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Piece of Syria(ピースオブシリア) | ブログ
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Piece of Syria Blog

アッサラームアライクム! Piece of Syriaのへむりです。   2017年の半分が過ぎました。 皆様はどんな半年を過ごされましたでしょうか?   2017年の年越し、僕はイタリアにいました。 観光をするわけではなく、シリアの人たちが各国でどう生きているかを知る為に旅をしている途中でした。   トルコ、レバノン、ギリシャのレスボス島、イタリア、ドイツ、イギリスを周っていました。 2015〜2016年にも同じように旅をしていて、その時は、ヨルダン、トルコ、イラク、ギリシャ、フランス、スウェーデンを周りました。   こうして何回か、同じ場所を旅して、シリアの人たちから話を聞いていると、最も感じるものが、2つの「変化」です。   一つは、シリア国内の変化、 一つは、国外での生活の変化です。   ● シリアで何が起こったか?   ちょうど今朝、ダーイッシュ(IS)が、イラクのモスルでほぼ制圧され、シリアのラッカで包囲されたとのニュースが流れてきました。   だからといって楽観視できるわけにいかないのは、シリア国内の情勢は非常に複雑だからです。     シリアの「内戦」と言われる今の騒乱が始まったのは2011年。   "シリア政府への反発から起こった平和的なデモを、暴力的に弾圧した事から始まった"   とよく報道されている説もあれば、   "国外からのお金と武器の流入から始まり、作られた暴力的な「民主化デモ」が、警察や政府軍に死者を出し、明らかな他国からの干渉から自国民を守るために、政府が武力で抑えるに至った"   という説もまた、証拠と共に、様々な文献の中で紹介されています。   このように、発端から複雑な様相を見せる騒乱は、アサド政権の支持基盤であるシーア派のアラウィ派と、国内の多数派であるスンニ派との対立という、メディアの報道の「演出」によりさらに複雑化していきます。   シリアは宗教が調和しており、他国で宗教を理由に弾圧を受けてきたキリスト教徒、イスラム教徒たちが逃げ込む国でした。 また、自分の友人がシーア派かスンナ派かを意識することなく、生活に溶け込んでいました。   そんなシリアで、かつてのルワンダで起こった民族浄化まで発展した民族対立のように、宗派による対立が創り出されました。   ※ちなみに、アラウィ派が、シーア派として認められたの約50年前の話だそうです。 現大統領バッシャール・アサド氏の父ハーフィズ・アサド氏が、大統領に就任の際、当時の憲法には大統領はイスラム教信徒でなければならないとなっていたので 、レバノンの著名なシーア派ムーサ ・サドル師に依頼して「アラウィ派はシーア派に属する」というファトワを出してもらいました。 (参考文献 国枝昌樹「報道されない中東の真実」)   アサド政権を支持する国々と、アサド政権を潰したい国々の思惑が交差し、 それぞれが政府と反政府軍をサポートする代理戦争へ。   そして隣国のイラクで生まれたダーイッシュが、第一次世界大戦の後のサイクスピコ協定でヨーロッパに「押し付けられた」国境線を破って、シリア北部の街ラッカへ勢力を伸ばしました。   元々はイラクのアルカイダだったダーイッシュですが、アルカイダと意見の不一致から対立へ。   更にここに、世界最大の少数民族と言われるクルド人の問題が加わります。 クルド民族は、トルコ・イラク・シリアの各政府が自分の国土では迫害を行ないながら、他国への牽制のために利用されてきた社会的背景があります。   そして、こうしたそれぞれの勢力に対して、資金や武器、戦略を提供する国や組織があり、 表立って報道されていることもあれば、報道されていることとは逆のことを秘密裏に行なっているのではないか、との見方もあります。   また、トルコがアメリカから離れてロシアに近づく、と言ったように大国の勢力図も固定化されたものでありませんし、各勢力も裏切りと同盟が日和見的に行なわれていたりもします。   …と、できるだけシンプルに説明をしたつもりですが、この複雑さです。   付け加えて、「情報戦争だ」とアサド大統領が言うように、情報もまた1つの武器として使われています。 メディア情報を利用して、「疑惑」を「真実」に見せて、世論を造り、「正当性」と演出することが可能です。   僕の知識はあまりに少ないですし、間違って信じてしまっていることもある思います。 しかし、戦略的な「情報」が行き交い、日々変わる「状況」の中で、シリアが今、どうなっているかを知っている人は、ほぼ皆無ではないか、とも思います。   なので、「よく分からないけど複雑だ」ということが、最も間違いない「理解」ではないでしょうか。   そして、ニュースで伝えられているような、単純な対立構図ではないことだけは、知っておいてもらえたら、と思います。   …と、シリア国内の「勢力図」の変化について話しているうちに、ずいぶんと長くなってしまいました。   シリア国内における「生活面」の変化や、 シリア国外での変化について、 次回の僕の記事で書いていきたいと思います。      ...

