これからも「シリアをまた行きたい国にする」ことを目標に
支援が届きにくい場所に、必要な支援を届けたい!
こんにちは。NPO法人Piece of Syria創設者の中野貴行です。戦争や地震によって教育の機会を奪われたシリアの子どもたちに教育を届け、平和な未来を作るために、どうか私たちに力を貸していただけないでしょうか?
戦争前のシリアには、シンプルながらも平和で豊かな暮らしがありました。そして、教育は、100%近い就学率で、質の高い教育が無料で受けることができる「当たり前」のものでした。しかし、2011年から続く戦争で教育は「ぜいたく品」になりました。
「子ども達は未来だ。だから、教育こそが大事なんだ」と話すシリアの人たちの思いを受けて、私たちはこれまで、シリア国内で校舎の修復や、幼稚園・小学校の運営、トルコに逃れたシリアの子ども達向けの補習校の運営などを通して、延べ5万人近いシリアの子どもたちに教育の機会を提供してきました。
しかし、実は現在「シリアは13年間の危機が始まって以来、最大の人道危機の状態だ」と国連が警鐘を鳴らす状況にあります(※)。ニュースでシリアを見ることは多くなく、戦争が長く続くことで国際社会からの支援が激減しています。一方、昨年の戦争下で起きた地震による被害によって必要な支援は増えています。その結果、「必要な支援は増えているのに、報道と支援は減少している」という「見えない危機」に陥っているのです。。(※2024年6月 安全保障理事会)
そこで今回のクラウドファンディングでは、「シリアをまた行きたい国」になることを目指して、シリアの人たちが自分たちの力で復興・平和づくりをする土台作りである教育支援の活動を、さらに成長させる予算を集めるために目標金額1000万円にチャレンジします!
どうか、寄付を通じてシリアの、そして世界の平和を目指す仲間になってください!!ご支援とご協力を心よりお願いいたします。
⚫️ご支援はこちらから!↓↓
https://readyfor.jp/projects/syria2024/(9/13よりご覧いただけます!)
⚫️まず、リターンについて知りたい!という方はこちらから!↓↓
https://piece-of-syria.org/news/info/crowdfunding2024return.html
シリアと聞くと「難民」「戦争」というイメージが強いかもしれません。その国へ「また行きたくなる」とはどういうことでしょうか。
私は大学生の頃、トルコ・シリア・レバノン・ヨルダン・エジプトにバックパッカーとして訪れました。トルコからシリアに向かう国境を陸路で越えて、アラビア語の看板が並ぶ風景を目にした時のワクワクは、今も忘れられません。
実はシリアは、戦争前は「観光客ランキング30位*1」の観光国だったのです。世界で最も古くから続く古代都市やスーク(商店街)などの美しい建物や遺跡、美味しいシリア料理、そして旅人を温かく迎え入れるおもてなし文化があり、旅人からの評価も非常に高い国でした。
言葉がわからない風景に戸惑いながらも、道を歩いてると声をかけられて「お茶を飲んでいきな!」とご馳走になったり、道がわからなくてキョロキョロしていると「どこに行きたいんだ?」とたくさんの人が道案内をしてくれ、あげく目的地までのバス代まで支払ってもらう、なんてことも「シリアあるある」でした。
*1:https://tourism.gov.in/sites/default/files/2020-04/2010Statistics.pdf
世界遺産パルミラを訪問
その後、私は青年海外協力隊として2010年まで活動をして、さらにシリアと深く関わり、「シリアの家族」と言えるほどの大好きな友人達ができました。当時のシリアは日本以上に治安が良いほどで、100%を超える食料自給率*2、教育・医療は無料で、教育レベルも高く、昼の2時まで働ければ10人家族が養えるほどで、シンプルながら豊かな暮らしが営まれていました。*2:https://jppa.or.jp/archive/pdf/63_06_29.pdf
そうした日々を知っているからこそ、私たちが目指しているのは「支援が不要になり、平和なシリアを皆で訪れる未来」です。戦争前のシリアが完璧だとは言いません。ですが、旅人が「行きたくなる平和な平和で美しい国」であり、私が出会うシリアの人たちは、故郷の日々や文化を誇らしく話してくれます。
青年海外協力隊で活動していた村の小学校
