メールマガジン登録
■ 登録・解除フォーム

ご登録されたいE-mailアドレスを入力し、ご希望の項目ボタンを押してください。

Piece of Syria(ピースオブシリア) | シリア難民
133
archive,tag,tag-133,ajax_fade,page_not_loaded,,side_menu_slide_with_content,width_470,qode-theme-ver-10.0,wpb-js-composer js-comp-ver-5.4.2,vc_responsive
 

シリア難民 Tag

  アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。ヨルダンにあるザータリ難民キャンプを訪問し、伺ったお話を共有させて頂きます。   ※見聞きした話になるので、公式なデータではなく、ご参考としてお読み下さいませ。  また、時期によって状況は異なります。こちらは2017年11月時点です。   ● キャンプ内の教育はどうなっているの?   基本的に、無料で誰でも教育を受けることができます。 ですが、村落部から逃げて来た親達が、教育に関心を持っていないケースがあり、学校より働いて欲しいと願う場合も多いと聞きました。   キャンプ内の学校は、ヨルダンの教育省が運営しているもので、 卒業すれば、普通の公立学校と同じ卒業証明書をもらえて、大学に行けます。 学校は午前が女子、午後が男子、と行った風に分かれています。   学校は、年齢ではなく学力がベースで学年が振り分けられています。 (シリア騒乱直後に、学校に通っていないケースもあるため)   そうした正式な学校の他に、NGOが運営する補習校のようなものがあり、 学生の補習のほか、学校に行っていない子ども達のために、読み書き計算や情操教育を実施しています。   そうしたNGOでは、学習に関心がない家庭の子ども達に、学校に来てもらうように家庭訪問をしたりもしますが、 最終的には自分の意思で来てもらうことを重視しています。   ヨルダンの大学の授業料は高く、奨学金を得て行くケースが多いとの話で、キャンプから大学へ通うバスを大学が準備してくれたりもするそうです。キャンプ内で短期の授業を行なったりすることも。   https://www.youtube.com/watch?v=20qpq6Y7Lk4&t=8s     ● キャンプ内の医療はどうなっているの?   治療、出産、予防接種など、基本的には無料で受けられます。 しかし、薬が不足しており、薬局はキャンプの外の街に行かなければありません。 また、歯科医療は3ヶ月待ちだそうです。   ● 離れている家族(シリア国内にいる場合も含めて)とのやりとりはSNSや電話でできているのですか?   できてます。 しかし、キャンプ内の電波は非常に弱いです(外部と連絡してテロなどのリスクを避けるためと聞きました)。   電気も計画的に停電しています。   また、シリア市内も電力不足や電波が弱いこともありますが、 小さな村に住む、僕のシリアの家族ともWhatsAppでビデオ通話ができるほどにはアクセスができました。         ●キャンプでの生活で困っていることは何ですか?  暑さと寒さが厳しいことと、すべてに許可が必要なこと、という話を聞きました。 (マイナス面を質問したくなかったので、あまり聞けていません)   寒さを防ぐためのブロック塀の積み方などがあるそうなのですが、治安上の理由からできなかったそうです。   [caption id="attachment_16535" align="alignnone" width="500"] キャンプの入り口[/caption]   ちなみに、セキュリティゲートを抜けると、「シャームゼリゼ通り」と呼ばれる商店街がある。 (シリアの首都ダマスカスの別名”シャーム”と、”シャンゼリゼ通り”を掛け合わせた名前だが、以前はシャンゼリゼ通りと呼ばれていた)   普通の街と見間違うほど、八百屋、服屋、仕立て屋、レストラン、携帯ショップなど充実した店が並んでいます。 正確には違法だそうですが、限られた有力者が卸問屋らしく、その辺りは曖昧になっているそうです。         普通の街と大きく違うのは、自転車屋さんが多いこと。 