アッサラームアライクム! ピースオブシリアの武田です。 メンバーの挨拶を真似てみました^^。 メンバーから届くトルコの様子、 シリア人とのやりとりを見ていると シリア人の変わらぬ優しさにホッとする一方で、 彼らの厳しい生活状況に胸が痛くなります。 僕がシリアにいたのは15年も前のことですが 彼らとの日々は目にしっかり焼き付いていて、 今でも特別な時間だったと思います。 日本とシリアはあまりに離れていて文化も違うので いろいろな意味でカルチャーショックだらけでしたが、 彼らのおせっかい過ぎるくらいの優しさで、なんとかホームシックになる暇もなく過ごすことができました。 毎日誰かの家でご馳走になり、 「ここはお前の家だからいつでも来ていいよ」 と言ってくれました。 「今日遊びに行っていい?」なんて聞くと、 「お前の家なんだから、そんな野暮なことを聞くな」 と怒られたこともあります。 いつも無償の愛で尽くしてくれたシリア人たち。 こんな怒られ方をすることが、日本であるでしょうか? 紛争が始まってから、彼らに対して何も恩返しできてないことが胸のどこかにつっかえていて、悶々とした日々を送っていました。 まだまだ何も出来てないのですが、少しずつお返ししていきたいという気持ちで活動を続けています。...

アッサラームアライクム!ピースオブシリアの小林です。 トルコに来てシリア人に会って、会う人会う人本当に優しくてなんでここまでしてくれるんだろうと不思議でしかたのない毎日を送っています。 あるシリア人になんでこんなにしてくれるのかと聞くと、僕はシリア人だからねとサラッと言っていたのが印象的で、本当に自国に誇りをもっているんだなと感じました。 ウサマさんの心地良いお家に3日間もお世話になり、離れる時も、 あなたと過ごせて幸せだった。ここはあなたの家でもあるからいつでもおいで。と言ってくれて、初めて会った私にもそんなこと言ってくれるなんて、、、。 本当に幸せな気持ちをもらいました! バスでの移動途中に出会ったあるシリア人は、後ろの席の乗客で、トルコ語が分からない私たちに休憩のたびに何分まで休憩だからと教えてくれて、サービスエリアではお茶を毎回当たり前のようにご馳走してくれて、家に泊まりにおいでとまで言ってくれました。 ある別のクルド系シリア人の子には、お家にも泊まらせてもらい、ご飯もご馳走になってばかりで申し訳なく、ある時、我先にお会計をしたつもりが後で全額返されてこんなことする必要ないよと言われました。次に泊まる時も絶対うちに来てね!と家族みんなが言ってくれます。 今までシリア体験談として聞いてきたことが実際に起こると、とまどいながらも彼らの優しさは本当に素晴らしいなとしみじみと感じます。 [caption id="attachment_16009" align="alignnone" width="3264"] シャンルウルファ全体の夜景[/caption] そんな中、シリア人が多くいるトルコの南シャンルウルファではこんな話しも聞きました。 ◯シリアはアレッポから家族で4年前に避難してきて、今は医者になりたくて大学に通っている女の子。彼女は5人兄弟でその内4人は学校に通っているので学費がかかる。でも父親はいないので、その学費や生活費はここトルコで兄弟が働いている分やシリアのアレッポとダマスカスでカーショップを経営している親戚からの仕送りで生活している。 アレッポは、水や電気はないが人が全くいない訳ではないから働いてる人はいるんだと言っていました。 ◯その彼女に連れていってもらった女性しか入れない美容院では、多くの女性がイード(ラマダン後のお祭り)のためにオシャレに髪の毛をセットしていました。 そこではクルド系シリア人の男性が働いていて、彼は働きながら学生もしていて、家族はみなシリアにいると。