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Piece of Syria(ピースオブシリア) | 「君には残念だ」は、嬉しい言葉?悲しい言葉?
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「君には残念だ」は、嬉しい言葉?悲しい言葉?

「君には残念だ」は、嬉しい言葉?悲しい言葉?

 
 
アッサラームアライクム。Piece of Syriaの中野貴行です。
今日はシリアで「君には残念だ」という一言にまつわるエピソードをお伝えします。
 
 

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残念だと言われて嬉しくなった
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僕らは、言葉に傷ついているわけじゃない。
 
その言葉に、その出来事に、「どんな意味」を与えるのかを自分で決めて、
傷ついたり、喜んだりしているんだと思う。
それはシリアで僕が体験した話だ。
 
 
「全く。君には残念だよ」
 
久しぶりに会った友人に、そんなことを言われて、僕はひどく傷ついた。
というより、ムカついた。
 
でも、面白いことに、数ヶ月後に同じ言葉を言われた時には、
「嬉しい」と思えるようになった。
 
「残念だ」と言った理由が変わったわけじゃない。
言葉を受け止める僕の方が変わったのだ。
 

 
 

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人生はイメージを超えてくる
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ユーフラテス川、という名前を、皆さんは社会の授業で習っただろうか?
チグリス・ユーフラテス川にメソポタミア文明が生まれた、と世界史に出てくる川だ。
 
そんなユーフラテス川のすぐ近くに住む日が来るなんて、
学生時代の僕は想像もしなかったのだけれど、
世界史の資料集に載っていたような場所が、僕の近所にあった。
 
「イメージは現実化する」とは聞くものの、どうも僕の人生は、
イメージすらしていなかった方向に進んでいるような気がして仕方ない。
(自分がアラビア語が話せるようになる、なんて想像できる日本人なんているだろうか?)
 

僕がアラビア語で書いた自己紹介
 
 
僕の住む町からユーフラテス川へ向かうバスはなかったけれど、
タクシーを貸し切って向かえば、30分もかからないほどの距離だった。
 
1人でタクシーを借りるのは贅沢だなと思っていたので、商店街で知り合ったアブドゥさんが、「ユーフラテス川に行かないか」と誘ってくれたとき、喜んで飛びついた。
 
友人達は釣りに勤しみ(僕は見ていただけだけど)、その場で焼いて食べる。
そして、そのまま寝て、翌朝に帰る。
 
その時に見た夕焼けの美しさは、心にずっと残っている。
 
 

 
 
当時の僕は、まだシリアに住み始めたばかりで、
アラビア語がペラペラと話せたわけではないことも手伝って、
積極的に現地の人に電話をして会ったり、ということが得意なわけではなかった。
 
だから、アラビア語を話すのが億劫、というひどい理由で、
ユーフラテス川に連れて行ってくれたアブドゥさんとは、しばらく連絡を取らなかった。
 
 
ある日、偶然アブドゥさんとばったりと街中で会ったとき、彼は僕に言う。
 
「君には残念だよ」と。
 
久しぶり!元気だった?ではなく、「残念だ」。
 
理由を尋ねると「君は連絡をくれない。会わなかった。悲しいよ」と。
にしても、「残念だ」って言い方はないんじゃない?
会う気がもっとなくなる。
 
そんな見方が変わったのは、シリア生活が1年以上過ぎた頃だ。
 
 

 
 
 

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言葉の裏にある背景に気づく
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シリア生活が慣れてきて、「シリアの家族」と言えるような関係の家族ができた。
連絡もせずに会いに行くような、実家のような関係だ。
(むしろ日本の実家の方が連絡する)。
 
 
とはいえ、活動もあったので、その村に行けない期間もある。
そして、期間が空いて、久しぶりに村に行った時に、その家族に言われたのだ。
 
「君には残念だよ」と。
 
その時、ハッとした。
 
これは非難じゃなかったんだ。
寂しさを伝える言葉だ。愛情を伝える言葉なんだ。
 
 
アブドゥさんの時よりも、より深い人間関係ができていたからか、そのことに気付けた。
 
久方ぶりに「残念だ」と言われた僕は、笑って答えた。

 
 
「残念がらせてごめんね。でも、だから、今来たんだよ。僕はあなたに会えて嬉しい」と声をかけた。
 
「おう、俺たちも嬉しいぞ」と彼らは笑い、「今日も泊まっていくだろ?」と甘い紅茶のコップを差し出しながら言う。
 
「ありがとう」と僕が言うと、
「アハラン・ワ・サハラン(歓迎するよ)」とはにかむ。
 
すっかり舌が慣れてしまった、飴のように甘い紅茶と共に、彼らの優しさを、愛情を、噛み締めた。
 
 
笑顔で相手を見つめながら言う「大嫌い」と、
目も合わせずに仏頂面で言う「大好き」が、言葉本来の意味と違うように、
言葉そのものよりも、そこにどんな想いを載せているのかが大切だ。
 

アハラン・ワ・サハランと書いてある八百屋
 
 
 

 
 


 
 


 
 

 
 

「これは何のパーティー?」…その答えが衝撃でした

 
 

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