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Piece of Syria(ピースオブシリア) | 空爆の後、シリアから届いた希望の声
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空爆の後、シリアから届いた希望の声

空爆の後、シリアから届いた希望の声

 

 

「僕には目標がある。聞いてくれるかい?」

シリアのマンベジの村に住む友人から、メッセージが届きました。

 

 

● 僕が住んだ村

シリア北部、ニュースで時々名前が出てくる「منبج(マンベジ/マンビジ)」という町に、
僕は2008-10年に、青年海外協力隊として生活していました。

 

30万人ほどの大きさのその町は、シリア第二の街アレッポから1時間程度の距離。

様々な商店が立ち並ぶアーケードのついたスーク(商店街)に行くと、
近隣の村からの買い物客もたくさんいて、
そのすぐ近くの大きな広場には、
セルビスと呼ばれるワゴン車の路線バスが100台近く、満員になるまで客待ちをしていました。

 

 

 

そんなセルビスの一つに乗り込んで30分。
僕が通っていた、小さな村があります。人口わずか3000人。

医師・看護師が隔日でやってくる保健センター、
さらに小さな村からも生徒があつまる学校(小中高)、
日用品だけでなく野菜も売っている雑貨屋に、薬局、
生活する上では不便を感じない程度に、全てがある村でした。

 

アラビア語を話す外国人である僕は、ゲストをもてなすのが趣味のようなシリア人にとって、
「招きたくて仕方ない客人」でした。

村を歩いていると、声をかけられ、お茶をご馳走になり、ご飯をご馳走になり、
家に泊めようとしてくれ、結婚式に招待され・・・というシリアの文化の中で、
いつしか村人全員が、僕の名前を知っていました。


その村の少女が語ってくれた夢は、今、僕の夢に

 

● 僕の住んだ町に、血が流れた

2011年に始まったシリア危機の混乱の中で、IS(ダーイッシュ)という組織が生まれ、
シリアの都市ラッカを「首都」と宣言しました。

マンベジは、ラッカとアレッポの中間地点にある町です。

電話で連絡することなく、村に訪れ、泊まっていくような生活を送っていた僕は、
日本以上に平和なシリアが、こんなことになることなんて予想できず、
彼らの電話番号をメモをしていませんでした。
また、当時は今のようなSNSは主流ではありません。

村の友人たちとの連絡手段がないまま、ニュースはシリアの悲劇を伝えます。

ある日、マンベジを検索してみると、血まみれの処刑場が・・・。
ISがマンベジを占拠しているのです。

 

 

無事でいてくれているのだろうか。

それを知る術がない中、何かのヒントを得られないかと、シリアの隣国トルコに向かいました。

マンベジはトルコ国境まで20kmほどです。

「ひょっとしたら、誰かに会えるかもしれない」

低い可能性ではありましたが、様々なNGOの方を通して、
シリア国境の近くのトルコの町で、マンベジ出身の人と会うことができました。

シリア国境の近くのトルコの町に「シリア人マーケット」ができていた

 

● 囚われた僕の住んだ町

「妻がまだ、マンベジにいるんだ。
ダーイッシュ(IS)は、人間の盾として彼らは民間人を外に出そうとしない。
身代金を求められて、数十万円を支払ったが、解放されていない」

マンベジ出身だという彼は、そんな状況について、僕に教えてくれました。
僕はかける言葉が一つも思いつきませんでした。

「きっと大丈夫。ハンムドリッラー」

言葉を失った僕を励ますように彼はそう言いながら、悲しみを心に残した笑顔を向けてくれました。
自分自身に言い聞かせていたのかもしれません。

そんな状況の中で、僕の友人たちは、どうなったのだろうか。
知る術を持たず、僕はただ、不安を募らせていました。

 

 

村のある家にて。シリアの子ども達は勉強熱心。

 

● 未来を守るために僕たちができることを

 

「教育は、未来だ。子ども達は未来だ。
シリアの未来を閉ざすわけにはいかない」

そんな思いを持ったトルコで出逢ったあるシリア人の青年は、
他から支援が届かないシリア国内の学校を支援していました。

自身が「難民」で、生活することさえ大変な中で、
彼はシリア国内に残っている子ども達、数百人が学ぶ場を守っていました。

彼の活動をサポートするため、日本に帰国後、クラウドファンディングを行ない、
180人を超える人たちにサポートをしてもらい、目標額を達成し、現地に届けました。

 