家族はここトルコに来るために国境付近でずっと待っている、でもどのくらい待ってるかなんて考えたくないよと笑って話してくれました。 ◯その後、ある有名な観光地を見せてくれるために車で迎えに来てくれた彼女の親友の1人は、ラッカ出身で避難してきたが、彼の家族はシリアで銃撃されて亡くなってしまったと。1人になったけど僕には親友がいるから大丈夫だよ。その時は何て声をかけていいのか分からず、言葉が出てきませんでした。 「今いる場所で生きていくしかない。」 「今できることをするだけだ。」 「別に今のままでも良い。何も変えようがないんだから。」 普通に生活してるように見えるけど、みなそれぞれに事情があって、でもすぐには解決できる問題ではなくて。 では、私が彼ら1人1人に対して何ができるのかって考えると答えはでず、もどかしい限りです…。 でも実際にシリア人と会って話しをしてみると、聞いてた時とはまた感じ方が変わります。 安定した生活をシリアで過ごしてる時に、彼らも予期していなかったことが起こり、いつのまにか自国から避難しなければならない今の状態になっていたように、いつ私たちの身にも起こるか分からなくて、もし自分や自分の周りにいる家族・友達に同じことが起こったらと想像すると決して関係のない遠いことではないんだなと。 微力でも彼らのためにできることを探して行動していきたいと強く感じました。 以前いただいたウサマさんへの質問の答えは次回載せたいと思います! もし、更に聞きたいことや疑問などありましたら、どうぞ遠慮なく質問して下さい!...

アッサラームアライクム。 Piece of Syriaの中野です。   現在、ラマダンが明け、イスラムの新年にあたる「イード」のトルコにいます。   17時間ほどの長距離バスで、南部の方に到着し、街の人口の70%がシリア人と言われる場所までやってきました。   街中を走るバスは、イードと言うことで無料でした。街の中心部まで、その無料バスに乗って、友人であるシリア人と合流しました。   ●失われる故郷   まず近くのカフェに連れて行ってくれました。できたばかりでオシャレな雰囲気。 気温は43度と表示されていたので、歩くのも億劫な暑さですが、日陰のオープンテラス、しかも扇風機もしっかり周っていると、案外心地良いです。   そのあと、彼の親戚のおうちに一緒に行かせてもらい、新年の挨拶まわりに同行するような形でお宅訪問。ご飯をご馳走になりました。   聞くとラッカ(ISが「首都」と定めたシリア北部の町)の出身で、ISがラッカにやって来る前にトルコに避難してきたとのことです。   現地から様々情報が届くらしく、数日前にシリアにある自分たちの家の近くに爆弾が着弾したが、家はまだ壊されていないんだ、と言っていました。 しかし、ラッカは建物も道路も産業もボロボロだそうです。     ●見えない壁   彼の家へ移動し、荷物を置くと、次はホテルのプールに連れて行ってくれました。   五つ星ホテルの地下にあるプールは、ジムやサウナ、スチームサウナとハンマーム(浸かる場所がない銭湯みたいな所)もついていました。   彼は、彼女も呼んで、時折、微笑ましいカップルの交流を見せつけてくれます。   ですが、その帰り道に話を聞いていると、彼女はクルド系のシリア人、彼はアラブ系シリア人。その民族の違いから、結婚を相手の家族から断られているとのことでした。   幸せに見えるカップルに、見えていない壁があることを知りました。     ●何もない生活   夜に屋上で、彼と語りました。   「何もないんだよ。ここの生活は」   出逢った時に勤めていた国際協力団体NGOを辞め、そのあといくつかの団体に所属していた彼ですが、今も転職を考えています。   トルコに住むシリア難民にとって、最も待遇が良い仕事が「シリア難民支援」の団体職員でした。   