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Piece of Syria(ピースオブシリア) | 昔のシリア
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今回でラスト!「高校以上の学校の様子」についてをお届けします!   (1)子ども達の夢と学校の様子 (2)シリアの歴史と識字教室 (3)学校で何を学んでいるのか ——————————————————————————— 次女アーイシャ。16 歳。丸い顔にパッチリとした目の、童顔の美人だ。 中学校を卒業したあと、学校に行かずに家で家事の手伝いばかりをしていた。     [caption id="attachment_16294" align="alignnone" width="300"] 女の子は家の手伝いをする[/caption]       どうして高校に行かないのかが気になっていたが、それは聞いて良い質問なのかを計りかねて、 最近まで理由がわからなかった。     シリアの学校のシステムは日本と似ている。 小学校6年、中学校3 年、高校3 年、そして大学4年(医学部は6 年)。 中学から高校に上がるためには試験を受けなくてはならない。     高い点数を取れば理系・文系の高校へ、良くなければ商業高校、 工業高校、農業高校に進学する。 点数が足りずに進学できない場合もあるそうだ。シリアの商・工・農業高校は数も人気もないらしく、そうした学校に行かずに大学受験に挑むという人もかなり居るようである。     アーイシャもまた、点数が足りなくて理系・文系の学校に届かなかったために高校に行かないことを選択したのだ。 「勉強は好きよ」と言い、自宅の空き室を先生に貸して開かれている塾で、アラビア語と英語を学んでいる。         [caption id="attachment_16298" align="alignnone" width="300"] 村の塾[/caption]     高校には行かず、2 年間首都で働き、17 歳から受験勉強を始めた少年にも会った。 学習塾で働きながら勉強に励む彼は、「高卒じゃなくたって、大学には行けるんだ。僕はイスラム法学を学びたい」と語ってくれた。     その塾でアラビア語を教えているアフマド先生は、 「僕は商業高校に行ってたんだけど、それじゃ満足できなくなって猛勉強して、文系の高校に編入したんだ」 と言って僕を驚かせた。     「今は塾に行かないと大学に入るのは難しいね」と、アフマド先生は言う。 「昔と比べて学校の数は増えているけれど、国立大学の数は変わらないからね。競争が厳しくなって、そうだな、90%くらいの学生が塾に行ってるんじゃないか?」 おそらく、その数字は眉唾ものだが、「昔より難しくなった」という声はよく聞く。   (ちなみにアフマド先生は、村の高校で教鞭をとっていたのを急に辞め、村に文房具屋さんを開いてオーナーになり、かつマンベジ市の塾の経営者 兼 講師になっていた。村でも塾を開いている)       [caption id="attachment_16299" align="alignnone" width="300"] 町の中にある塾[/caption]     その大学受験は、バッカーローリエと言われる試験が全てである (紛らわしいことに「高校三年生」のこともバッカーローリエと呼ぶ)。   いわばセンター試験のようなものだが、シリアには二次試験はない。 このテストの点数を基に、大学と学部を決める。たとえば、医学部に行きたいと志願していても、テストの点数が足らなければ工学部を選ばざるを得なくなる。     家の近いアレッポ大学でアラビア語を専攻したいと思っても、点数が足りなければラタキア大学を選ぶことになるかもしれない。 各大学の各学部で足切り点が決まっているのだ。 その一覧が書かれたシートを見ながら、自分の入りたい、入れる大学と学部を選択するのである。         [caption id="attachment_16300" align="alignnone" width="300"] アレッポ大学で開かれた日本フェスティバル[/caption]     ある英語教師に言わせれば、これは「優秀な人材を出さないためのシステム」だ。 合計点で学部が決まるので、どの教科もまんべんなく点数を取らないといけない。 だから、英語が得意であっても、他教科で足を引っ張れば、英語に関わる学部に進めなくなる。 各人が得意なものを伸ばせないのである。 なまじ優秀な人材が出てきたら政府が困るから、というのが彼の弁。     「そして、どこのアラブの国でもやっているんだよ」と嘆いていた。 そして、彼は流暢な英語で夢を語ってくれた。     「今は学校と塾で英語を教えている。そうすることで子ども達にチャンスを増やしたいからだ。 英語は国際言語だからね。これができれば世界が広がる。 だが、いつかそれを辞めて翻訳の仕事をしたいと思ってるんだ。 様々な本は英語で書かれている。それを訳して、多くの知識を伝えたいんだ。」       [caption id="attachment_16296" align="alignnone" width="300"] アラビア語の本が並ぶ駅を改装した本屋さん[/caption]     大学受験の話に戻ろう。 バッカーローリエは2 回しかチャンスが無い。それでダメなら大学を諦めるしかない。 どうしても大学に行きたければ、私立の大学か外国で学ぶ方法があるけれど、国立大学と比べて圧倒的に授業料が高い。   短大という選択もある。長女ファルドスは、マンベジから1時間、村からだと計2 時間はかかるであろうアレッポ市の短期大学で美術を学ぶ。 