 

 

● 村からの便り

そのクラウドファンディングの最中、Facebookを通じて、
僕に一通のメッセージが届きました。

「覚えているかい?マンベジの村で先生をやっていたアフマドだよ」

あの小さな村で、活動以外のプライベートでも仲良くしていた友人でした。

”無事だったんだ”

こみ上げる涙を抑えて、
「もちろん覚えているよ!どこにいるの?家族は?村のみんなは元気?」
と返しました。

「今、シリアでは仕事がないから、僕は先生をしていないんだ。
レバノンで建築の肉体労働をしているよ。
家族は村にいるけど、皆、元気にしているよ。
君が仲良くしていた、あの家族も皆、元気だ」

「そうなんだ!レバノンなら行けるから会いに行くよ!」

 

アフマド先生が村で開いていた個人塾。

 

 

 

● 心を込めた行動の先に、奇跡がやってくる

僕がクラウドファンディングをしていたから、
彼と繋がることができたんじゃないか。

シリアの人たちを訪ねて、トルコをはじめヨルダン、イラク、ギリシャなどを訪ねたから、彼が僕の連絡先を探せたんじゃないか。

僕の心が「やるべきだ」と思ったことに従った結果に、
この奇跡は起こったんじゃないかな、と僕は考えています。

 

しばらくして、マンベジを占拠していたISは、クルド人部隊によって撤退し、
マンベジに平和な日常が訪れました。

アフマド先生はシリアの村に戻り、先生の仕事に復帰しました。

レバノンには、彼の弟がいるとのことだったので、
(弟とも面識があったので)彼を訪れました。

村の人たち数人も、レバノンに「出稼ぎ」という形で在住しており、
僕がよく知っている家族とも再会できました。

そして、村に残る家族の結婚式の写真を見せてくれました。

僕が村で一番仲良くしていた女の子の美しい花嫁姿です。

この奇跡をもたらしてくれたのはきっと、
待っていたからではなく、行動していたからだって、そう信じています。

 

村の少女の花嫁姿。結婚式を挙げられるほどに状況がよくなった

 

 

 

● 空爆の後に

2018年4月、シリアへの空爆が行なわれました。
シリアの人たちは大丈夫なのか、様々なシリアの人たちに安否を確認しました。

「僕も僕の家族も大丈夫だよ。
心配をしてくれてありがとう」

そんな返事が届く中、アフマド先生から、こんな返事が届きました。

「ありがとう。
僕たちも、家族も皆、元気だよ。
今、子ども達の教育のために動いているんだ。

僕には将来の目標があってね。
アラビア語、数学、外国語、理科といった教科を学べる施設を作りたいんだ」

マンベジは空爆のターゲットとなる場所からは遠く離れています。
とはいえ、シリアにはまだ、IS以外にも活動している武装組織やトルコ軍との紛争など、
様々な不安要素があり、予断はできません。

しかし、こうして、未来を描ける安定と余裕が生まれていることは、
一つの希望のように思います。

同時に、「そんな希望を無慈悲に踏みにじるような暴力があってはいけない」という思いを新たにしました。

 

レバノンにてシリアの家族達に再会。僕の撮った懐かしい写真を眺める

 

 

● 僕たちができることはなんだろう

日本以上に平和で豊かだったシリアでさえ、
「未曾有の人道危機」の渦中にあります。

文字通り、「何が起こるかわからない時代」です。

その中で僕たちができることはなんでしょうか。

思考停止にならないこと。
今を大事に生きること。
そして、大切な人を大切にすること。

 

もし、その中で僕たちの活動も一緒にしたい!と思ってくださったら、ご一報くださいませ。

 

・シリアを伝える、学ぶ(講演・写真展・勉強会など)

・支援が届かない地域への教育支援(広報・ファンディング)

 

その中で、皆さん一人ひとりの個性や想いが発揮できることで、
一緒に力を合わせられたら、幸いです。

 

 

お問い合わせ

 
 
5月26(土)27日(日) 福岡にて報告会イベント予定

詳細は近日中にお伝え致します。

 
 

 

 

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