シリアでは慣習的に子ども達しか乗っている姿を見ませんでしたが、 東京ドーム112個分という広大なキャンプ内の移動に、自転車が大活躍しています。     https://www.youtube.com/watch?v=N6uwFqZpkv8     ●以前と比べてキャンプ内の状況の変化について(待遇の良し悪しなど)   インフラや治安面を見ても、よくなってると聞きました。 水インフラは、今は給水車やバキュームカーで供給していますが、来年には上下水道を通す予定だそうです。   ですが、あるキャンプ内の施設で働くヨルダン人によると、 「シリアの状況が良くなって来たから、ザータリ難民キャンプの半分近くのシリア人がシリアに戻ったよ。 キャンプを出て行った人が皆、シリアに戻るとは限らないけれど、大半はシリアに戻ったみたいだ」と。   他のスタッフからは「シリアに農地や家などがある場合に限るから、帰る人はそれほど多くない」とも。   ちなみに、ザータリ難民キャンプの人口は8万人とされていますが、実際はその倍近い、という話も聞きました。 現在、新たなシリア人の受け入れは行なっておらず、アズラック難民キャンプという別のところで受け入れています。   アズラックは、砂漠のど真ん中にあり、夏冬の寒暖差や、砂嵐がひどく、 ザータリと違って、近くに街がないため、買い物や労働ができないため、非常に人気がありません。   [caption id="attachment_16539" align="alignnone" width="500"] 近くの町マフラックからキャンプにバスが行き来する[/caption]       ● 笑顔は指標にならない 2016年1月に1度、今回、2017年11月に2度目の訪問になります。   一度目の訪問は、自由行動でしたので、その辺りをぶらっと歩いていると、 通りすがりの方にコーヒーをご馳走になって、そのまま家の中まで案内してもらいました。     水タバコを吸いながら、話を聞いたり、家庭菜園の様子を見せてもらったり。 そのあとは子ども達とサッカーをしたり、また昼ご飯を別のおうちでご馳走してもらったりもしました。   自分たちが大変な立場になっても変わらない、シリアの人たちの「おもてなし」の心に感動しました。       [caption id="attachment_16537" align="alignnone" width="500"] キャブセという鶏肉ご飯[/caption]       今回もまた、感じたのは、決して悲観的には見えないシリアの人たちの姿です。 ただ、じっくりと話を聞いて見ないことには、もちろん分かりません。 僕が以前、このような記事を書きました。。   「笑顔は貧困の指標にならない。 この言葉を教えてくれたのは、日本人の現地スタッフの人だ。 コミュニティができる、日常がある。そうである以上、笑顔がない、ということはあり得ない。 「貧しさ」を「哀れなもの」として強調する時に使われる悲しみの表情に満ちた写真は ある種の“虚像”で、自然災害や戦争などの異常事態、つまり短期間で突発的な非日常だ。 だが本来、貧困というのは慢性的で、じわじわと人々を苦しめている。 が、そこには笑顔があるのだ。」 「笑顔は貧困の指標にならない  ~僕がフィリピンで見てきたこと~」   僕が訪れたわずか2日間で見えたものは本当にわずかではありますが、 一つの視点として、皆さんと共有できれば幸いです。     ● 私たち支援の詳細     1000円から始められる、子ども達の未来を創る活動。 ポストカードを買っていただくこと、 シェアをしていただくこと、 そうした一つひとつが世界を変える力になります。 未来を変える力になります。 是非、一緒に動いてもらえたら嬉しいです!!!   ・ネットでのご寄付   ・銀行口座でのお振込 ゆうちょ口座 ピースオブシリア        店名 408(ヨンゼロハチ)        普通 4328753   ※お手数ではございますが、報告書や報告会のご案内を送らせて頂きますので、 お振込みの場合は  ・メッセージ、DM  ・メール(piece.of.syria@gmail.com)  ・問い合わせ(http://piece-of-syria.org/contact/) まで、ご一報くださいませ。        ...

アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   お待たせいたしました。シリアの人たちに起こった変化の続きになります。 前回は、シリア国内の「勢力図」の変化についてお話をさせて頂きました。 今回は、シリア国内における「生活面」の変化について、お話できればと思います。   [caption id="attachment_16069" align="alignnone" width="1024"] 一番お世話になったお家。[/caption] ● 1日1ドルの豊かな生活   僕がシリアに住んでいたのは2008-10年です。   その当時、僕が一番お世話になっていたのは、マンベジ市にある小さな村の家族でした。   両親と女の子3人(短大生、高校生、中学生)、男の子2人(小学生)のおうちで、生活費を稼ぐ父親は、村の保健センターで働く用務員さん。受付、掃除、ワクチンの管理などをしていました。   月収は200$ほど。シリアでも、決して多い方ではありません。 計算すると、一人当たりの生活費は1日1ドル以下になります。   しかしながら、子ども達を学校に通わせて、里帰りの家族旅行に行ったり、僕や近所の人たちにご飯を振る舞うことも日常的にしている余裕がありました。僕もあまりにしょっちゅう、ご飯を出してもらって、泊めさせてもらっているから、家賃のようなものを渡そうとしたら、断られました。   家も、田舎だからということもありますが、小学校の運動場くらいの大きさの庭付きで、リビングは絨毯が敷き詰められた50m2ほどの大きさがあります。   こうした「余裕」には、シリアの豊かさに加え、当時のシリア政権の政策が大きく影響があるように思います。   [caption id="attachment_16070" align="alignnone" width="1024"] 村のお家のリビング。本当に広い![/caption] ● 僕の見たシリアの豊かさ   野菜はkgあたり20円ほど。旬野菜であるかどうかで値段は変わりますが、それにしても安い。 主食であるホブズ(ナンのような丸いパン)も非常に安価で買うことができました。     交通費も、バスやセルビス(同じルートを周るワゴン車を使ったバスのような乗り物)が15円ほどで乗れたり、長距離バスなら、大阪〜東京間ほどの距離を、3列シートでも400円ほど。 市内のバスで老人や女性が入ってきたら、男性達は無言で席を譲り、それに礼を言うこともなく譲られた方が席に座ります。年配の方や女性を敬うのが当たり前だからです。   学校も、大学まで無料。就学率は97%だったそうです。 小さな村まで塾や、女性対象の識字教室があり、教育熱心な国だと感じました。   医療も無料です。薬も国内産で、非常に安価でした。   犯罪の遭遇率は、日本の20分の一。つまり、日本の20倍の治安の良さ。体感的にもそれは感じました。実際、落し物はすべて返ってきました。カメラ・携帯・腕時計・現金にいたるまで・・・。   何より、もっとも素晴らしいと感じたのは、おもてなしの心です。 買い物客として行ったのに、お茶やサンドイッチをご馳走してくれます。 道がわからないそぶりを見せようものなら、バッと人が集まってきて助けようとしてくれます。 バスで隣に座った人が、自分の家に招待して、昼ご飯をご馳走しようとしてくれます。 喉が渇いたら、そのあたりに家をノックすれば水を出してくれ、そのまま家に招待してくれます。 通りすがりの結婚式に招待されて、一緒にご飯を食べ、一緒に踊らされます。   そんなことが日常の豊かな国でした。   [caption id="attachment_16071" align="alignnone" width="1024"] 安く美味しい国産野菜・果物にあふれていました[/caption] ● 戦場になった僕の村   「覚えているかい?村の先生をしていたアフマドだよ」   2015年。シリアの村の友人から連絡が来ました。     僕が住んでいたマンベジは、ダーイッシュ(IS)に占領されており、画像検索をすると「処刑場」が出てくるような、そんな状況でした。   僕がいた時、村の人たちは携帯は持っていても、メールやSNSは使っていませんでした。 (世界的にスマホがまだ出始めた頃で、日本でもFacebookの利用者は少なく、mixiが流行っていた時代です)   なので、シリアの村の人たちの連絡先は知らないまま、日本に帰って来ていたのです。   何より、村には連絡することなく行って泊めてもらうことが日常でしたから、 そうした連絡先を必要としなかったのです。   またすぐに会いに行けるから、と。   しかし、「起こりえないはず」のいわゆる『アラブの春』が、シリアを戦場にしました。   今は行けないけど、すぐにまた行けるようになる・・・。   その思いと裏腹に、続くシリアを戦場にした紛争は、止むことがありません。 そして、僕のいたマンベジに侵入して来たダーイッシュ。   仲良くしていた人たちはどうなったのだろう? 不安な気持ちが募る中、確かめる術を持たず、どうしようもできないでいました。     どうにかして動きたい。   その想いで、シリアの中に入ることができなくとも、難民の住む地域に行ってみようと、ヨルダン・トルコ・イラク・ヨーロッパに向かったのでした。 そして、帰国後にPiece of Syriaの活動を始めました。   まさに、その時に、連絡が入ったのです。   「覚えているかい?村の先生をしていたアフマドだよ」と。 彼を通して、僕の仲良くしていた人たちの無事も確認できました。   [caption id="attachment_16072" align="alignnone" width="1024"] アラビア語で「マンベジ」と画像検索したら…[/caption] ● お金が足りない   あの豊かだったシリア国内の生活は、今は生きて行くことが精一杯な状況です。   人口の1/4が海外に難民として、1/4が国内避難民として生活しております。   「元々いた土地を離れる」というのは、代々続いた土地を手放すということで、家、家具、仕事、家畜、農場、築いて来た人間関係、それら全てを失うということです。   200ドルで豊かに暮らしていた生活も、通貨のシリアポンドの下落により、価値が1/10へ。 つまり、物価が10倍になっている、ということです。   今は、シリア国内の野菜など物資の量は充分だということですが、それを買うお金が不足しています。   移動や輸送には、お金とリスクがつきまといます。 政府軍・反政府軍・ダーイッシュ・アルカイダ・クルド軍のほか、有象無象の様々な勢力が陣取っており、検問でチェックを行なうそうです。   ある人が教えてくれた情報では、「1000ドルを支払えば、トルコ寄りのシリア国境から首都ダマスカスまで、安全に移動できる」と言う話でした。   安全も、お金次第なのです。 ただし、すべての場所が危険だというわけではありません。日本の一部で起こった地震が全土に影響していないのと同様、安全な日常生活を送っている地域もあります。   ですが、10倍の物価上昇は、すべての場所の日常生活に影響を与えており、生活費が足りていません。 また、働き手である男性は、各勢力によって兵士として駆り出されます。 シリア人同士で殺し合いをしたくない、と徴兵制を避けるために、国外へ向かう男性も多くいます。彼らは難民となった場所で稼いだお金を、様々な方法で仕送りしています。   就学率97%で、あれほど豊かだった教育も、50%以下へ。 場所によっては6%ほどになった、というニュースもありました。   想像してください。   あなたの給料が9割カットされて生活すること。 1年生の時、40人学級だったのが、6年生の時に2人しか残っていない学校を。     ● 友人としてできることを探して   もともと貧しく、戦争ばかりしていた人たちが難民になった訳ではありません。   もともと豊かに、平和に、家族を愛して生活をしていた人たちが、難民として、あるいは国内で困窮して生活せざるをえなくなってしまったのです。   僕らはこれからも、「困っているから助けたい」のではなく、 友人としてできることを精一杯考えて、行動をしていきたいと活動をしています。   それを是非、皆さんと一緒に動いていきたいなと思っています。   では、次回は、シリア国外での変化について、お話できればと思います。  ...