しかし、「数ヶ月前から、教育に関するNGOが活動できなくなったんだ。生活支援に関することはできるけど、多くの国際NGOが活動できなくなっているし、シリア難民の労働が認められなくなってきているんだ」と言います。   なので、英語を話せて、学歴や経験のあるシリア人たちが、そうした仕事を失い、長時間労働で給料の安い単純労働に従事しつつあるんだそうです。 また、トルコからヨーロッパに向かう難民の数は激減しました。トルコがギリシャへの密航を取り締まりをしているんだそうです。   僕が去年、ギリシャのレスボス島に行った時には、トルコからギリシャの島までは来れても、そこから本土、ヨーロッパに向かえない、という状況でしたが、その島までも行けないという話でした。   トルコでの仕事はなくなり、ヨーロッパにも行けず、シリアに戻っても仕事がないし、安全もありません。 どこにも希望を見出せずに、トルコ政府の方向転換に左右されて生きていくしか無い現実。   同居人たちは仕事を失い、シェアルームの家賃も三分割していたものを一手に引き受けなくてはいけないと言います。   そんな現実の中で、シリアにいた時は飲まなかったお酒を飲みながら、笑顔で僕らを歓迎してくれているのです。   そんな彼がふとこぼした言葉でした。   「ここの生活には何もないんだよ。ただただ生きるために仕事をする。家族とは離れ離れだ。月末にはほとんどお金は残らない。結婚も難しい。自分たちの国はどうなるか分からない。このまま、何もないまま、いつかトルコで死ぬんだ。きっと」     ● 見えなくても、世界にあるもの   シリアに関する報道は少なくなりました。 シリア国内についても、こうした難民として各地に生活する彼らの状況についても。   見えないからと言って、起こってない訳でありません。   空爆や戦闘ほど、ニュースとして大きく取り上げられないですが、今もなお、その戦争もために国外に行かざるを得ない人たちの、厳しい現状が、ここにあります。    ...

こんにちは!ピースオブシリアの武田です。 メンバーがウサマさんと合流し、 いろんな報告を送ってくれています。 先日は電話でメンバー、ウサマさんと話しました。 今頃は南部の町ガズィアンテプに向かっているところでしょうか。 やはり実際に行ってみないとわからないことが多いですね。 情勢は毎日恐ろしいスピードで変化していることを痛感しました。 私たちは主に、シリアの国内の教育支援を行っていますが その大事さも、痛感させられています。 学校はシリアの紛争の激しい地域の子どもたちにとって、 ただ単に勉強をするだけの場所ではありません。 戦争に足を踏み入れさせないための、セーフティーネットでもあります。 紛争が激化しすると、先生に支払われるべき給料がストップします。 先生は生きるために職を探すことになるため、 先生のいなくなった学校は閉鎖され、子供達の行き場所がなくなります。 行く場所が無くなると、子どもたちも仕事を探し始めるそうです。 小さな町には、子どもができる仕事はないので、国外に出て物乞いをすることになります。 そしてそのうち、彼らは仕事を求めて武器を取ることになります。 学校に行けなくて、読み書きができない子供もまた、 将来まともな仕事にありつけず、 やがて武器を手にすることになります。 そういった人間が街を破壊し、また同じような子供を作る。 悲しい負の連鎖です。 罪のない子供たちが、争いに巻き込まれないためにも、 将来彼らが仕事に就いて、シリアを再建するためにも。 なんとか学校を維持しなければなりません。 シリア人はもともと、とても心の優しい民族です。 そんな彼らを一人でも憎しみや悲しみの連鎖から守るためにも 学校が必要なのだと思います。...

