて、「情報戦争だ」とアサド大統領が言うように、情報もまた1つの武器として使われています。 メディア情報を利用して、「疑惑」を「真実」に見せて、世論を造り、「正当性」と演出することが可能です。   僕の知識はあまりに少ないですし、間違って信じてしまっていることもある思います。 しかし、戦略的な「情報」が行き交い、日々変わる「状況」の中で、シリアが今、どうなっているかを知っている人は、ほぼ皆無ではないか、とも思います。   なので、「よく分からないけど複雑だ」ということが、最も間違いない「理解」ではないでしょうか。   そして、ニュースで伝えられているような、単純な対立構図ではないことだけは、知っておいてもらえたら、と思います。   …と、シリア国内の「勢力図」の変化について話しているうちに、ずいぶんと長くなってしまいました。   シリア国内における「生活面」の変化や、 シリア国外での変化について、 次回の僕の記事で書いていきたいと思います。      ...

アッサラームアライクム! ピースオブシリアの武田です。 メンバーの挨拶を真似てみました^^。 メンバーから届くトルコの様子、 シリア人とのやりとりを見ていると シリア人の変わらぬ優しさにホッとする一方で、 彼らの厳しい生活状況に胸が痛くなります。 僕がシリアにいたのは15年も前のことですが 彼らとの日々は目にしっかり焼き付いていて、 今でも特別な時間だったと思います。 日本とシリアはあまりに離れていて文化も違うので いろいろな意味でカルチャーショックだらけでしたが、 彼らのおせっかい過ぎるくらいの優しさで、なんとかホームシックになる暇もなく過ごすことができました。 毎日誰かの家でご馳走になり、 「ここはお前の家だからいつでも来ていいよ」 と言ってくれました。 「今日遊びに行っていい?」なんて聞くと、 「お前の家なんだから、そんな野暮なことを聞くな」 と怒られたこともあります。 いつも無償の愛で尽くしてくれたシリア人たち。 こんな怒られ方をすることが、日本であるでしょうか? 紛争が始まってから、彼らに対して何も恩返しできてないことが胸のどこかにつっかえていて、悶々とした日々を送っていました。 まだまだ何も出来てないのですが、少しずつお返ししていきたいという気持ちで活動を続けています。...

アッサラームアライクム!ピースオブシリアの小林です。 トルコに来てシリア人に会って、会う人会う人本当に優しくてなんでここまでしてくれるんだろうと不思議でしかたのない毎日を送っています。 あるシリア人になんでこんなにしてくれるのかと聞くと、僕はシリア人だからねとサラッと言っていたのが印象的で、本当に自国に誇りをもっているんだなと感じました。 ウサマさんの心地良いお家に3日間もお世話になり、離れる時も、 あなたと過ごせて幸せだった。ここはあなたの家でもあるからいつでもおいで。と言ってくれて、初めて会った私にもそんなこと言ってくれるなんて、、、。 本当に幸せな気持ちをもらいました! バスでの移動途中に出会ったあるシリア人は、後ろの席の乗客で、トルコ語が分からない私たちに休憩のたびに何分まで休憩だからと教えてくれて、サービスエリアではお茶を毎回当たり前のようにご馳走してくれて、家に泊まりにおいでとまで言ってくれました。 ある別のクルド系シリア人の子には、お家にも泊まらせてもらい、ご飯もご馳走になってばかりで申し訳なく、ある時、我先にお会計をしたつもりが後で全額返されてこんなことする必要ないよと言われました。次に泊まる時も絶対うちに来てね!と家族みんなが言ってくれます。 今までシリア体験談として聞いてきたことが実際に起こると、とまどいながらも彼らの優しさは本当に素晴らしいなとしみじみと感じます。 [caption id="attachment_16009" align="alignnone" width="3264"] シャンルウルファ全体の夜景[/caption] そんな中、シリア人が多くいるトルコの南シャンルウルファではこんな話しも聞きました。 ◯シリアはアレッポから家族で4年前に避難してきて、今は医者になりたくて大学に通っている女の子。彼女は5人兄弟でその内4人は学校に通っているので学費がかかる。でも父親はいないので、その学費や生活費はここトルコで兄弟が働いている分やシリアのアレッポとダマスカスでカーショップを経営している親戚からの仕送りで生活している。 アレッポは、水や電気はないが人が全くいない訳ではないから働いてる人はいるんだと言っていました。 ◯その彼女に連れていってもらった女性しか入れない美容院では、多くの女性がイード(ラマダン後のお祭り)のためにオシャレに髪の毛をセットしていました。 そこではクルド系シリア人の男性が働いていて、彼は働きながら学生もしていて、家族はみなシリアにいると。家族はここトルコに来るために国境付近でずっと待っている、でもどのくらい待ってるかなんて考えたくないよと笑って話してくれました。 ◯その後、ある有名な観光地を見せてくれるために車で迎えに来てくれた彼女の親友の1人は、ラッカ出身で避難してきたが、彼の家族はシリアで銃撃されて亡くなってしまったと。1人になったけど僕には親友がいるから大丈夫だよ。その時は何て声をかけていいのか分からず、言葉が出てきませんでした。 「今いる場所で生きていくしかない。」 「今できることをするだけだ。」 「別に今のままでも良い。何も変えようがないんだから。」 普通に生活してるように見えるけど、みなそれぞれに事情があって、でもすぐには解決できる問題ではなくて。 では、私が彼ら1人1人に対して何ができるのかって考えると答えはでず、もどかしい限りです…。 でも実際にシリア人と会って話しをしてみると、聞いてた時とはまた感じ方が変わります。 安定した生活をシリアで過ごしてる時に、彼らも予期していなかったことが起こり、いつのまにか自国から避難しなければならない今の状態になっていたように、いつ私たちの身にも起こるか分からなくて、もし自分や自分の周りにいる家族・友達に同じことが起こったらと想像すると決して関係のない遠いことではないんだなと。 微力でも彼らのためにできることを探して行動していきたいと強く感じました。 以前いただいたウサマさんへの質問の答えは次回載せたいと思います! もし、更に聞きたいことや疑問などありましたら、どうぞ遠慮なく質問して下さい!...

