こんにちは!スタッフの鈴木のどかです。
7月1日から17日まで、代表の中野と私、鈴木はトルコへ出張に行ってきました。
今回の渡航の主な目的は、トルコに住むシリア難民の最新の状況について情報収集することと、私たちが運営支援する補習校を訪れることでした。
中野にとっては約5年ぶり、私にとっては初めてのトルコで、新鮮な発見や、予期せぬ収穫にあふれた旅となりました。
トルコ出張で見聞きしたこと、感じたことについて、何回かに渡って、みなさまにご報告していきたいと思います。
イスタンブール空港にて。旅のはじまりはじまり
イスタンブールから入国し、早速向かった先は、シリア国境近くの街、「シャンルウルファ」。地理的な近さもあり、多くのシリア人が難民としてこの街に暮らしています。
空港に着いてから一泊だけした、イスタンブールの様子と比較すると、やはり街の様子が随分と違います。
トルコというと政教分離で、イスラム教徒でも世俗的な方が多いイメージでしたが、シャンルウルファの道行く人びとは、しっかりとヒジャブ(スカーフ)を被った女性や、カフィーヤを頭に巻いた男性など、敬虔かつ伝統的な暮らしの雰囲気が残っていることがすぐに感じられました。トルコ語ではなく、アラビア語での会話もよく聞こえてきます。
旧市街に迷い込めば、活気のあるバザールの掛け声や、スパイスの顔香り、銅職人のトントンカンというリズム良い作業音に囲まれ、一気に気分が高揚してきます。
迷路のような旧市街。このあたりは銅製品が有名です。
シリアやトルコといった国境のなかった頃から、変わらない賑わいを見せる市場なんだなと感じます。
シャンルウルファでは、代表中野の元同僚のシリア人の方々を訪ね、お話を伺いました。
どなたも口を揃えて言うことは、「この数年間でシリア人を取り巻く生活環境がとても厳しくなった」ということでした。
2011年から最も多くのシリア人を受けれてきたトルコは、ヨルダンやレバノンといった隣国と比較して、シリア人が難民として暮らす環境としてはまずまず悪くない、というような印象でした。
しかし、戦争発生から10年以上が経ち、受け入れる難民の数も、国として受け入れられるキャパシティーを超えるようになってきたからか、それまで比較的寛大だった方針も、変化してきたようです。
具体的には、トルコ国籍を取得しているかどうか、によって、県をまたぐ移動や職業選択等に大きな制限が設けられているのだそうです。
そのような、難民としての生きづらさに加え、昨今のトルコリラ下落による経済苦や、2023年2月に発生した大地震の被害で、トルコで生きることがどんどん難しくなってきていると教えてくれました。
代表と、再会した元同僚シリア人との一コマ。
みんな、再会するなり「ナビール!!」(中野のアラビア語ネーム)と呼んでハグし、
「シリア支援団体の代表」としてではなく、一友人として心から再会を待ち望んでいた様子が印象的でした。
お話を聞いた家族の中でも、お父さんはシリアでは建築家として働いていたが、トルコ国籍がないために、現在は建設現場での肉体労働といった仕事しか出来ず、悔しい思いをしているとの話を聞きました。
そういった仕事にしか就けないことで、お給料が低い、というのはもちろんですが、それ以上に「本来持っている専門性を活かせない」ことで、尊厳が奪われているという事が受け入れがたいことなのだと感じます。
難民といっても、元々教育水準が高く、専門性を持った優秀な人材が多いシリアの方々です。たった10年ちょっと前までは、誇りを持って携わっていた仕事があり、豊かな生活を送っていました。
そういった方々が、たまたま「難民」となり生活する国が変わったことで、自分の能力を発揮できないことはどれだけ辛いことだろう、と想像します。
お話を聞きながら、どの家庭でも出してくださる煮出しコーヒー。
「トルココーヒー」と違い、カルダモンが香るのがシリアスタイルだと教えてくれます。
また、別のお宅では、子どもたちにもお話を聞くことができました。
14歳のとある男の子は、5歳のときに家族と一緒にトルコに逃れてきました。
トルコの学校に通っていますが、1クラスの中にシリア人は二人ほど。これまでずっと、トルコ語をうまく話すことができず、トルコ人のクラスメートに意地悪を言われたことがあったそうですが、コロナ渦にトルコ語を集中的に勉強したおかげで、今では流暢に話せるように。
かつて意地悪を言ってきたクラスメートとも、今では仲良く遊ぶ仲になったとのことです。子どもたちの強さって、本当にすごい!
ただ、仲良しだったシリア人の友達の一人が、最近トルコからヨーロッパに行ってしまって悲しい思いをしているそうです。
昨今のトルコでの生活状況の悪化をもって、多くのシリア人家族はより良い生活を求めてヨーロッパへ渡っているそうなのですが、行った先でも決して状況は良いものではありません。いくつもの危険な旅路を乗り越えながら、栄養失調で頬が痩せこけていく友達の写真を見て・・胸が辛くなります。
そのように、決して余裕があるとはいえない状況の中でも、わたしたちを全力でおもてなししてくださる、シリア人家庭のあたたかさに、胸がいっぱいになりました。
お宅にお邪魔すると、まず「コーヒーはいかが?トルココーヒー?それともシリアコーヒー?」と尋ねてくれ、「もちろんシリアコーヒーを!」とお願いします。どちらも小鍋で煮出すコーヒーですが、シリアコーヒーと呼ばれる方にはカルダモンが入るのが特徴です。エキゾチックな香り!
コーヒーのお供には、シリア人がやっているお店で買ってきたという焼き菓子や、ドライフルーツなどを出してくれます。
シリアのお菓子。たっぷりのゴマをまぶしたホロホロの生地に、中にはたっぷりのデーツ餡が入っていて絶品です。
ほんのりスパイスの香り。
そして、家族みんなを呼んで囲む、ご飯の時間。
カブサと呼ばれる、お肉とスパイスとお米を炊きこんだ豪快なお料理は、どのお宅でも定番。しょっぱいヨーグルトや、タヒーニという白ゴマを混ぜたソースがよく合います。
家族と過ごす時間は、シリアの人びとにとって何よりも大切なものです。
トルコでの生活でも、そういった時間が日々の生活を支えているのだなと垣間見ることができました。
とある家庭で出してくださったカブサ。
食べても食べても、「お代わりはどう?」と永遠に勧めてくれる、シリア人のおもてなしの洗礼を受けました!
まだまだ旅は続きます。
次回は、街を移動して、私たちが支援する補習校がある街、「ガズィアンテップ」滞在編をお届けします。
お楽しみに!