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Piece of Syria(ピースオブシリア) | 私たちについて
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私たちについて

About Piece of Syria

シリア支援団体Piece of Syria

(ピースオブシリア)

【Piece of Syria】という団体名には、「ひとかけらを、ひとつなぎに」というコンセプトに、一人ひとりの力を合わせて、パズルのピースのようにバラバラになってしまったシリアを一つにし、Peaceにしていきたいという想いを込めました。

支援が届かない…。でも、勉強を続けたい!
そんな子ども達に、希望を届けます!

はじめまして、ピースオブシリア代表の中野貴行です。僕は、2008年〜10年に、シリアの北部の田舎に滞在し、青年海外協力隊として、母子保健の活動に従事しました。

そこで、ひとりに少女に出会い、彼女に「夢を持つことの大切さ」について教わりました。夢を持つために必要なことのひとつが「教育」です。しかし、シリアでは今、子ども達が教育を受けることが難しい、戦闘状態が続いています。

実情を知るため、2015年、シリア人が生活する、ヨルダン・イラク・トルコ・ギリシャ・フランス・スウェーデンを訪れ、難民となった人たちや支援団体のスタッフ100人以上から話を聞いてきました。

彼らから「シリア国内の教育をなんとかして欲しい。支援が届いていないんだ」という声を多く聞きました。ほぼ全ての子ども達が学校に行っていたシリアが、半分以下の子どもしか学校に通えていない、そして支援も届いていない地域が非常に多くあると言うのです。

話を聞く中で、トルコで難民として生活をしながら、ボランティアでシリアへ教育支援を一人で行なっているウサマさんと出逢いました。彼はシリア国内へ筆記用具や教科書、越冬のための服や食料を届けており、僕は彼の活動に協力することを決めました。

シリアで出会った少女の夢の続きを、僕らで叶えたい。

僕がプロジェクトを始めた理由のひとつに、協力隊時代にシリアで出会った少女の存在があります。活動地の村に住んでいた当時12歳の少女は、いつも僕の活動を手伝ってくれていました。

ある日、彼女は僕に「子ども達の夢を叶える学校を作るのが私の夢なの。だから、今、一生懸命勉強をして、お医者さんを目指しているの」と語ってくれました。

飛び級するほどに勉強をしていた彼女が語る夢に、素直に「すごい!」と感動しました。ですが、その僕に「あなたがいたからよ」と彼女は言うのです。「他の大人達は、そんなことできっこないって言う。でも、あなただけが、私ならできるよって言ってくれたでしょ?だから私は夢を持つことができたの」と言ってくれました。

それ以来、僕は「夢を叶える大人でありたい。夢を追いかけていいって、子ども達に伝える大人でありたい」と思い、日々活動をしています。

あの頃、シリアは日本より「安全」で「豊か」でした。

シリアと聞いて、「平和で豊かな国」というイメージを持つ方は少ないと思います。多くの人が「シリア=戦争」であったり、「危険」や「テロ」といった怖いイメージを持ってらっしゃるのではないでしょうか。しかし、僕が青年海外協力隊としてシリアで活動をしていた2008年から2010年、シリアは日本より治安が良いほどでした。

バスに乗ると、隣のおじさんが僕のバス代をいつの間にか払っていて、「日本から来てくれたんだから」と笑顔で言ってくれることも、喉が渇いた時には近くにある家をノックすると、水やお茶だけでなく、ご飯をご馳走してくれた上に泊めてくれようとしてくれたことも、一度や二度ではありません。紛失したカメラも、携帯電話も、腕時計も、現金の入った手帳さえ、すべて返ってきました。

その背景には、給料が安い仕事をしていても、庭付きの3LDKの家に住み(リビングは20畳!)、ご飯に困ることなく、5人の子どもを育てられ、学校に行かせることができるような、豊かな生活がありました。