2010年3月に協力隊を終えて帰国し、「またシリアに遊びに行こう」と思っていたのですが、2011年3月から戦争が始まりました。「シリアの家族」が住むシリア北部の村は、2015年にISに占領され、何度も活動で訪れた小学校の校庭が処刑場になったことを知りました。
なんとか「お世話になったシリアの人たちに恩返しをしたい」という思いから、2016年にPiece of Syriaを立ち上げて、教育支援を開始しました。また、2023年の大地震の際は緊急支援、そして学校の校舎の修復や心のケアセンターの設立などの復興支援を行いました。
活動を共にするシリア人スタッフは「教育は、未来の世代を育成し、前へ進む希望の力を与えてくれるものです。日本の皆さんのご支援のおかげで、毎年、何百人もの子ども達が無料で、そうしたケアや基礎教育を受けさせることができていることに保護者の皆さんから感謝の声が届いています」と話します。
戦争が続く中で起きた地震によって、シリアは厳しい状況にあります。
理由の一つは資金不足です。内戦が長期化し、シリアへの世界の関心が薄れまっています。結果、国際支援は減少し、2024年は国連が必要とする人道支援の資金のうち、わずか13%しか集まっていません。OCHAシリア担当事務総長は「シリアは忘れ去られる危険がある」と警告しています。(2024年7月 OHCHR)
特に教育に対する支援は、長期的な視野が求められるため、緊急支援の対象から外れがちです。例えば、戦争に加え地震被害が大きかったシリア北部では、約50%の学校が影響を受けましたが、地震から1年半以上が経過した現在でも、復興は進んでいません。その結果、3人に2人の子どもが学校に通えていないのです。
地域の半数以上の校舎が地震で壊れた。テント内での勉強は厳しい環境にある(2024年)
加えて、危惧されているのは文化の喪失です。遺跡が破壊されているだけではありません(※シリアの6つの世界遺産全てが危機遺産となっています)。代々受け継がれてきた無形遺産・口承文化が失われつつあるのです。なぜなら、シリアの人口の半分以上が難民・国内避難民となり、 先祖代々の土地を離れているからです。
避難先であるトルコで、シリアの子どもたちはトルコ語の学校に通っていますし、すでに半数はトルコ生まれでもあるため、大半が母国語のアラビア語の読み書きができません。さらに、難民への差別や非難が大きくなっているため、シリアの音楽や伝統行事を続けることが、迫害や逮捕への恐れにつながっており、伝統文化に触れる機会も失われつつあります。
補習校を運営し、母国の言葉や文化を忘れないための授業を実施
私たちが目指すのは、目の前の課題を解決することだけではありません。教育を通じて子ども達に希望を感じてもらうこと、そして、文化の保護・継承を通じた、平和な未来の国づくりの土台を築くことです。
戦争は人命や日常生活だけではなく、文化遺産を破壊します。文化遺産の喪失は、地域への愛着や、復興する際の心の拠り所が失われてしまいます。祭りなどの伝統が守られることが、復興する際の大きな力と勇気になるということは、震災による避難生活を経験された方も、ご理解いただけるのではないでしょうか。
また、シリア国内で、内戦で対立している勢力であっても、共通に価値を感じるシリア文化があります。その保護活動で協力することで、対立する勢力下にある地域に住む人たちでの対話が再開し、共通の未来を建設するための出発点となる希望につながる可能性があります。
マアルーラは、イエス・キリストが話していたアラム語を残す貴重な村だが、村人の半数が避難したまま帰っていない(撮影:2008年)
<シリア:未来に続く基礎を作る幼稚園の運営>
アラビア語(国語)・英語・算数と言った基礎教育と共に、楽しみながら集団生活を過ごすための心理社会的ケアを提供しています。戦争が続くシリアでは、子どもたちだけで外で遊ぶことができず、幼少期に社会生活を学ぶ経験がないことが小学校での高い退学率につながっており、幼稚園に通わなかった8割の子どもが小学校を退学しているという現地NGOの報告があります。幼稚園は、小学校以降の学校生活を送ることができる最初のステップとして重要な役割を担っています。教育の質の向上のため、先生向けのトレーニングや、日本の教育事例の共有なども行います。
<トルコ:母国を学ぶための、難民向け補習校の運営>