アッサラームアライクム。 Piece of Syriaの中野です。   現在、ラマダンが明け、イスラムの新年にあたる「イード」のトルコにいます。   17時間ほどの長距離バスで、南部の方に到着し、街の人口の70%がシリア人と言われる場所までやってきました。   街中を走るバスは、イードと言うことで無料でした。街の中心部まで、その無料バスに乗って、友人であるシリア人と合流しました。   ●失われる故郷   まず近くのカフェに連れて行ってくれました。できたばかりでオシャレな雰囲気。 気温は43度と表示されていたので、歩くのも億劫な暑さですが、日陰のオープンテラス、しかも扇風機もしっかり周っていると、案外心地良いです。   そのあと、彼の親戚のおうちに一緒に行かせてもらい、新年の挨拶まわりに同行するような形でお宅訪問。ご飯をご馳走になりました。   聞くとラッカ(ISが「首都」と定めたシリア北部の町)の出身で、ISがラッカにやって来る前にトルコに避難してきたとのことです。   現地から様々情報が届くらしく、数日前にシリアにある自分たちの家の近くに爆弾が着弾したが、家はまだ壊されていないんだ、と言っていました。 しかし、ラッカは建物も道路も産業もボロボロだそうです。     ●見えない壁   彼の家へ移動し、荷物を置くと、次はホテルのプールに連れて行ってくれました。   五つ星ホテルの地下にあるプールは、ジムやサウナ、スチームサウナとハンマーム(浸かる場所がない銭湯みたいな所)もついていました。   彼は、彼女も呼んで、時折、微笑ましいカップルの交流を見せつけてくれます。   ですが、その帰り道に話を聞いていると、彼女はクルド系のシリア人、彼はアラブ系シリア人。その民族の違いから、結婚を相手の家族から断られているとのことでした。   幸せに見えるカップルに、見えていない壁があることを知りました。     ●何もない生活   夜に屋上で、彼と語りました。   「何もないんだよ。ここの生活は」   出逢った時に勤めていた国際協力団体NGOを辞め、そのあといくつかの団体に所属していた彼ですが、今も転職を考えています。   トルコに住むシリア難民にとって、最も待遇が良い仕事が「シリア難民支援」の団体職員でした。   しかし、「数ヶ月前から、教育に関するNGOが活動できなくなったんだ。生活支援に関することはできるけど、多くの国際NGOが活動できなくなっているし、シリア難民の労働が認められなくなってきているんだ」と言います。   なので、英語を話せて、学歴や経験のあるシリア人たちが、そうした仕事を失い、長時間労働で給料の安い単純労働に従事しつつあるんだそうです。 また、トルコからヨーロッパに向かう難民の数は激減しました。トルコがギリシャへの密航を取り締まりをしているんだそうです。   僕が去年、ギリシャのレスボス島に行った時には、トルコからギリシャの島までは来れても、そこから本土、ヨーロッパに向かえない、という状況でしたが、その島までも行けないという話でした。   トルコでの仕事はなくなり、ヨーロッパにも行けず、シリアに戻っても仕事がないし、安全もありません。 どこにも希望を見出せずに、トルコ政府の方向転換に左右されて生きていくしか無い現実。   同居人たちは仕事を失い、シェアルームの家賃も三分割していたものを一手に引き受けなくてはいけないと言います。   そんな現実の中で、シリアにいた時は飲まなかったお酒を飲みながら、笑顔で僕らを歓迎してくれているのです。   そんな彼がふとこぼした言葉でした。   「ここの生活には何もないんだよ。ただただ生きるために仕事をする。家族とは離れ離れだ。月末にはほとんどお金は残らない。結婚も難しい。自分たちの国はどうなるか分からない。このまま、何もないまま、いつかトルコで死ぬんだ。きっと」     ● 見えなくても、世界にあるもの   シリアに関する報道は少なくなりました。 シリア国内についても、こうした難民として各地に生活する彼らの状況についても。   見えないからと言って、起こってない訳でありません。   空爆や戦闘ほど、ニュースとして大きく取り上げられないですが、今もなお、その戦争もために国外に行かざるを得ない人たちの、厳しい現状が、ここにあります。    ...