メルハバ(Merhaba) こんにちは! ピースオブシリアの小林です。 トルコに来てからもう3日が経ちます!早い…‼︎ 空港に着いてから、パートナーのウサマさんの両親が住んでいるお家にお邪魔しまして、お母さんの作った美味しいシリア料理をご馳走になり、ベランダで紅茶を飲みながらお父さん・日本語ペラペラなお兄さん・ウサマさんとおしゃべりをしました。 もう、、なんて優しくて、朗らかで、おもてなし精神いっぱいで、面白くて、ただ会話をしている様子を見ているだけでも癒されるような暖かい家族なんだと。 この人たちに出会えただけでも、あ〜トルコに来て良かったなと純粋に思った初日でした! 彼らとは、シリア人・シリア・トルコ・イスラム教・家族・言語・戦争・経済・社会情勢・政治についてなど色々な話しをして、 シリア人は結婚するまでは家を出ず実家で暮らす、それくらい家族を大切にしているとか。 イスラム教はただ単に宗教という訳ではなく、way of lifeでありマナー・文化・社会そのものであるとか。 ウサマという名前にはライオンっていう意味があるとか! また、技術の進歩や少子化や人口減少社会などについてもディスカッションを親戚同士でしたり、日本の場合はどうかと聞かれ、考えておかないと話せなくて普段から関心を持つことがいかに大切かと感じました。 自分の住んでる国や世界全体ついての興味というか、知っておくべきことは情報収集しておかないと、無関心って怖いなと思いました…。   そして、 ウサマさんとはシリア国内の支援している学校の状況やこれからについての話し合いをして、支援の継続・金銭面で課題もあり検討していく必要を十分に感じながら、支援活動やシリアに対するウサマさんの想いも聞きました。 シリアの人たちが家族で一緒に暮らせるように。 勉強をしたいのにできていない子どもたちをできる限り学校に受け入れていきたい。そして、彼らの未来を無くしたくない。 シリアの本当の声・現状を届けたい。と。 簡単にできることではないかもしれませんが、どうにかみんなで一緒に一歩ずつでも叶えていけたらと思います。   ちなみに…前回のブログで言っていたwonderfulという意味のあの"クワイエス"を使ってみたら、もう君はシリア人だと言われ万能さを実感! 武田さん、ありがとうございます\(^o^)/ また、ウサマさんに聞きたいことがあればということでいくつか質問を頂きました。 ありがとうございます! みなさまとシェアできるようにまとめて掲載できればと思います。 では今日はこのへんで(^o^) シュクラン!...

アッサラームアライクム! السلام عليكم Piece of Syriaのへむりです。   武田さんにお留守番をしてもらって、トルコへとやって来て、ウサマさんのご自宅に招いてもらいました。 その話は、郁乃ちゃんに語ってもらうとして、ちょうど今、真っ最中のラマダンについてお話ししたいと思います。   ラマダンを「断食すること」と思ってはいませんか?   池上彰さんが番組で「ラマダンをしていますか?」とムスリムの人に尋ねていましたが、「断食すること」はアラビア語で「スウム」と言います。 「ラマダン」はヒジュラ暦(イスラムの暦で、月の満ち欠けを基準とした太陰暦)の九月のことで、日本でいう「長月」にあたる言葉です。 なので、「ラマダンをしている」だと、実はちょっと変な感じになります。 (説明のためだとは思いますが)   ●日本との断食の違い   日本で断食と言うと、「一日中何も食べない」と考えて、「断食が1ヶ月?」と聞くと、とんでもないことのように思ってしまいますが、イスラムの断食は、「日の出ている間限定」なのでご安心ください。 (とは言え、夏は日が長く、暑くて大変です!)   日の出前に起きて、たくさん食べておいて、少し寝て、また起きて活動をしてから、夕暮れを待ち、待望の水分補給と食事を、みんなでワイワイと楽しみます。   この日が暮れた後の食事のことをアラビア語で「イフタール」と言います。 ちなみに、断食は英語で「ファスティング」(fast+ing)なので、「断食明けの食事」を英語にすると「breakfast」になりますね。     ● ラマダンが好きな理由   シリアで活動している時、「どの時期が好き?」とインタビューしたことがあるのですが、皆が口を揃えて「ラマダンだな!」と言っていて、驚きました。 「しんどそう!厳しい戒律だなぁ」と、修行のように思っていたからです。   ですが、ラマダンは神聖な月で、断食をするのも、「貧しい人も富める人も、等しく空腹を感じることができる」「イフタールでは皆で、有り難さを感じながら、他の人と食事を分け合う」という、一体感や思い遣りを共有する毎日で、まるでお祭りが1ヶ月続いているような印象を僕は受けました。   また「現世で善行を積み重ねて、天国に行く」という善行ポイント「ハサナート」は、ラマダンの時は、ポイント倍増!だそうです。 なのでこの時期、お祈りや喜捨(寄付)なども、熱心になるようです。 また、ラマダン中に、旅や病気などで断食ができなかったときは、別の時期にやっても良いとのこと。 「誠に神は慈悲深い」とは、クルアーンに書かれている言葉ですが、本当にそう思います。     ●旅で見るラマダン   そうなんです。旅中は断食が免除になります。 (とは言え、熱心な人は別の時期にやれなかった分を断食したりするようです) そんな旅をしながらいくつかの国を見て周りました。   UAEでは原則、日中は観光客が多く訪れるような場所であっても、レストランやカフェが閉まります(政府からライセンスを取れば開くことはできる)。 タンザニアの島ザンジバルも、島民がムスリムのため、観光地とはいえ、同様に食事が見えないような配慮をしたり、許可がないとレストランは開けられないそうです。   飛行機で隣に座ったレバノン人が機内食を断っていたり(この時、窓の外は日中でした)、 機内アナウンスで、空港内での飲食に配慮するように注意があったり、という国がある一方で、 トルコのように、国としてはあまり気にしていない所もあります。   僕が隊員時代にいたのは、ムスリムだけが住む、シリアの小さな町でしたが、日中もレストランは普通に開いていました。観光客(僕の町にはほとんどいませんでた)や子ども達は気にせず食べて、大人達はしっかりと断食をしており、お店も午後からは活気を失いますが、イフタールの後に再度店が開き、夜に夏祭りのように活気を取り戻します。   洋服のお店には、ラマダン明けのイード(日本で言う新年のような祝日)に着るための一張羅を求めて、お客さんで盛況でした。 シリアの夏の夜は涼しく、過ごしやすいので、友人や親戚の家を訪れて、談笑する人々がたくさんいて、「どこにいるんだ?」と携帯で呼び出されて、一緒に友人行脚に駆り出されたりもしました。     ● シリアの平和を願って   さて、もうすぐラマダンが明けて、イードです。 隊員時代は、2年連続イードの時は村に居て、僕のシリアの家族と一緒に親戚周りをしました。 あのあったかい時感は、目をつむれば思い出せる大切な思い出です。   いつかまた、僕の家族と、仲間と、あの時間を共にする日を願って、シリアの平和のために、できることを捜し、祈りたいと思います。...

