みなさん、こんにちは。
Piece of Syriaの中野貴行です。
僕はほぼ毎日のように、シリアの人たちと電話しながら、状況を聞いています。なので、活動そのものでないことも含めて、シリアの今について、シリア人から聞いた話を紹介していこうと思います。
シリアのことは「誰と話をするのかによって見え方が異なるよね」
これは現在、シリア国内で仕事されてる国連の方と話している時に仰っていたんですが、僕も日々、それを感じています。
話す人が今いる場所によっても、仕事・立場・民族・宗教によっても、見えていることが異なっていることもあるからです。
そして、シリアの状況は、本当に日々変わっていきます。
(なので、この記事もすぐに「昔の話」になると思います)
シリア情勢って複雑です。
(って、シリアの人たちが僕に「複雑でしょ?」と言います)
ですが、ニュースや解説だと、時間の関係もあって、シリア情勢を単純化してしまいがちです。そこで、あえて単純化せずに、様々なシリアの人たちの声を紹介してみます。
その目的は「シリアの中で、誰が正しくて、誰が悪い」ということを伝えることではありません。
「こういう話をしている人がいる」という声を紹介することを通じて、シリア情勢は複雑であることを知っていただきたいということ。
そして、その複雑さの中ではあっても、「シリアの人たちが未来に希望を持てるお手伝いをする」という目的のために、様々な声を聞きながら活動している、ということを感じていただけたら幸いです。
(アレッポ市内の情勢は落ち着いていると聞いています。ただし、食料・医療・教育・心のケアなど、様々な支援が必要な状況にあります)
今日、ラッカ市出身のAさん家族(アラブ系)と話していました。
「政権が倒れたことがとっても嬉しい。でも、まだ喜ぶことはできないのよ。シリアは本当に複雑。北東部は電気も水も、インターネットもないし、まだ安定してないのよ」と。
また、マンビジ市という僕が協力隊で活動していた街の小学校の先生Bさんと話したのですが、ここも1週間、電気・水がなく、学校も1週間、休校しているとのこと。
停電した家から電話をしてくれて、「灯油・ガソリン・ガスも値上がりしたんだ。マーケットも6割は閉まってる」と教えてくれました。彼が運営する塾には泥棒が入ったんだ、と。
「戦闘は今のところは無いし、きっとよくなると思う」と話していました
ただ、ユーフラテス川にあるティシュリーンダムが危ない状況らしく、エンジニアを紹介するよ、とダムで働くエンジニアから僕も状況を聞いているところです。
(参考)下記のニュースの後に「ダムの状況は安定した」というニュースも見たのですが、今日の時点では違っていたようです。
https://edition.cnn.com/2024/12/13/middleeast/syria-north-kurds-turkey-dam-intl/index.html
(マンベジで協力隊として活動していた2008年に、友達に連れて行ってもらったユーフラテス川沿いのダム)
難民としてトルコに住むCさんは、兄と共にトルコに住んでいたのですが、兄が3ヶ月ほど前にシリアに強制退去させられました。
兄は当初、アレッポ郊外(シリア国内のトルコ支配地域)に連れられたのですが、実家のあるラッカまで戻るために、2回の検問所で3000ドルを要求され、トルコに住む弟Cさんが工面して、なんとかラッカまで辿り着きました。
しかし、今のラッカは前述のように「電気も水も、インターネットもない」状況で、連絡が取れなかったそうです。
ただ、ダマスカスに親戚がいて、ダマスカスからだとCさんの兄に電話が通じたそうで、無事であることはわかったものの、夜間外出禁止令が出ているそう。「不安だけど、連絡が取れてホッとしたよ」と話していました。
(多い時は360万人のシリア人がトルコに住んでいて、アラビア語の看板を見ることも)
「シリアの問題は複雑よ。でも、アサドがいた時よりはシンプルになったのよ」とAさんは話しました。
政権崩壊前後に、たくさんのシリア人と話していますが、不安や心配の声を聞くことは、正直多いです。それはアサド政権時代がよかった、という意味ではなく、まだどうなるか分からないことへの戸惑いです。
「でも、きっとよくなるよ。僕らは前向きな気持ちでいるんだ」と話す人たちもたくさんいます。
不安・心配の気持ちにも寄り添いながら、シリアの人たちの前を向く力を応援する活動を、じっくりと続けていきたいと思います。
どうぞ引き続き、応援をいただけますと幸いです!
(私たちが反体制派エリアだった場所で運営する幼稚園の様子。11月末に砲撃を受けたため、地域の学校は休校していましたが、12/15の日曜日から授業が再開しました)