アレッポ市にある親戚の家に居候しているが、週末には家族が恋しくて実家に帰ってくる。   短大は2 年間で、「卒業したら、 村の学校で美術を教えるつもりよ」と話してくれた。     医学部・薬学部に入るのはとりわけ難しい(正答率95%くらいが足切り点になる)。 よって多くの医師・薬剤師がロシア・ウ クライナ・ルーマニアなどの旧共産圏の大学で学んでいる。 百万円単位のお金はかかるので、誰でもと言うわけには行かないが、シリアでは医師も薬剤師も非常に儲かる職業なので、海外留学させてでも行けばリターンがある。       マンベジの薬局の “オーナー”のほとんどは留学で学位をとった人だ。 あえて“オーナー”と言ったのは、薬剤師は名前だけ置いておいて、 店番に空き時間のある公務員(先生・役場職員)を雇っていることが多いからである。   [caption id="attachment_16295" align="alignnone" width="300"] 薬局。薬は自国で生産されていて、低価格。[/caption]       そんな薬局で働く学校の先生と話した。 僕が「先生になりたいって子どもが多いなって思ったんだけど、それはどうして?」 と尋ねたら、  「教えるという仕事は人の役に立つ仕事さ。みんな、教えたいんだ。イスラムの教えに喜捨(ザカート)ってあるだろう?  貧しい人に、お金を渡すムスリムの義務だ。知識だってそうさ。あるものが無いものに渡す。これも立派なムスリムの仕事なんだよ」 と教えてくれた。    「知識が仕事や発展につながっていく。健康にもつながる。学んだことを伝えることで、人を幸せに出来る。  だから僕も誇りを持って仕事をしてるんだ。」              夢とは何だろう。 ある日、僕は思った。 希望を持たないというのは、絶望しないための生きる知恵ではないかって。 夢を持てば、叶えられない現実に絶望するのではないかって。     かつてフィリピンに行ったときも、シリアで暮らしながら日本のことを話す時も、 日本の話をするのは格差を見せ付ける行為なんじゃないかって、不安だった。   今も、何が正解かなんて解らない。でも、ブトゥーレに届いた気持ちが嬉しかった。 「夢の無い人生なんて、ないものと一緒よ」と、夢を語ってくれた。   叶わないから夢なんかじゃない。 叶えるために夢がある。 そして夢の実現はゴールではなく、新しい夢へのスタートラインだ。   夢を叶えたことが自信につながり、また新しい夢を持つ。 大きな夢を描く。 僕も夢を描こう。子ども達が夢を叶えられる世界になるように、と。     2009年9月に、「TAKAのシリア通信」として書いた文章より抜粋。...

    前回の「シリアの歴史と識字教室」の続きを掲載させて頂きます。 ((1)は「子ども達の夢と学校の様子」でした。)   http://piece-of-syria.org/2017/09/13/oldsyriavillage-2/   ——————————————————————————— 僕の一番の話し相手が、三女のブトゥーレ。 冒頭の夢を語ってくれた少女だ。中学生だが、賢さも人当たりの好さも群を抜いている。   彼女の言葉をベースに作った動画         「私ね、小学校1 年生の授業は受けてないの」と言う。 いぶかしげな顔で僕は尋ねる。 「どうしてさ?」   「飛び級よ。小学校1 年生でやる内容のことはもうクリアしてるって言われて、いきなり2 年生よ」 「そんなのがあるんだ」 「あれ?日本は無いの?」 「うーん、無いなぁ・・・・・ところで、ブトゥーレは学校が好き?」 「うん、好きよ。勉強するのが好き。学ぶのって素晴らしいことだと思う」 「うん、そうだね」と、僕は頷く。         「学校ではどんな授業があるの?」 「まず、アラビア語でしょ。英語に、数学。理科は生物・化学・自然科学、社会は歴史・ 地理・哲学があるわね。 フランス語もあるけど、先生が居ない学校もあるみたい」 「そっか、第一次世界大戦後にフランスに 占領されてた影響だね。他には?」 「宗教の授業があるわ。私はその先生のことが嫌いだけど(笑)。厳しすぎると言うか、優しくないのよね。みんな苦手だって言ってるわ」 「へー、宗教!どんなことを習うの?」 「お祈りの仕方だとか、イスラム教徒と してやるべきこととか、道徳を学ぶわね」 「僕が学生のとき、『道徳』って授業はあったけど、それと似てるのかな」   「あと、愛国心の授業があるわ」 「何それ?」 「民主主義とか、自由・社会主義とか、バース党のこととかを学ぶの」 「美術とか体育とかは?」 「あるわよ、もちろん。あ、通知表、見る?」 「うん」と僕が頷くと、部屋の引き出しから小学校から今までの通知表を見せてくれた。 10 段階評価で、ほとんどが9か10だ。     [caption id="attachment_16277" align="alignnone" width="300"] 通知表[/caption]       「宿題をしなくちゃ」とテキストを絨毯の上に広げる。 子どもの数が多いせいだろう、シリア人の家で、子ども用の学習机を見たことはまだ無い。 英語のテキストを開き、それを丸暗記していく。 あまりにも気になる間違った発音にだけ、僕も少しだけ指摘を入れながら、その様子を見つめる。       絨毯の上にある他の教科のテキストに手を伸ばし、ペラペラとめくると、保健センターのサービスの紹介や、怪我の処置や健康に関する情報が載っていた。 「それは理科よ」とブトゥーレが顔を上げてニコリとした。 教科書には、写真がほとんどなく、図か絵が載っている。 まさかイスラム教の「偶像崇拝禁止」と関係するとは思わないが・・・。       [caption id="attachment_16278" align="alignnone" width="300"] 衛生テレビでチャンネルは500ch以上あった[/caption]       宿題が一段落したのを見計らって、「学校ではどんなことを話してるの?」と聞いた。 「うーん、普通のこと。テレビの話とか、 歌手の話とか」 「男の子とも話すの?」 「ダメダメ。教室内でも、授業に関する必要なことしか話さないし、道で会っても挨拶もしちゃだめよ」 「先生とはどう?」 「性別に関係なく、授業以外では先生とはあんまり話さないかな。もちろん勉強に関する質問なんかはするけど、雑談ってことはしないわね」       「放課後に、女友達の家に遊びに行ったりは?」 「できないわね。私達の地域の習慣で、そういうのはダメなのよ。大人でも自由じゃないわ。 ・・・・・いいな、日本の女の子って。世界に行ったりできるんだもんね」 言葉をなくした僕に、ブトゥーレが微笑んで、「この前ね、アフマド先生が私たち生徒を湖に連れて行ってくれた の!学校の友達と一緒に遠足よ。楽しかったわ!」と言って、父親の携帯で撮った写真を見せてくれた。   (続く) --------------------------------------------------------- 次回は、「高校以上の学校の様子」についてをお届けします!     http://piece-of-syria.org/2017/09/22/oldsyriavillage-4/  ...

前回の続きを掲載させて頂きます。     http://piece-of-syria.org/2017/09/08/oldsyriavillage/     今回は、シリアの歴史と識字教室についてです。 ——————————————————————————— 「学校が増えたのは、フランスに占領されてからだよ」と、 赤と白のガラビーエと呼ばれる布を被った男が教えてくれた。   [caption id="attachment_16249" align="alignnone" width="300"] 頭にガラビーエをまとう村人[/caption]     シリアは第1次世界大戦後、仏の委任統治領になった。 それ以前はオスマントルコ帝国の支配下だ。     「トルコ時代は学校なんてほとんど無かったんじゃぞ。 あっても教えられるのはトルコ語じゃ。アラビア語じゃあのうてな。」     子ども達を数人集めて文字やコーランを教えているのを耳にすると、 トルコ当局は関係者を派遣して殴りつけることもしていたほどであったと言う。       「今はええ。道も整備され、どの村にも学校があって、教育が受けられるんじゃ。 イスラム教でもな、教育ってのは大切って教えとる。 預言者ムハンマドが最初に聞いた神の言葉は『読め!』じゃった。 彼は文盲だったんじゃがの。 読み書きができるってことは、知識が持てるということじゃ。 知識があれば健康 にもなれるし、良い仕事に就くこともできるじゃろ。」       そして今、少女時代に教育を受けられなかった大人の女性達のために、 政府主導で識字教室が開かれている。   どの村にもある学校を利用し、村人の講師(先生や高卒以上の人)には シリア政府から月500~1000SPの給料が渡される仕組みだ。     [caption id="attachment_16254" align="alignnone" width="300"] 識字教室の授業の様子。夜に授業が始まる[/caption]       生徒に、テキストが与えられて、無料で授業が受けられる。A村にも今年できた。 そこで教鞭を取る教師モハメド・アリーは言う。     「識字教室を始めようとしたとき、 俺たちは識字教室を開くために必要な14人の女性たちをどうやって確保したものかと考えたものだったよ。 でも、驚いたことに登録された名前は70 にも上ったんだ。 この数は村で農業に従事する人数と同じだ。現在の生徒数は40人。 年をとっている大人も勉強にはとっても熱心で、その証拠に50歳になるおばさんもいる。 ただ、彼女は年齢を理由に、(卒業証書がもらえる正式な生徒ではなく)聴講生扱いなんだが。 この識字教室は1963~1993年生まれの人にしか参加できないからな。」       専門家団の調査によると、マンベジ郡内には、成人女性の非識字率75%の地区もある。 しかし、子ども達の識字率は総じて高い。       旅行者時代、英語が出来ない大人に代わって、10歳の子ども達が通訳をかって出てくれたこともある。 ノート、テキスト、制服、筆記具、通学鞄などの費用はかかるが、払えないほどではない。 大学までの授業料は無料だ。 大人向けに識字教室もある。         [caption id="attachment_16251" align="alignnone" width="300"] ラタキアの大学。大学院に通いながら学校の先生をする人もいた[/caption]       A村に行ったとき、僕が何度も泊めて貰っている家族がある。 その家族の家長は村の保健センターで受付・記帳・掃除などを仕事にしている。   熱心なイスラム教徒でもある。昼の12 時~2 時頃には仕事を切り上げ、家に戻る。 昼ご飯を食べたら、横になってテレビを見たり、紅茶を片手に来客の接待をする。   この家の居心地の良さは、彼の家族の優しさも勿論なのだが、 彼がシリア人には珍しく煙草を吸わないのもそうだろう。   現在、奥さんは妊娠中だ。 一番の話し相手が、三女のブトゥーレ。 冒頭の夢を語ってくれた少女だ。   (続く) --------------------------------------------------------- 次回は、「学校で何を学んでいるか」についてをお届けします!    ...