就学率97%、当たり前だった教育は、たった数年で50%未満へ。

小学校から大学まで無料で、就学率も97%。小さな村でも小学校があり、字の読み書きの出来ない女性が村にいたら、識字教室が開かれて、無料で読み書き計算を学ぶことができました。

それほどしっかりした教育制度があったシリアが今、戦争の影響によりシリア全土の就学率は50%まで低下し、シリア第二の街アレッポでは6%と言われています。わずか5年の出来事です。

小学校1年生の時、40人のクラスメイトが、6年生になった時、2〜3人になったのと同じだと考えると、その変化の大きさが想像しやすいのではないでしょうか。

この理由のひとつに、先生たちが家族のために、国外へ避難せざるを得ないことがあります。先生たちに給料が支払われていないことがあったり、物価の上昇(この5年で野菜など生活必需品の値段が20〜100倍に上がっている)もあり、先生たちも自分の家族がいるので、彼らを養うことは簡単ではありません。

これ以上、給料が支払われない場合、家族のためにシリアを離れてしまい、シリア国に残った子ども達が教育を受けられなくなります。

自らも難民という不安定な立場で、
ひとりでシリアへ教育支援をしている青年がいます。

シリア国内で、教育を受けることが難しいという現状に対し、ひとりで懸命に活動をしているシリア人の青年がいます。難民としてトルコに在住しているウサマさん、27歳。シリアで暮らしていた時は、英語教師でした。

今はトルコで教育の仕事をして、父母の生活も支えながら、ボランティアでシリア国内への教育支援を4年間、行なっています。筆記用具や子ども服を送って、支援が届かない地域で、教育を続けられるように行動しています。もちろん、紛争地がある中なので、危険も伴うなかでの支援は困難を伴うものです。

それでも、支援を行なう理由を尋ねると、「子ども達は希望なんだ。子ども達が夢を持つことができる学校にしていきたい」という思いを語ってくれました。しかし、彼自身も難民であるので、活動を続けることは経済的に、決して簡単ではありません。

シリアの平和のために、我々ができることはなんだろう?

シリアの人たちを訪ねて、日本に帰ってきたのが2016年の3月。帰国前も後も、「僕に何ができるだろう?」と何度も考え、悩みました。そして、シリア国内の教育支援と、シリアを伝える啓発活動のために、【Piece of Syria】という団体を立ち上げました。

平和な頃のシリアの田舎に2年間住み、かつ中東・欧州のシリア難民を訪ねた日本人は、私以外いませんでした。なので、メディアではなかなか伝わらない、シリアの人たちの想いを伝えることは、私のできることです。学校やイベントなどで5000人以上の前で、シリアや平和の大切さを伝えてきた経験を活かし、帰国後はより多くの場所で、写真展や講演会を企画しています。

シリアの平和のために、我々ができることはなんだろう?

【Piece of Syria】という団体名には、「ひとかけらを、ひとつなぎに」というコンセプトに、一人ひとりの力を合わせて、パズルのピースのようにバラバラになってしまったシリアを一つにし、Peaceにしていきたいという想いを込めました。

僕自身は、シリアで出逢った少女に夢をもらいました。ですが、シリアという国が、今、夢を叶えることが難しい状況になってしまいました。もしかすると、世界で一番厳しい状況なのかもしれません。

想像してください。
そんな状況で生きる子ども達に、私たちが夢や希望を与えることができるとしたら?
「あなた」のおかげで夢を持てるようになった、と言われる「あなた」になれるなら?

 

小さな力かもしれません。
ですが、世界を変えるのは、いつも誰か「ひとり」の小さな一歩からです。

戦争が終わり、彼らが自立するまで協力活動は続ける、その第一歩として、このプロジェクトを始めました。そして、シリアと日本の架け橋となる活動にしていきます。

1日10円からできる支援の先に、子ども達が夢を描ける未来があります。
僕らは微力かもしれませんが、無力ではありません。
小さな行動の積み重ねこそが、世界を変えるチカラになります。

一緒に、その一歩を踏み出し、子ども達に希望を届けましょう!

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