算数、英語、母国の言葉や歴史・文化を知らないシリア人の生徒のために、トルコのカリキュラムをアラビア語で学ぶ算数の授業や、シリアの歴史や文化を学ぶための授業や博物館訪問などのアクティビティも実施しています。2024年6月、東京大学の渡邉英徳研究室と協働で、平和教育ツール「平和のかけら」ワークショップを補習校で実施しました。「グループワークを通じて、クラスメートでの協働作業がとても良い刺激になった」「教育を受けられていないシリアの子どもたちがいることに憤りを感じて、将来、その現状を変えるという夢を持つことができた」という成果が生まれています。
<シリアの無形文化の保護>
上記の活動に加え、新たに進めようとしている活動もあります。
戦争が続くシリアでは、文化保護の重要性の理解は難しく、有形遺産である遺跡の破壊以上に、目に見えない無形遺産は気付かれることなく消滅する可能性があります。例えば、シリアは農業大国であり、農作業をするときに集団で歌う「労作歌」が綿々と受け継がれてきました。しかし、戦争により農産業は衰退、そして避難生活によってコミュニティがなくなったことで、「いま保護しなければ、永久に失われる文化」となっています。
そこで、私たちはシリア人考古学者、シリア人アーティストと日本の専門家の方々と協力しながら、無形遺産や音楽の保護を行なう予定にしています。
イスタンブールにて、シリア人アーティストと日本人アーティストで音楽を通した交流を実施。文化を保護するだけでなく、共に新しい文化を「創る」こともできると感じる(2024年)
<シリアの伝統文化を学ぶデジタル教材の作成と平和教育>
無形遺産をデジタルアーカイブ化し、デジタルの教材にすることを目指しています。デジタル化する利点は、過去から未来に届けられるようになることだけでなく、故郷に帰還できないシリアの人たちの地理的な分断を超えて、母国の文化を学べる唯一の方法となるからです。そのため、自団体が運営する教育機関を超えて、世界中に離散しているシリアの人たちに向けて普及できることを目指します。
さらに、シリアに残る人たちと、故郷に帰ることができないシリアの人たちが、力を合わせて取り組むことができる平和構築のプロジェクトという意義もあります。教材作りは、シリア人NGOだけでなく、日本の企業・大学と協力して行います。
シリア人考古学者イスベルさんは、NGO「Heritage for Peace」を創設し、文化財の保護や子ども達向けのワークショップを行なっています。彼は「文化遺産が対話の共通の基盤となる。だから、文化の保護を子ども達と共に行なうことは、平和教育につながるんだ」と話します。
戦争・平和について学ぶデジタルの活用事例が豊富な東京大学・渡邉研究室
<エンジニアを育成し、文化を学ぶデジタル教材を作れるように>
避難生活や経済制裁の影響で、不安定な生活を余儀なくされているシリアの人たちが最も重要視する教育分野が「英語」と「コンピューター」です。なぜなら場所を選ばないで仕事ができるスキルとなるからです。デジタル教材作りにおいても、エンジニアの力は必要です。高いレベルのICT教育を行なっている会社と協力し、ICT教育にも力を入れていき、私たちの支援を受けたシリア人がエンジニアとして文化事業を共に実施できる未来を作りたいと願っています。
シリアと縁があるアルメニアにあるICTのTUMO Centar
私たちの目標は「シリアをまた行きたい国にする」こと。この思いが伝わり、支援してくださった方から「寄付を通じてシリアを知り、いつか平和になったシリアを訪れることが私の夢になりました」と言っていただくことが増えてきました。
今回のプロジェクトのリターンにも、この思いを込めたものを準備しています。
ぜひ、シリアを身近に感じていただき、いつの日か、皆さんと一緒に平和なシリアを訪れる日を実現したいと本気で思っています。
「Piece of Syriaの素晴らしさは、一方的な支援ではなく、シリアの人々の声に耳を傾け、一緒に活動をつくり上げる姿勢です」と、教育プロジェクト管理を行うシリア人スタッフが話してくれました。戦争下で日々変わるニーズ、そして世界的にシリアへの支援が減少している中で、シリアの人たちと話すと、Piece of Syriaの活動への期待がますます高まっていることを感じます。
オンライン中心の活動ですが、年に1〜2回、対面で集まって話しています
<クラウドファンディング概要> ◾️期間:2024年9月13日(金)朝7時~2024年10月31日(木)23時 ◾️支援金の使徒:下記の一部として活用させていただきます。 ・トルコ補習校運営費 など
ご支援はこちらから!↓↓ https://readyfor.jp/projects/syria2024/(9/13よりご覧いただけます!) |