こんにちは、スタッフの坂田です。
非常に濃い、広島滞在を1本にまとめることができず、広島・後編です。
広島2日目。
昨日訪問した、齊藤先生からのご紹介で、
広島大学附属幼稚園を訪問しました。
広島大学附属幼稚園は、自然保育を主体としています。
園庭でも、森でも、保育室でも、歌ったり踊ったりままごとをしたり探検したり、
のびのびと過ごしています。
この幼稚園の特徴は「遊び」を中心として、主体的に行動する子どもを育てること。先生方は、子どもたちが自ら考え、行動することを促すような声かけをされています。
ご案内くださった掛先生は、
「子どもたちは自分から遊びを考える力があるので、先生方は、あれしなさい、これしなさい、と言いたいところをグッと我慢して、子どもたちの力を信じて待つんですよ」と。
シリアでは、幼稚園の頃から、どちらかというと、読み書きを学ぶ、「学習」が中心かつ、先生が主導。一方、自然の中で、どろんこになりながら、五感をフルに使って、遊びながら学ぶ子どもたちの様子に、ウサマは驚いていました。
わたし自身も驚いたのは、森の中の遊具は、保護者の方の有志がつくったものだということです。幼稚園のスタッフと保護者とが連携し、学ぶ環境を整えている、その協力体制と信頼関係の賜物だと思います。
<ご案内くださった、副園長の掛先生と。子どもたちの園での生活がわかるように、入口には保護者向けのお便りが掲出されています>
続いて広島大学附属幼稚園を後にして、広島市内へ向かいます。
広島大学附属幼稚園訪問後、広島市内へ移動し、ANT-Hiroshima(アントヒロシマ)
に伺いました。
NPO法人ANT広島は被爆地・広島ならではの平和の発信、平和な社会づくりへのサポートを、1989年から続けています。
<近藤さん・中央 4歳の時に被曝し、その時の体験を語ってくださいました>
お伺いした事務所にて、被爆者の方からのお話も聞かせていただきました。
今年で84歳を迎える近藤さんの被爆体験は、4歳のころだそうですが、
まるで昨日のことのように、お話されることに驚きました。
自分の経験したことを、世界の人にも伝えたいと、
80歳を超えてもなお、YMCAで英語を学び、当日は、英語でお話くださいました。
原爆からは命からがら助かったものの、その後の後遺症でご家族を亡くされたこと、
戦争をしないで、という強い思い
後世に自分の体験を伝えよう、という責任感をお話から感じ、
平和は”あたりまえ”ではなく、努力によって繋いできたのだと
先人たちへの感謝の念がわきました。
今回の広島で、代表の渡部さんに以下のようなご質問をしました。
シリアでは戦争について、ずっと「怒り」が残り続けている状態で地震の支援を拒絶することさえ起こっています。戦争被害者としての「怒り」や「憎しみ」について、広島では、どう「報復」ではなく「平和」につなげていっているんでしょうか?
そうすると、2つのことを教えてくださいました。
①リベンジしても、あなたは幸せにならないということを伝えること
②憎しみを克服するための勇気を持ってください
”許す”はできなくとも、平和へのエネルギーに変えることはできる
「あなたはできる」「自分はできるんだ」という自分を肯定すること
「怒り」は、誰かを傷つけずに表現する方法があることを伝えること。
例えば、絵、歌、詩、演劇など、アートセラピーなども有効です。
そうして、こう付け加えもしてくださいました。
”それはとても時間がかかること。
でも、きっとできる。シリアの人たちにはその「勇気」がある”と。
<写真 右端 ANT -Hiroshimaの代表 渡部朋子さん、スタッフの島本アンソニ勝次さん 右から3番目>
お話を聞いたあと、一緒に平和記念資料館へ行きました。
原爆ドームはこのような戦争の悲惨さだけでなく、どうやって平和を築くのか、を
わたしたちに教えてくれているように感じました。
ウサマのたっての希望でもあった、広島訪問。
実は、シリアの人たちに日本について知っていることを尋ねると、
「ヒロシマ・ナガサキ」の名前が出てくるのは、珍しくないのだそうです。
戦争から、日本が復興していく過程で、教育が重要な役割をした、
その事実が、シリアの人にとっての希望である、という話をウサマから聞き、
平和は当たり前でなく、努力して維持していくものだ、と思いました。
ウサマが語った、「教育という武器で平和を創る」という、強い意志を聞き、
悲しい過去に目を向けるだけでなく、これからの未来に対して、どう向き合うか、を
考えさせられる、広島滞在でした。