2009年9月に僕が書いた文章です。 当時のシリアの状況が伝わってくるように思ったので、掲載させていただきます。 (文章が長いので分けて発信していきますね)     ------------------------------------------------------- 子ども達に夢を聞く。   驚くほどすぐに答えが返ってくる。 先生、お医者さん、エンジニア、パイロット・・・。嬉しそうに、我先に、手を上げて教えてくれる。   キラキラした目で将来の職業を語る子どもたち。それを見ていると、僕は幸せな気持ちになる。夢を持てるのって、素敵なことだと思う。             自分の家からセルビス(ワゴン車を使ったバス)に乗って 20 分ほどの場所にあるA村。     [caption id="attachment_16237" align="alignnone" width="225"] ワゴン車を使った市民の足セルビス[/caption]       目立った産業はない。   住民の多くは、夫が首都や海外へ出稼ぎし、建設関係の仕事をして稼いだお金で生活している。   出稼ぎ先はレバノン、ヨルダン、サウジアラビア、湾岸諸国、ギリシャなどだ。   男達が数ヶ月働いて、家族の居る村に帰ってくる、そんな生活を繰り返している。   オリーブや野菜・果樹などが育てられているが、オリーブを除けば、商売にするほどの規模はない。             以前は川が流れていて米もとれたが、10年ほど前に川は干上がっており、 農業をするためには地下水を汲み上げるエンジンを買う必要がある。     飲料水も同様で、以前は桶を下ろして水を汲んでいた井戸にはフタがしてあり、 エンジンを動かして地下100m から引っ張り上げた水をドラム缶やバケツ、貯水槽に貯めておく。   エンジンが買えない家は、近所の親戚の家に行って、白いバケツに水をもらう。 その重いバケツを頭の上にのせて女性達が家まで運ぶ。   綿花やオリーブの収穫シーズンになると、 トラックが村の女性達を乗せて東へと向かう。     日が昇る前にトラックに乗り込み、昼の2 時頃に帰ってくる。 暑い中、手首を傷めるような労働をした収入は、1 日に200 円ほどだ。     村には、小中高を掛け持ちしている学校がある。   午前の部と午後に分かれ、生徒数の多い小学校と中高の授業が交代で行われる。 午前か午後かは、毎週入れ替わる (今週が午前の授業なら、来週は午後から始まる)。     僕の住居があるマンベジ市(人口20 万人ほど)であれば、 小中高は建物そのものが分かれているのだが、午前・午後の2部制は変わらない。   昼の12 時ごろになると、校舎から子ども達が吐き出されていく。 給食はない。   休み時間や帰り道にお腹を空かせた子どもが チョコやポテト、アイスを買い食いしたりするのを見かける。   そのために子ども達は、学校に行く前に「僕の5SP ちょうだい!」と母親に小遣いをせがむのだ。   授業時間は、午前の部は7 時半から12 時半、 午後は12 時半から5 時20 分までで、45 分授業×6 コマ。 日が暮れるのが早い冬は、40 分授業で早く終わる。     シリアのほとんどの村には小学校がある。   中高は小学校ほどの数がないので、他の村から通ったりする。 アルファラット村の校庭には、近くの村から通学する少年達のバイクが十数台停まっていた。   「学校が増えたのはフランスに占領されてからだよ」と、 赤と白のガラビーエと呼ばれる布を被った男が教えてくれた。       (続く) http://piece-of-syria.org/2017/09/13/oldsyriavillage-2/  ...