アッサラームアライクム。 Piece of Syriaの中野です。   現在、ラマダンが明け、イスラムの新年にあたる「イード」のトルコにいます。   17時間ほどの長距離バスで、南部の方に到着し、街の人口の70%がシリア人と言われる場所までやってきました。   街中を走るバスは、イードと言うことで無料でした。街の中心部まで、その無料バスに乗って、友人であるシリア人と合流しました。   ●失われる故郷   まず近くのカフェに連れて行ってくれました。できたばかりでオシャレな雰囲気。 気温は43度と表示されていたので、歩くのも億劫な暑さですが、日陰のオープンテラス、しかも扇風機もしっかり周っていると、案外心地良いです。   そのあと、彼の親戚のおうちに一緒に行かせてもらい、新年の挨拶まわりに同行するような形でお宅訪問。ご飯をご馳走になりました。   聞くとラッカ(ISが「首都」と定めたシリア北部の町)の出身で、ISがラッカにやって来る前にトルコに避難してきたとのことです。   現地から様々情報が届くらしく、数日前にシリアにある自分たちの家の近くに爆弾が着弾したが、家はまだ壊されていないんだ、と言っていました。 しかし、ラッカは建物も道路も産業もボロボロだそうです。     ●見えない壁   彼の家へ移動し、荷物を置くと、次はホテルのプールに連れて行ってくれました。   五つ星ホテルの地下にあるプールは、ジムやサウナ、スチームサウナとハンマーム(浸かる場所がない銭湯みたいな所)もついていました。   彼は、彼女も呼んで、時折、微笑ましいカップルの交流を見せつけてくれます。   ですが、その帰り道に話を聞いていると、彼女はクルド系のシリア人、彼はアラブ系シリア人。その民族の違いから、結婚を相手の家族から断られているとのことでした。   幸せに見えるカップルに、見えていない壁があることを知りました。     ●何もない生活   夜に屋上で、彼と語りました。   「何もないんだよ。ここの生活は」   出逢った時に勤めていた国際協力団体NGOを辞め、そのあといくつかの団体に所属していた彼ですが、今も転職を考えています。   トルコに住むシリア難民にとって、最も待遇が良い仕事が「シリア難民支援」の団体職員でした。   しかし、「数ヶ月前から、教育に関するNGOが活動できなくなったんだ。生活支援に関することはできるけど、多くの国際NGOが活動できなくなっているし、シリア難民の労働が認められなくなってきているんだ」と言います。   なので、英語を話せて、学歴や経験のあるシリア人たちが、そうした仕事を失い、長時間労働で給料の安い単純労働に従事しつつあるんだそうです。 また、トルコからヨーロッパに向かう難民の数は激減しました。トルコがギリシャへの密航を取り締まりをしているんだそうです。   僕が去年、ギリシャのレスボス島に行った時には、トルコからギリシャの島までは来れても、そこから本土、ヨーロッパに向かえない、という状況でしたが、その島までも行けないという話でした。   トルコでの仕事はなくなり、ヨーロッパにも行けず、シリアに戻っても仕事がないし、安全もありません。 どこにも希望を見出せずに、トルコ政府の方向転換に左右されて生きていくしか無い現実。   同居人たちは仕事を失い、シェアルームの家賃も三分割していたものを一手に引き受けなくてはいけないと言います。   そんな現実の中で、シリアにいた時は飲まなかったお酒を飲みながら、笑顔で僕らを歓迎してくれているのです。   そんな彼がふとこぼした言葉でした。   「ここの生活には何もないんだよ。ただただ生きるために仕事をする。家族とは離れ離れだ。月末にはほとんどお金は残らない。結婚も難しい。自分たちの国はどうなるか分からない。このまま、何もないまま、いつかトルコで死ぬんだ。きっと」     ● 見えなくても、世界にあるもの   シリアに関する報道は少なくなりました。 シリア国内についても、こうした難民として各地に生活する彼らの状況についても。   見えないからと言って、起こってない訳でありません。   空爆や戦闘ほど、ニュースとして大きく取り上げられないですが、今もなお、その戦争もために国外に行かざるを得ない人たちの、厳しい現状が、ここにあります。    ...