こんにちは! ピースオブシリアの武田です。 現在ピースオブシリアのメンバーへむり&小林は現地パートナーのウサマさんに会うために、トルコに向けて渡航中。 でも武田は日本で仕事があるので大人しくお留守番です(-_-)zzz さて、今日は「シリアってどこ?」というお話を。 ニュースでシリアのことを耳にしないことはないほど有名になってしまったシリアですが、 実際にシリアの場所がわかる人は実は少ないのではないでしょうか? よっぽど地理に詳しい人や世界史に興味がある人、 実際に中東に旅行に行ったことがある人ぐらいしかわからなくても当然です。 中東とひとくくりに言ってもとても広いので、 同じアラブ圏でもアラビア語の方言も違えば、文化も大きく違います。 なので、エジプトや湾岸諸国とはまた違った趣ある、素朴な印象の小さな国です。 シリアはトルコの南、イラクの西に位置しています。 また、パレスチナ/イスラエルの東にあるので、 昔から宗教的、文化的にも若干ややこしいところではあります。 我々はシリアの中でも紛争の激しい、「アレッポ」という地域の 子どもたちを主に支援しています。 パートナーのウサマさんはトルコのガズィアンテプという国境近くの町におり、 そこからシリアとトルコを行ったり来たりしながら支援活動を行っています。 日本人は今、基本的にシリアに入れないので、 トルコでウサマさんと合流して色々な話を進めているということです。 シリアの就学率はもともと90%以上ありましたが、 アレッポに至っては学校がたくさん破壊されたこともあり、 学校に行けない子供たちがものすごくたくさん増えてしまいました。 [caption id="attachment_15976" align="alignnone" width="1024"] ウサマさんと子供たち[/caption] 今は仮設の洞穴みたいなところで子供たちは学んでいます。   環境は決して良いわけではなく、夏は暑く、冬は極寒という厳しい状況でありながらも ウサマさんから時々送られてくる写真には、 笑顔いっぱいで、学べる喜びに満ち溢れた子供たちのイキイキした姿がいつも写っていて、 「我々ももっと頑張らねば!」と勇気付けられます。 いつかシリアに入れるようになったら、彼らに会いに行きたいと思っています。 明日にはいよいよメンバーがトルコに到着しますので、 いろいろな現地レポートをお届けできると思います。 お楽しみに!...

こんにちは。スタッフの小林です! 最近の私は、未知の言語 アラビア語 を勉強しています。 ○アッサラーム・アライクム(こんにちは。いつでも使える挨拶の言葉。) ○シュクラン(ありがとう。) はさすがに覚えましたが、新しい言語を一からとなると中々ですね。 でも、新しいことを吸収するのは刺激も受けてやっぱり楽しいものです! ここで… 勉強していた時にへぇ〜!となったコトバ① あの緑野菜のモロヘイヤはアラビア語で、「molokheiya」からの外来語! エジプトには重病を患ったエジプト王がモロヘイヤのスープを飲んだら回復したという故事があり、アラビア語で「王様の野菜」を意味する「ムルキーヤ」がモロヘイヤの語源となっているようです! (語源由来辞典より) 先日、スタッフの武田さんと話している時に「これさえ覚えておけば大丈夫!何にでも使える!」という万能なアラビア語を教えてもらいました☆ それは… ○クワイエス 英語で言うとwonderful!元気か聞かれた時、美味しいご飯を食べた時など。よく使うみたいです。 早速、明日、実践で使ってみようと思います! …そうなんです!今、関空におりこれからトルコはイスタンブールに旅立ちます\(^^)/ 私たちピースオブシリアが、主に支援している現地協力者のウサマさんに会いに10日間程行く予定です。 へむりさんの跡をついて行く形ですが、、、 ウサマさんや現地でシリア難民支援活動している他のNGOの方などと会えるみたいなので、色々と自分の目で見れたらいいなと思います。 そこで!もしウサマさんに聞きたいことやトルコでの様子についてなど、何か質問や疑問等あれば是非教えて下さい。 生の声や現状をみなさんにお伝えできればと思っています。 アラビア語・トルコ語をご存知の方、これは使えるよ!とかも教えて頂けたら尚、嬉しいです(*^o^*) また現地での様子を更新できたらと思います。 行ってきます!!...

