シリアのピース

シリアに起こった変化②豊かなシリアを知る

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アッサラームアライクム!
Piece of Syriaのへむりです。

 

お待たせいたしました。シリアの人たちに起こった変化の続きになります。
今回は、シリア国内における「生活面」の変化について、お話できればと思います。
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一番お世話になったお家。

1日1ドルの豊かな生活

僕がシリアに住んでいたのは2008-10年です。
 
その当時、僕が一番お世話になっていたのは、マンベジ市にある小さな村の家族でした。 
 
両親と女の子3人(短大生、高校生、中学生)、男の子2人(小学生)のおうちで、生活費を稼ぐ父親は、村の保健センターで働く用務員さん。受付、掃除、ワクチンの管理などをしていました。
 
月収は200$ほど。シリアでも、決して多い方ではありません。
計算すると、一人当たりの生活費は1日1ドル以下になります。
 
しかしながら、子ども達を学校に通わせて、里帰りの家族旅行に行ったり、僕や近所の人たちにご飯を振る舞うことも日常的にしている余裕がありました。僕もあまりにしょっちゅう、ご飯を出してもらって、泊めさせてもらっているから、家賃のようなものを渡そうとしたら、断られました。
 
家も、田舎だからということもありますが、小学校の運動場くらいの大きさの庭付きで、リビングは絨毯が敷き詰められた50m2ほどの大きさがあります。
 
こうした「余裕」には、シリアの豊かさに加え、当時のシリア政権の政策が大きく影響があるように思います。
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村のお家のリビング。本当に広い!

僕の見たシリアの豊かさ

野菜はkgあたり20円ほど。旬野菜であるかどうかで値段は変わりますが、それにしても安い。
主食であるホブズ(ナンのような丸いパン)も非常に安価で買うことができました。 
 
交通費も、バスやセルビス(同じルートを周るワゴン車を使ったバスのような乗り物)が15円ほどで乗れたり、長距離バスなら、大阪〜東京間ほどの距離を、3列シートでも400円ほど。
市内のバスで老人や女性が入ってきたら、男性達は無言で席を譲り、それに礼を言うこともなく譲られた方が席に座ります。年配の方や女性を敬うのが当たり前だからです。
 
学校も、大学まで無料。就学率は97%だったそうです。
小さな村まで塾や、女性対象の識字教室があり、教育熱心な国だと感じました。
 
医療も無料です。薬も国内産で、非常に安価でした。 
 
犯罪の遭遇率は、日本の20分の一。つまり、日本の20倍の治安の良さ。体感的にもそれは感じました。実際、落し物はすべて返ってきました。カメラ・携帯・腕時計・現金にいたるまで・・・。
 
何より、もっとも素晴らしいと感じたのは、おもてなしの心です。
買い物客として行ったのに、お茶やサンドイッチをご馳走してくれます。
道がわからないそぶりを見せようものなら、バッと人が集まってきて助けようとしてくれます。
バスで隣に座った人が、自分の家に招待して、昼ご飯をご馳走しようとしてくれます。
喉が渇いたら、そのあたりに家をノックすれば水を出してくれ、そのまま家に招待してくれます。
通りすがりの結婚式に招待されて、一緒にご飯を食べ、一緒に踊らされます。
 
そんなことが日常の豊かな国でした。
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安く美味しい国産野菜・果物にあふれていました

戦場になった僕の村

「覚えているかい?村の先生をしていたアフマドだよ」
 
2015年。シリアの村の友人から連絡が来ました。
 
僕が住んでいたマンベジは、ダーイッシュ(IS)に占領されており、画像検索をすると「処刑場」が出てくるような、そんな状況でした。
 
僕がいた時、村の人たちは携帯は持っていても、メールやSNSは使っていませんでした。
(世界的にスマホがまだ出始めた頃で、日本でもFacebookの利用者は少なく、mixiが流行っていた時代です)
 
なので、シリアの村の人たちの連絡先は知らないまま、日本に帰って来ていたのです。
 
何より、村には連絡することなく行って泊めてもらうことが日常でしたから、
そうした連絡先を必要としなかったのです。
  
またすぐに会いに行けるから、と。 
 
しかし、「起こりえないはず」のいわゆる『アラブの春』が、シリアを戦場にしました。
 
今は行けないけど、すぐにまた行けるようになる・・・。
 
その思いと裏腹に、続くシリアを戦場にした紛争は、止むことがありません。
そして、僕のいたマンベジに侵入して来たダーイッシュ。
 
仲良くしていた人たちはどうなったのだろう?
不安な気持ちが募る中、確かめる術を持たず、どうしようもできないでいました。 
 
どうにかして動きたい。
 
その想いで、シリアの中に入ることができなくとも、難民の住む地域に行ってみようと、ヨルダン・トルコ・イラク・ヨーロッパに向かったのでした。
そして、帰国後にPiece of Syriaの活動を始めました。 
 
まさに、その時に、連絡が入ったのです。
 
「覚えているかい?村の先生をしていたアフマドだよ」と。
彼を通して、僕の仲良くしていた人たちの無事も確認できました。
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アラビア語で「マンベジ」と画像検索したら…

お金が足りない

あの豊かだったシリア国内の生活は、今は生きて行くことが精一杯な状況です。 
 
人口の1/4が海外に難民として、1/4が国内避難民として生活しております。
 
「元々いた土地を離れる」というのは、代々続いた土地を手放すということで、家、家具、仕事、家畜、農場、築いて来た人間関係、それら全てを失うということです。
 
200ドルで豊かに暮らしていた生活も、通貨のシリアポンドの下落により、価値が1/10へ。
つまり、物価が10倍になっている、ということです。
 
今は、シリア国内の野菜など物資の量は充分だということですが、それを買うお金が不足しています。
 
移動や輸送には、お金とリスクがつきまといます。
政府軍・反政府軍・ダーイッシュ・アルカイダ・クルド軍のほか、有象無象の様々な勢力が陣取っており、検問でチェックを行なうそうです。
 
ある人が教えてくれた情報では、「1000ドルを支払えば、トルコ寄りのシリア国境から首都ダマスカスまで、安全に移動できる」と言う話でした。
 
安全も、お金次第なのです。
ただし、すべての場所が危険だというわけではありません。日本の一部で起こった地震が全土に影響していないのと同様、安全な日常生活を送っている地域もあります。
 
ですが、10倍の物価上昇は、すべての場所の日常生活に影響を与えており、生活費が足りていません。
また、働き手である男性は、各勢力によって兵士として駆り出されます。
シリア人同士で殺し合いをしたくない、と徴兵制を避けるために、国外へ向かう男性も多くいます。彼らは難民となった場所で稼いだお金を、様々な方法で仕送りしています。
 
就学率97%で、あれほど豊かだった教育も、50%以下へ。
場所によっては6%ほどになった、というニュースもありました。 
 
想像してください。
 
あなたの給料が9割カットされて生活すること。
1年生の時、40人学級だったのが、6年生の時に2人しか残っていない学校を。
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友人としてできることを探して

もともと貧しく、戦争ばかりしていた人たちが難民になった訳ではありません。
 
もともと豊かに、平和に、家族を愛して生活をしていた人たちが、難民として、あるいは国内で困窮して生活せざるをえなくなってしまったのです。
 
僕らはこれからも、「困っているから助けたい」のではなく、
友人としてできることを精一杯考えて、行動をしていきたいと活動をしています。
 
それを是非、皆さんと一緒に動いていきたいなと思っています。
 

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