アッサラームアライクム! へむりです。 スタッフとともに発信しております、Piece of Syriaのブログですが、僕も読むのが楽しみです。 僕が初めてシリアに行ったのは、2005年。大学四回生の夏休みでした。 就職活動を終えて、学生生活の最後の夏休み、どこに行こうか悩んでいたのですが、 イギリスに留学していた時のクラスメートにトルコ人の友人がいて、彼らに逢う旅をしよう!と、まずトルコ行きが決定。 地図を見ると、エジプトもまぁまぁ近い。 家にツタンカーメンの分厚い図鑑があるような少年時代を過ごしていたものですから、 「ピラミッドをいつか見たい!」という夢が叶う!とエジプトに行くのも決めました。 で、トルコからエジプトまでの飛行機を調べると割と高かったんです、当時。 それこそ、日本からトルコの片道分と、それほど変わらないくらい。 なので、陸路で行こう!と。 トルコから、シリア、レバノン、ヨルダンを通って、エジプトまで向かおう、と。 とは言っても、イラク戦争が起こったのが2003年ですから、中東のイメージと言えば、「戦争」。 「アンマンから中継です」なんて、イラク戦争を伝えるテレビが言っていた頃です。 (アンマン = ヨルダンの首都) 今思えば、無茶なことをするなぁと思うのですが、周りに中東に行った人がいるわけでもなく、ニュースを見る限り「危険」と思っても仕方ない場所への旅でした。 イスタンブール着、カイロ発の飛行機を取り、1ヶ月かけて陸路で移動する旅が始まります。 グーグルマップで道を調べるだとか、booking.comで予約する、なんてこともしていなかった当時、 「地球の歩き方」の必要なページだけを破って、街をうろちょろしながら、その日の宿や次の目的地までのバスを探して行きました。 今は便利ですが、あの時の「どうなるか分からない」ドキドキは、懐かしいです。どうにもスマホに頼ってしまうので。 トルコから陸路で国境を越えてシリアに入ると、文字がアルファベットからアラビア語に変わり、ほとんど英語も通じなくなりました。 「異国に来た!」という気持ちでワクワクしながら、何とか乗ったバスからの見た車窓の景色は今でも忘れられません。 日が暮れてから着いた世界遺産の街アレッポ。 景色も服装もトルコと違い、商店街に行き交う人たちの活気を、バスの窓から見ていると、「ここを歩くってどんな気持ちなんだろう?」と、まるで現実ではないような、目の前の風景に興奮していました。 バスを降りて、道に迷いながら着いた安宿。 しかし、満室で途方に暮れていると、ホテルのスタッフが「近くに安宿があるから」と案内してくれました。 その宿は、Hotelの表記がなく、スタッフも英語が通じない。そんな宿でしたが、たまたまお客さんにアメリカ留学経験のあるイラク人(イラク戦争の頃なので、「そんなことできるんだ」と驚きました)が通訳をしてくれて、無事に泊まることができました。 国境を越えてから、何も食べてなかったので、荷物を置いて夜のアレッポの街へ。 大丈夫かな?と不安な気持ちもありましたが、拍子抜けするほどの安心感。 人々が笑顔で日常を過ごしています。 安く美味しいフレッシュジュースを飲み、店先でクルクルと回る鳥の丸焼きを食べて、「まるで異世界」と感じていた風景の中に、自分が溶け込んでいく感覚が、すごく不思議でした。 その後、道に迷っては助けてくれて、 トラブルに遭っては助けてくれて、 歩いてたら呼び止められて座らされ、スターのように質問ぜめにあったり、と、 シリアという国のホスピタリティーに、すっかりと魅了されました。 シリアの東の国境を越えると、イラクです。 隣ですから「すぐそば。ほとんど同じ」との認識でしたが、日本以上の治安の良さに驚くほどのシリアの状況がありました。 そして、「この国、好きだなぁ」という印象を持って日本に帰ってきました。 その後、青年海外協力隊として、シリアに行くことになるとは想像もせずに…。 隊員としてシリアで生活したことで、よりシリアのことが好きになっていきましたし、 そのようなシリアを知っているからこそ、今のシリアの状況に対してできることは無いか?と立ち上げたのがPiece of Syriaでした。 困っている人を助けたいのではなく、 身近な友人として、できることを共に考えたい。 そんな気持ちで、皆と一緒に一歩ずつ、これからも活動を作っていきます。 ...